やはり一度緩んだ緊張感は簡単には戻らない・・・
そういった趣の昨日の日本対カタール。
その中でガンバサポとしてはそれなりに楽しめたのは
背番号7番を背負ったハッシーのプレーでした。
インタビューで、「この背番号はいやでした」と答えていますね。そりゃあそうですよね。
7番といえば、ヒデ⇒ヤットと受け継がれた番号。まさに代表の中心選手の象徴です。
マンUの7番みたいなものでしょうか。
前半はなかなかゲームに入っていけず右往左往している感じでしたが、後半はかなりボールに絡んで、いい縦パスも出していたように見えました。ただし、遠藤のような「時間を作るプレー」や長谷部のような推進力は、阿部ちゃん共々不足していましたね。
遠藤は歩いている分には普通に見えましたが、新潟戦は厳しいかもしれません。川崎戦に間に合ってほしいものです。
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記憶に残る衝撃のプレー その2
1979年ワールドユース日本大会決勝戦 マラドーナの驚愕FK
当時私は高校生でした。(年齢がだいたいわかると思いますが・・・。)
高校のサッカー部の練習終了後に監督の家でサッカー部のみんなで見た記憶があります。
決勝戦、アルゼンチン対ソ連。
年齢的には自分たちとそれほど変わらないのに、やっているプレーは驚愕モノでした。
特に、マラドーナが決めたバナナシュートのFK!確か決勝戦だったと思うんですけど・・・。
記憶に鮮明に残っているのは、アルゼンチン側から見てペナルティエリア右角の少し外側から、マラドーナがすごい確度で曲がり落ちるバナナシュートをゴール左側(アルゼンチン側から見て)にどっかーんと決めたシーン。どうしてボールがあんなスピードで曲がって落ちるのか!?
当時は今のようにボールがよくなかったので(たぶんアディダス社のタンゴ)、C・ロナウドのような蹴り方をする選手はあまりいなかったと思います。ボールの外側をこすりあげるように蹴るのが主流。マラドーナもジーコも木村和司(昨日のNHKの解説ではかなりケンゴーに対して厳しかったですね。)もそうだったと思います。
スピードとかパワーに自信の無かった高校生の僕は、プレースキックは誰にも邪魔されずに蹴れるので、この驚愕のFKを見て、ワンステップで蹴るFKの練習をよくやるようになりました。
ちなみに、当時のアルゼンチンユース代表には元マリノスのラモン・ディアスがいて、マラドーナとのコンビでバシバシ点とってました。その記憶が鮮明だったので、マリノスに入団すると聞いたときは本当にびっくりしました。
日本は開催国として出場していました。確か風間さんがキャプテンじゃなかったかなあ。(尾崎さんだったとご指摘をいただきました。すいません。) 高校生から唯一帝京高校の名取篤選手が出場していました。(現在の新潟の鈴木監督も高校生だったみたいです。これまたすいません。) 当時は、全国高校生の憧れの存在だったと思います。帝京高校サッカー部が履いているペラーダ・スターというスパイクもかっこよかった。田舎の高校生には憧れでした。