Boogie Woogie Pallie


今回はプロフィール関係の文字入りで頼まれたんですわ。

だからそれを省いた感じで載せましたわ。


最近は油絵的な仕上げにするのがお気に入りである。
(あくまでも、「的な」)


スキルやセンスの向上なんてまったくしていないということはさておき。


やはり友人の門出に自分のつくったものを使ってもらえるというのは嬉しいなぁ。

へたっぴでびっくりするけどもね。

申し訳ないけどこれが限界ですことよ。



自分の時がいつ来るか分からぬけれども、その時は木でも彫りたい。

というか、何というか、木を彫りたくなってはや1年以上経つのだが。

木、彫りたい。

別に仏像じゃなくていいから。




名古屋で大学時代の先輩の結婚式。



センスフルなインビテーションカードが届いた時から、数ヶ月something colorfulというドレスコードにあれこれと頭を悩ませた。



けっきょく黒の封印のみ決行して、ベージュ+レンガ系オレンジというカラフルかどうか分からない色味で参戦いたしました。



予想通り終始オシャレな式であった。



笑顔がとびきり素敵で美しい新婦様でした。きゅんきゅんしまくり!


そして一緒に参列したサークルの後輩がおもしろすぎてまさに腹筋崩壊しかけたのも良い思い出。

笑い死に、あるで…!と真剣に思った。

みんなにも会えて幸せな週末でありました。



Boogie Woogie Pallie-attachment00.jpg
…なんだけどなぁ!
何か両方ともに変な顔してしまった。
カメラ向けたとたん動くからだよ!
 
それまではおとなしかったのに。
 
二代目お犬であります。
私たちは元気です。
自分で書いた文章に自分自身が読みふけってしまうと。

読みふけってしまって、あ、そうなんだそれでいいんだ。と。

何か元気づけられてしまうこともあるみたいで。


ずっとずっと前に書いた記事をふと読み返すきっかけがあった(というよりさかのぼってたらたまたま目についた)というだけなのだけど。


すごく元気をもらったしこれでいいんだなと思えて嬉しかった。


6月に死ぬ思いでこなした講義の中で、学生さんに向けて「いまあなたたちが一生懸命書いた文章は、必ず未来のあなたたちに何かを語りかけてくれる、対話を求めてくる。書くことの意味のひとつはそこにある。」と話したけど。

実際に自分自身がそれを体験するとは思わなかった。

結構いいこと言ったのではないのか。

彼らの心に響いたかどうかは別として。


頭の中で、もやもやと考えていることを、誰が読むわけでもないようなところで一生懸命書くこと。

結局それは、過去・現在・未来の自分との対話のためだということなんだね。

あのとき、未来の自分が読んで「あ、そうかぁ」と言うことを想定していたわけではないけれど。


あ、そうかぁ。って思った。

気持ちもすっと楽になる。


穏やかと言えば穏やか。
年末に急に決まったイギリスでの研究交流ひとり旅が待ちかまえているせいでちっとも気持ちは休まらないけれども。

そして最近、Twitterとfacebookの使い分けっぷりがよく分からんくなってきて結局戻ってくるblogの心やすさ。


今日残しておきたかったのは、郵便局でのひとこま。
昨日、論文完成おめでとうのごほうびに、とある先生から手作りリンゴジャムをいただいたのである。
元国語の先生らしく、ものすごく丁寧できれいで伸びやかな字のお手紙とともに。

もともと夏に毎年開催されている小さな学会でふとしたきっかけからお知り合いになったのだけれど。
それから、かなりの頻度でお手紙のやり取りをしていたものの、論文執筆の忙しさにかまけてしばらくお手紙送るのを止めていて、執筆し終えてからその報告も兼ねて寒中見舞いを出したのが再開のきっかけ。

そうすると、ねぎらいのお手紙と一緒にリンゴジャムが届いたのである。


それがとてもとても美味しくて、味とか食感が美味しいとか依然にやっぱり先生のねぎらいのお気持ちとかそういうあたたかみを感じることのできるものだから、心動かされるくらいに美味しく感じたのだと思われる。


それはよいとして、今日はそのお礼状を書いて郵便局に出しに行ったのである。
ついでに25日締め切りのゲラ原稿も一緒に。
25日に間に合いますか~という確認も込めて。

持っていた切手が50円だけだったから、80円切手を貼って出してもらうつもり。
記念切手みたいなきれいな切手にして欲しいです~て言おうと思ったけど、何となくまぁいいか…と諦めると受付のお姉さんが。

「これ、きれいでしょ~ちょっとこだわってみた☆封筒の花柄と似てるでしょ?」


うむ。
似ている感じ。雰囲気。
いや、それが似ているかどうかはどうでもよくって(いや、雰囲気似てるのよ)そうやって切手1枚ちょっとしたことにこだわってくれたお姉さんの気持ちが嬉しくて。
とっても嬉しくて、つい「嬉しいです!」と言ったのである。

便せん一枚、封筒一枚、切手一枚。
文字ひとつ、ことばひとつ。

ちょっとしたことにこだわって、ちょっとしたことに気持ちを込めることで、ひとは生活を豊かにすることができるのだと思う。
それが、「丁寧に暮らす」ということなのだと思う。


お手紙って、そういうところにこだわることができて、やっぱり素敵な文化だと感じるのである。

世の中がスマホやタブレットのようにどんどんペーパーフリーが当たり前になろうとも、私の頭の中はやっぱりアナログで、紙の文化が大好きで、たぶんこれからも変わらないと思うのである。
そういう進歩を拒否することはなくて、スマホも好きだしiPadも欲しいなぁとか思ってるけど。
メールも便利だと思うけど。


この間兄に、私は「視覚優位」な人間だと指摘されたこととも少し関連している。
いつの日だったか、「紙という思考の場」を大事にしたいみたいな記事を書いたような気がする。
紙という厚みのある実体のあるものの上で、私の思考は展開していくのだと思う。
その紙の上で見えているものを、そのまま頭の中に視覚イメージとして取り込むことで、いろいろなことを覚えたり考えたりすることが始まるのである。
一覧性ってやつの効力をふんだんに使っているらしい。
それは記憶したり考えたりすることにとってとても便利な一方で、やっぱりペーパーレスの文化にはなじめない欠点も持っているのかもしれない。


こんなことに気づいてしまったから、私はたぶん死ぬまで紙派という化石として生きていくのである。





途中からどうでもいいことだけど。
とにかく郵便局のできごとが嬉しかったということのみ。