思想的バベルの塔建設予定地~神の思想に踏み込むまでの軌跡~

思想的バベルの塔建設予定地~神の思想に踏み込むまでの軌跡~

なんか暇人がやりたい放題やるそうです
勢いで書くことに熱が乗ると考えているため、推敲とか校正はほとんどしません。

Amebaでブログを始めよう!

優柔不断は最高で最低の精神だと思うっていう話。


とある人に話そうと思ったけど、長いので文面に向かないためにこちらに書いておこうと思います。

この世には境界の不明瞭なものがたくさんあります。今回は私たちのうちの一人が高校生時代に説いた「光度」についての文系的な表現と理系的な表現についてお話します。

文学的な表現で、光度示す簡単な言葉として、「明るさ」という言葉と「暗さ」という言葉があります。文学的表現は多様で他にも比喩を用いることで無数の光の表現があります。しかしながら、端的に光の強さのみを端的に記した言葉は「明るさ」と「暗さ」しかないのではないでしょうか?

まずは簡単に文学的な光度の「明るさ」と「暗さ」について掘り下げましょう。私にこの話をしてきた人は明るさとは日の光や電気の光対してする表現で、暗さとは光がないものが照らされている時に使われているといっていました。

実際に、三省堂の大辞林によると、「明るい」は「光が十分にある状態である。また、そのように感じられる状態である。 」とあり、「暗い」は「光の量が少なく、物がよく見えない状態である。明るさが足りない。」とあります。

辞書の結果から、実際に光がある・光があるように見えるものに対して「明るさ」と使い、光がない・光が少ないように見えるものに対して「暗さ」と先人たち・私たちの多くは表現していたことがわかるかと思います。

雑に表現してしまえば、「光」があれば明るさ。「光」がなければ暗さ、なのでしょう。

では、理系的な光度の表現はなんなのでしょうか? 理系とは常にパラメータを大事にします。常に答えが一つのような印象がありますが、面白いことに光度の単位は2つあります。

何が面白いのか? と思われると思います。長さの単位だって、複数あるじゃないか? キロメートルとメートル、オングストロームのように長さように複数の単位があるじゃないか。

光の単位は少し様子が違います。光の単位の有名なものとして、ルーメンとルクスがあります。ルーメンとルクスは長さのように、「xメートル= yキロメートル」と表せず、そもそもの概念が違います。

端的に言えば、ルーメンとは光自体の単位。ルクスとは照らさている場所の光の強さの単位。

まだ話が見えないかと思います。そこで、このタイミングでこれを先ほど引用した文学的な表現に落とし込んで考えてみたいと思います。

ルクスが表現する照らされている場所の光の強さの単位。「照らされている」つまりは照らされないと光がないものに対する単位……いわば、「暗さの単位」と言えるのではないでしょうか?

逆に言えば、ルーメンは光自体の単位。ルーメンは光を発さないものに対しては使えない単位。つまりは、ルーメンを使うときは必ず光がある単位……いわざ、「明るさの単位」と言えるのではないしょうか?

何が言いたいのか? 理系の単位もまた文系の微妙な言葉を表現していることがあるということです。

私はこの話を聞いてから、理系と文系をわける必要はどこまであるのかと思うようになりました。

皆さんはどこかで、理系ははっきりしてて、文系はぼんやりとしている。理系は非情緒的、文系は情緒的のように対立項にしているような気がします。私もそうでした。

しかし、実際は境界はあいまいなのかもしれません。光度という目で測れないモノに対して、一方は言葉と表現を用いて、もう一方は単位と数字を用いて、具体物として表現しているだけなのではないでしょうか?

昔書かせていただきましたが、かつての哲学は今でいう、文系としての哲学と理系としての科学の両方を包括しているものでした。(https://ameblo.jp/babel-tetsu/entry-12298767661.html

文系と理系は、「いったい何なのか」という何かしらの疑問について、時に異なるプロセスで、時に同じプロセスで考えているだけで、向かう方向は同じで明確に区別する必要がないのでは? というのがこの記事の要旨になります。

私たちはこれをあいまいの美学だと思います。あいまいさとは時に思考の広がりを生み、相反すると思われていた二つの概念(今回は理系と文系)を結びつけます。

何かを考えるときは、あえて「あいまい」にしてみるのはどうでしょうか? また別の記事で書くかもしれませんが、考えるときはあいまいでいいんです! なぜなら、あくまであなたの脳内だからだれにも迷惑かけないですから。大事なのはあいまいな回答を出さないこと。思考段階ではあいまい「でも」いいんです。


はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。