失言などその大臣としての能力に懸念を持たれていた桜田義孝五輪相が失言をきっかけに辞任した。
多くの識者や野党はこの元大臣の資質について「人はいいが難あり」との評価をしていた。それでも「大臣」になれるというのはどういうことなのだろうか。
大臣には総理大臣を除き民間人もなれるがその多くは国会議員。その国会議員も多くは政治家ではなく家業としている「政治屋」。国民の選挙への関心が薄れてきているというのもそうした背景があるというのも十分に理解できる。国会議員1人当たりの歳費を含めた資質が億円を超えるというがこの高額ないや金のかかる議員の在り方を変えられないものだろうか。
そうした提案をしてもそれを決めるのは今現在の国会議員のみなさんであり、野党も含め同意するはずがない。ここで日本の政治は止まってしまう。根本からやり替えるいい方法はないものだろうか。といって過激な方法は望まないが税金が「国会議員のご都合で勝手気ままに使われる」事態は国民として理解し難く、「政府」にまかせておけない非常事態になっているといえるのでなかろうか。
なぜああした人たちが「選良」国民から選ばれてしまうのか。将来の国政選挙では「名ばかりの『主権在民国家』脱却党」なる国民の国民による国民ための政党はできないものかと期待したい。当然支持率が視力検査並と揶揄されている現在の野党がそうなることは期待もしていないしなってほしくもないが。