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その頃の私は毎日毎日どうでもいい服ばかり着てた。
子供に汚されても引っ張られても特に落ち込まない、どれだけでも替えの効く白か黒かグレーのファストファッション。
〜中略〜
それまでビンテージショップなんて恐ろしくて入れなかったのに。
なのになぜか私は「ずっと行ってみたくて行けていなかったあの店」を思い出して、次の日ひとりで行ってみた。
はじめてその店に入った瞬間の感情を、いまでも覚えている。
その日店員さんにも思わず口に出していたが私はお店に入った瞬間に
「服って楽しいんだった…」って、思い出したのだ。
▷◁………………………………………………
ここまででもわかりみがすぎるけど
この後のくだりに思わず涙
胸に刺さりすぎて
「あああああああああああ!!!」って
絶叫しながら嗚咽漏らすかと思った
そのくらい刺さった
ゆかりはファッションに関して
自分をときめかせた事がほとんどないのだ
そして選ぶ服は長い間
親の目、人の目で
当たり障りのないものを選んでいたから
極めて地味
地味の極み
小学生の時から地味を極めてきた
覚えているのは小学校の卒業式
卒業式で着る服をデパートに買いに行ったんだが
いつも着る服はイトーヨーカドーの服売り場で買ってて
デパートに服買いに行くとか
一切経験のないわたしが
好みの服のテイストもないままに
母の好みで
からし色のブラウスと、茶色のジャンパースカート的なワンピース(無地)のセットを、店員と共にゴリ押しされて選ぶ余地もなくそれにしたのだが
当たり前だけど卒業式ってみんな可愛くしてくる一大イベントだから
わたしは当日あまりにもヒラヒラしてて、女の子らしくて、かわいいみんなの衣装をみて愕然とした
あっ、みんなそういう感じなんですかっ
って一瞬で悟って帰りたくなった
マジ家帰りたい
登校してすぐ直帰
卒業式だけど
で、たびたびその後の人生でも
そういうシーンはあってその度に凹んできた。
基本カジュアル寄りで地味めの服しかなく
長らくベージュと仲良しの母の呪いにかかり続けていた
自分で選んでるのに
一時期ベージュしか選べない時期あった
魔のベージュ期
どんな時期やねん
で、いつもまわりの女の子たちが可愛くて
ただ眺めてるだけだった
それをずっとわたしは
「わたしには似合わない」
で片付けていたのだ
「わたしは地味」
「わたしはかわいくない」
「わたしはダサい」
おしゃれでかわいくて
何着ても似合う女の子を見て
ただただ羨ましく思ってた
自分には知識が無さすぎたし
やってみようとしてもうまくいかなくて
結局自分に似合わせられなくて愕然とした
それでもきっと元々服は好きだったのだとは思う
高校生や大学生の時は
なけなしのお金で服を買うのは楽しかった
ただいつも充分なお金は無かったから
厳選してトップスを一枚、とか
ボトムスを一枚、とか
いつまでも靴は同じ、とか
そんな感じで
で、
だいぶ端折るけど
26歳で結婚して子どもがすぐ生まれたんだけど
そこからワンシーズンに一着買えるか買えないかくらいの経済状態に陥った
(まあここは意識の問題なんだけど)
加えて育児
洗える、が大前提になってしまった
しかもワンオペ育児で体調が悪すぎて
顔まで死んでる
地味を凌駕する域。
完全に自分を見失っている
こんなんだから
鏡に映る自分なんて到底好きではなく
「わたしなんてかわいくない、地味」に
拍車をかけていた
そんなわたしが数年前のある時期を境に
内側の意識から
自分を取り戻していく道を歩み始めた
しかし金銭状況も大いに関係するのだが
自分のことはずっと後回しにしたままだった
まず、家族に食わすこと
寒さ暑さを凌ぐこと
家が快適であること
子どもたちが快適であること
わたしは後
わたしは後
わたしは後
その意識はずっと抜けなかった
わたしは26歳で最初の結婚をしたときからずっと
毎年スニーカーを一足買って
それで一年履き潰す、というルーティンを繰り返していた
でも直近3年が一番お金なかったから
一足のスニーカー2年半履いた
ずっと夫から「靴買ってあげたい」って言われてた
今年の7月になってようやく
まとまったお金が入ってくる機会があって
新しいスニーカーを二足いっぺんに買った時は
嬉しくてたまらんくて心の中で泣いた
服も、下着すら買えなくて穴空いたボロボロのパンツはいてるくらいだから
ずっと買えなかったのが
(夫からは買っていいよって言われてたけどお金なくなるの怖すぎて買えなかった)
ようやく入ってきたお金もって
H&Mで総額数千円だけど
久しぶりに自分の服、買いにいったとき
心の中で泣きながら試着室で嬉しさを味わってた
その時の気持ちがまさに
「服ってたのしい!」だったのだ
それが今年の8月の話。
そう
ついこないだの話。
わたしはさ
happy理論を一生懸命やって
身近な人にはすごいと言われるくらいにまで
コツコツ実践はしてきて
ドン底の時に比べたら
意識は180度変わったよ
だけどね
ゆかりの人生は
始まったばかりなんだよ
つい数ヶ月前に
生まれたようなものだよ
何が好きで
何にときめいて
どんな雰囲気が好きで
何をやりたいか
頭の中では色々やってきたけど
まだ頭の中でやってきただけ。
実際に自分の肉体でやってみるのは
ゼロからのスタート、ぐらいの話で
本当にかわいい!と思える服との出会いとか
スニーカー以外の理想の靴に出会えた喜びとか
丁寧にスキンケアしたあとの最高のお肌とか
頭のてっぺんから爪先まで
最高に気に入ったものに包まれた時の感動とか
そういう瞬間に
わたし、出会いたいんだよ
今度はわたしの肉体を
めちゃくちゃ可愛がって
喜ばせてあげたいんだよ
まだまだまだまだ
わたし、なんにも体験してないんだよ
だからこんなんで
めっちゃhappy理論実践してますとか
言うの正直恥ずかしいよ
だからね、
幕張でランウェイ歩きたいとか
そういう以前の話なんだよ
この「ゆかりちゃん」を
お買い物連れてってあげて
かわいいパンプス買ってあげたいの
いっつもスニーカーだから
かわいい靴欲しかったよねって
書いてて泣ける
きっと今の状態で
おっきなイベント行って
キラキラしてるみんな見たって
心から応援できない
いいないいな、かわいいなって
思って帰ってくるだけだ
だからまず
わたしは自分に服を買ってあげたい
美容室にも行ってあげたい
めちゃくちゃかわいいやんって
テンション上がる自分にしてあげたい
いつも頑張ってる自分に
ちゃんと時間もエネルギーもお金も
かけてあげたいんだ
それがもう極まりすぎちゃって
いつもありがとう、って言ってもらえるけれど
全然はいってこない
結局こじらせすぎちゃって
夫には申し訳なく思ってるよ
子どもたちも預けて
いっぱいお金持って
自分の好きに集中させてあげよう
地味の呪いをここで全て成仏させよう
スイスイさんが出会った
「服ってたのしい」の
最高の瞬間を自分にもあげよう。
それだけのことなんだけど
それだけでわたしはすごく喜ぶ
やっぱりわたしは泣くと思う
本当のわたしは
どんなものが好きなのか
一緒に探してあげるんだ
この間
ウェディングドレス着せてもらって
自分を見失ってた時期に比べたらかなり良くなったよw
このとき、みんなにたくさんおめでとうって言われたけど
その「おめでとう」は
ゆかりがついにゆかりと出会っていくことへの
「おめでとう」だったのだ
デザイナーのKEITAさん(丸山邸のKEITA MARUYAMAさん)も言っていた
「服で人生は変わるから」
わたしももっともっと人生を変えていく
たくさんの小さな奇跡を
これから起こしていくよ
わたしも
みんなも
楽しみにしててね