追浜の駅に立つと、思い出す友達がいる。

 

小学3年の時、初めて同じクラスになり、どんなきっかけか忘れたけれど、

 

一学期を終える頃には、とても親しい友達になっていた。

 

小学5年6年と中学1年は、別のクラスだったけど、

 

その間も、お互いの家を行き来していて、

 

中学2年3年で、再び同じクラスになった。

 

中3になった頃から友達は体調を崩し、よく学校を休む様になっていた。

 

2週間くらい入院した事も何度か有った様だ。

 

私は、学校からのお知らせプリントや、

 

その日に習った事を、破ったノートの紙に書き写し学校帰りに友人宅に届けたりした。

 

そして、

 

高校2年生になると、友達は(Aちゃんとします)再び体調が悪化、

 

Aちゃんは2年生の一年間の休学療養を経て、4年で高校を卒業した。

 

その間会う事は無かったけれど、手紙のやり取りは続いていた。

 

私達より一年遅れて、Aちゃんは横須賀の或る大学に入学した。

 

ご両親が、教師だった事も有って(教師になって欲しかった様だったけれど)

 

友達は、養護教諭(保健室の先生)の資格を取りたいと言っていた。

 

私の母の癌闘病の悪化も有って、

 

手紙のやり取り(会おうね〜と言いながら)のみだった。

 

私が20歳になる少し前の4月に母は亡くなり、

 

暫くしてAちゃんに近況報告の手紙を書いた。

 

Aちゃんから届いた返事には、私の母の死を悼む文言は一つも無く、

 

私に対する人格否定と罵る文面で埋め尽くされていた。

 

酷い言葉に怒りが湧き、恥ずかしい気持ちになった。

 

私は気分が悪くなり、手紙を書く気も失せてそのままにしていた。

 

暫くすると、Aちゃんから再び手紙が届いた。

 

今度は何が書かれているのか、恐る恐る封を開けると、

 

前回の手紙で、「気を悪くしてたらごめんなさい」の内容の手紙だった。

 

それでも、もう私は返事を書く気になれなかった。

 

それが、6月頃の事だったと記憶している。

 

8月になって、母の新盆を終えてから数日後、

 

兄から私のアパート(大家さん呼び出し)に電話が来た。

 

Aちゃんが心不全で亡くなったと…

 

その時、私は何故か余りショックを受けなかった様に記憶している。

 

母を亡くしたショックを引きずっていたからかも知れない。

 

同級生達と葬儀に参列したけれど、何故か棺の蓋は閉じままで、

 

Aちゃんと対面での最後のお別れをする事は出来なかった。

 

 

葬儀の帰り、久しぶりに会った同級生達と喫茶店に入った。

 

その中の一人、気は良いけど噂大好きの同級生が、

 

Aちゃんが亡くなる前の夜、

 

近所中に響き渡る程の大きな、お父さんの怒鳴り声が長い事聞こえていた事。

 

Aちゃんは、その翌早朝、自ら命を絶ったらしい(噂)

 

噂話であっても、繊細な彼女ならあり得ると何となく思った。

 

同級生による噂話は、その後も続いたけれど、

 

Aちゃんには、もう会えない。

 

 

月日が経つ毎に、「無理にでも会っておけばよかった」と後悔した。

 

今は、大学の名称も変わってしまい、

 

街の景色も変わったであろう追浜の街。

 

4ヶ月間通った大学の在るこの街でAちゃんはどんな風に過ごしていたのだろう〜

 

Aちゃんが居なくなって、46年が経とうとしている。

 

けれど、

 

彼女は、今も忘れず私の記憶の中で生きている。

 

 

「ね〜〜 かりんこちゃん、すごく良い処でしょう🎶」

 

私はAちゃんに導かれて、この街に来たのかも知れない。

 

この街に来て以来、

 

時に、横須賀の海を眺め彼女に話しかけている。

 

「ホント、いい処だね〜」と…

 

 

       

 

    ツル日々草が咲き始めました♪

 

 

 

午後になりましたが、今日もお元気にお過ごし下さい😊