今日のGメールによると、二川と加地はほぼ完全復活のようですね。

遠藤も軽症のようだし、あとはレアンドロ。レアンドロの調子はどうなんだろう?

レアンドロが復帰すればようやく2009ガンバを見ることができますね。


新潟戦のスタメンは???

今日の練習試合でバンドがハットトリックを決めて調子がいいみたいなので

FWはJJとバンドのツートップか。

OMFはフタとルーカスとみた。遠藤はまだ様子見か。フタが疲れたところで遠藤にチェンジ。宇佐美は??ボランチが難しい。明神が負傷しており、ハッシーも代表帰り。武井が今日の練習試合で一番長くプレーしたらしいので、もしかしたら武井のスタメンもありか。ハッシーと明神のコンディションしだいですね。

DFは左から下平、高木、中澤、加地! でも西野監督は山口を使うんだろうな・・・。あ!山口は出場停止ですね。コメント(消えてしまいました・・・)でご指摘を受けました。中断ですっかり忘れていました。GKは藤ヶ谷ね。






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勝手にシリーズ化しております。


記憶に残る衝撃のプレーその3


1981年度(かな?)  清水東高校サッカー部


ケンペス、マラドーナと続いて、今回は意外にも(?)日本、それも高校サッカーです。

清水東高校と言えば、多数の名プレイヤーを輩出した名門サッカー部として有名ですが、静岡県有数の進学校としても知られています。

古くは、快速ウイング杉山、長澤まさみのお父さんもそうですね。有名なのは、堀池、長谷川、大榎のいわゆる清水三羽烏。武田もそうですね。記憶に新しいところでは、相馬とか西澤、高原もそうですね。

その中で僕の「記憶に残る衝撃の『チーム』」が、確か1980~1981年あたりのチームです。このチームの主力が、ベルマーレの反町監督、オランダリーグでもプレーした望月達也さん、ジェフの沢入コーチ三羽烏は2つ下ぐらいでしょうか・・。


なぜ、僕にとって、「記憶に残る衝撃の『チーム』」なのか・・・・。


これで本当に年齢がばれますが、僕は彼らと同世代です。同じ時期に、インターハイや正月の国立を(一応)目指していた高校サッカー部員でした。僕の高校は当時うまくいけば県内ベスト4ぐらいのレベルでした。でもトップの高校にはどうしても勝てない、というか、かなり力の差がありました。その高校がインターハイも選手権も県代表だったわけですが、確か選手権で対戦したのが、上記の清水東でした。

僕にとっては県代表の高校を介して清水東というスーパーチームの力を感じることができると思い、テレビ中継を食い入るように観たのでした。そしてそこで観たゲーム展開・・・。僕にとっては衝撃的でした。


僕らがそのチームと対戦するときはせいぜい「惜敗」まで持っていくのが精一杯でしたが、そのチームを相手に清水東が一方的に試合を支配しているのです。その頃は、「ボール・ポゼッション」なんて言葉はなかったですが、感覚的には70:30ぐらいだったような気がします。

特に望月選手のテクニックはもうほんとうにすごかった。サッカーパンツの紐を結ばずにてろ~んと垂らしているのが妙にかっこよくてまねしましたね。あと、スパイクがみんな鬼塚タイガー(現在のアシックスですね)のボンバー55なんですね。ボンバー55。全国高校生でもっともポピュラーなシューズだったんじゃないだろうか。お金がある人は、鬼塚だとインジェクターとかはいていました。ボンバー55はしばらく使っていると、先端の甲の部分が割れてくるんですね。それをテーピングでぐるぐる巻きにしてもう限界まで使ってました。値段は5000円ぐらい?僕は練習用がボンバー55で、試合用が先輩からもらったインジェクターモスコー(カンガルー皮!)でしたが、あの有名な清水東の選手は、選手権の舞台でもボンバー55をはいている(たぶん)のにも衝撃を受けました。

話は戻りますが、わが県代表が手も足も出ない。それぐらいの一方的な展開に、そのチームを介して自分の力を測り、衝撃と絶望的な距離感を感じたのでした・・・・・。


ところが、一方的でもそれがイコール得点につながらないのがサッカーのおもしろさ。

この試合も確か1対1ぐらいで引き分けたんじゃなかったかな?で、PK合戦で清水東の勝利。

そのまま決勝戦まで行って、負けたような記憶があります。


間接的ではありますが自分との距離感を理解したという一点において、僕にとってもっとも衝撃的なチームだったと言えます。