600人分を用意し持っていき、朝は120くらい出たかな?
近所の方々も来てくれた。
揚げたて唐揚げをパクっ おいし~い


朝ご飯を終え
9:00まで休憩~なんて声がかかった。けど、お昼は、もっともっと近所の方々を呼ぶ 300人分だということで休憩なし。
時計はまだ10:00だというのに、気分は夕方…

そりゃそうだよ。出発日は午前中から仕込みをして、午後からはなんだかんだ、寝る時間はとれず…行きの車内でも、ろくに寝れず…。テンションハイになったあとは疲れがどっとくる。

校内にあった時計を見て誰かが言った。「今10時か?あの時計壊れてるだろー」と。いやいや、壊れていません。きっと皆が同じ気分だったんだろなー。
けど「何があっても笑顔」これを誰一人忘れなかった。

150人分を用意した頃、お昼の時間に。別の避難所からの方々もきて、どんどんなくなった。一気に30、50と…
そして少し落ち着いた頃…






「ここじゃないんだよなー。向こうの人、怒っちゃってるよー。」


えっ?
一瞬『???』
ってなったけど、
ほんと一瞬で現実に戻った。
学校は高台にあり、海が見え良い所!と言いたいが、今はそう言えない。

トイレに行きたく体育館へ入ると避難していか方々が寝ている。いや、皆眠れないはずだ…

着いてすぐに、食事の準備を始めた。7:30が朝食の時間だったので、その時間に間に合うように。私たちが行った前の日には、電気が通ったようで、おにぎりは現地で用意していた。おにぎり+私たちが用意した豚汁と朝から…唐揚げ;

けどねっ「美味しかったよ~」って戻ってきて伝えてくれる方も多くて嬉しかったな。今回行ったところは、70~80名の避難者がいたんだけど、震災直後は、この倍の方々がいたんだって。

たまたま隣に立っていたおじさんの独り言のような声が聞こえた。始めたは聞き取れなかったけど…「船買ったのに流されちったなーまた買うか~買えねえだろな~家も流されたしなー」と。 私はそれに対し、聞こえないふりをしたんだ。何と言葉をかける?こんなガキに何を言われたらホッとする?もし、これ以上の傷をつけたら…って恐かった。本音。一瞬、おじさんの顔をみたけど、目は合わせなかった。ごめんなさい。あの時に吐いた言葉には、どんな意味があったのですか?知ることが出来ず、ごめんなさい。
行ってきました。
2日の夜に出発し
3日の明け方到着。

法人の方々と行ったのだが、特養からは、私のみ。しかも、皆さん親世代ガーン足手まといにならぬよう、動こうって思いながら、少し緊張ショック!
「温かいものを提供」が
今回の目当て。
会社の方々に見送られ
走る走る
100キロ毎に
休憩を入れながら向かう。外の空気は気持ち良かったなー。あっ、郡山でも、沢山の空気を吸った。;

そして、気仙沼に入ると津波のあとを目の当たりにする。まだ薄暗い5:00頃。
ウトウトしていたとこで、隣の方に目を覚ましてもらった。

うん。言葉が出ない。この瓦礫の中に人がいるのかも…なんて思ったら、少し恐怖も感じた。

~アップダウンが激しい道を進む。。道路は砂利道。道は通行止め。道路だけは、通れるように、瓦礫は道の脇にどかされてた。近くまで来てるのに、なかなか着かない。薄暗い中、人影もある。

もし、道の反対側に家があったら…。あと100メートル先に建てていたら…。あと1m高いところにあったら…。家は残っていた…。現地に来たら、家の中が水浸しでも、家の姿が残っているだけで、幸せなのかもしれないと思えた。
陸前高田に入ってからも、町の姿は変わらない。さら地。一ヶ所に家が集まってる。アパートの4階の窓が津波で壊されてた。建物がそのまま海に沈んでる。
水はまだ引かず、臭いもある。

そんな町を見ながら
目的地大船渡へ到着。