先日の小学3.4年生の子供のレッスンを見ていて
上手になったんだけど
この子達、踊ってて楽しいのかな?
と、疑問を感じました。
そこで同じ動きで
《みんなの真似》と
《先生だったらこう踊りたい》
という、2種類の躍りを見せました。
すると、子供たちの動きがガラッと変わりました。
私自身も驚きました。
去年は低学年だったこの子達
去年までは理解できなかったことが
今年は理解できるようになったみたい。
年のせいなのか
できることが多くなったからなのか
わからないけれど
ガラッと動きが変わった瞬間と
目の輝きが忘れられません。
このときに
《見せる》ことの大切さを改めて実感しました。
最近考えること。
《踊る》ということは
どういうことなんでしょう。
人によって違うのかな。
リズムに合わせて体を動かし
飛んで回って足をあげることも
《踊る》ということだと思います。
でも、私の考える《踊る》というのは
言葉がまとまらないけれど
音楽を感じ
音楽を表現し
それを通して役を表現し
そして、自分を表現する。
んー難しいけど。
そうやって自分を表現することで
新たな発見ができる。
今回、子供たちに伝えたかったのは
毎回の練習でチャレンジをして欲しい
ピケ アラベスクひとつでも
色んなやり方
色んな表現の仕方があること
ポーズでためるためには
バランス力が必要だったり
確実なテクニックが必要だったりと、
表現するために
基礎や技術を磨くことが必要なのだけど
失敗を恐れて
毎回同じやり方、同じ躍り方をするのではなく
自分なりに毎回チャレンジして欲しいこと
感じたまま、踊りたいように踊ってみることも
ありだということ
そうしていくなかで
テクニックが身に付くこともあるから。
子供はわりと感動をすぐに表現できます。
でも、大人になればなるほど
楽を知り、変化を恐れて
やり方をかえたりチャレンジすることから逃げてしまう。
わたしもそうだから(^-^;
教えるというなかで
本気でぶつかるのは
心身ともにとても大変なことです。
その相手が
大人であれ子供であれ。
そして、こちらがいくら本気を出しても
変えられない人もいます。
まだ輝いていないダイヤの原石の
磨き方を教えるのは先生の役目だけど
磨くのは自分自身でやらないと
いつまでたっても形が変わらなくて
キラキラが出てこない。
でも、キラキラが見えたときの感動を
私は知っているから
それを伝えたいし
そのキラキラが見えなくなったときの辛さも
私は知っているから
やり方はひとつじゃないこと。
やり続けるエネルギーを
伝えたい。
それを伝える手段が
私には《バレエ》しかないから
でも、《バレエ》で伝えられるから
伝えたい。
そう思いました。
今年も教え先の発表会の準備が始まりました。
昨年は、骨折していて『見せてあげる』ということができませんでした。
だから今回は、私の体力が持つ限り
たくさんお手本を見せてあげたいと思ってます。
私も、まだ現役をやめるつもりはありません。
だからこそ、
私のダイヤを磨きの手を止めてはいけないと
この記事を書きながら
改めて強く心に刻むのでした✨
手を止めた瞬間から
輝きを失ってしまうから