相手に言葉を言ってもらう、っていうのはずるい事なんじゃ無いのかなって思う。
今日は行きたくないな、って言葉。それを自分で言えばいいのに、相手が行きたくないならいってねーって言うまで、もごもごしてしまった事が仕事帰りにあった。
ずるいけど、これは自分の中にずっとある「断わるのが苦手」っていうものだと思う。断るのが苦手なのはなぜなんだろう。

誰かからの頼み事の時、どう思われるか、を優先して考えてしまうのだと思う。

自分がどうで、どういう状態だからどうする、という事が言えないときがある。言えるときもたまにある。
言えないから相手がそう言ってくれるまで待つ、言葉で示さずにちょっと微妙だなというそぶりをみせてわかってもらおうとする。これは自分で思う自分のあまり好ましくないところだと思う。

相手が誘ってくれたとして、それにいい返事を返す事が出来ない。どう言おうか。傷つける事にならないか。がっかりしないか。相手の反応を自分の中で想像してしまう。

ただ、想像してしまったとしても、それは想像でしか無いので、現実にそうなる確率は絶対では無いし、自分が思っているほど高くない。

同時に、自分が言わない事で相手に負担をかける事の方が確実性としてある。

相手の質問に対しての返答をお誘いに他対しての返答を、相手に察してもらうよりは「自分の意思」として伝える事が出来るのが、一番最高だ。自分の責任になるし、自分の言葉になる。それを言う事で崩れるような関係な訳では無いから、安心していい。それで嫌われるような事がないから安心していい。

「相手に察してもらって断る」より「自分が決めて断る」

断る理由は、相手のためでもある。
自分がいろいろな理由で断りたいと思ったとき、断りづらくてお誘いにのってなあなあな態度をしてしまったとしたら、それこそ本末転倒。
だったら、今は断って、次の機会にすっきりとした気持ちでこちらから誘ったり、向こうのお誘いに乗ったりする方が相手のためでもある。し、お互いのためでもある。

自分の意に反した行動をししようとする時は、ただのご機嫌取りになっていないかを注意深く自分を観察しよう。
その行動がひいては相手のためになるものなのか、一時しのぎのものなのか、よーーーく考えるんだ。だ。