日蓮宗総本山身延山久遠寺の門前町を上から下へ、下から上へと歩いてきた。

平日の午前中と言うこともあり街は閑散としていたが春の日差しはとても温かかった。


門前町の特色かどうかは不明だが、シックに落ち着いていた。

傾斜のきついな坂道もなんとなく風情があった。


旅館を覗き込んだらとても素晴らしく、何時までも佇んでいたい雰囲気を醸していた。


これが、一時の静寂なのかと密かに思った。

 友、遠方より気た。夕方の追い込みの時間に電話が鳴る。「先生、カナオカさんから3番です。」と、誰かが声を上げた。「ハイ。代わりました。」と、話し出す。「フジハラ、久し振り。俺だ。」と電話の向こうで話し出した。「今どこにいる。」と続ける。「今、事務所だ。」と、答えると。電話の向こうで、「じゃあ、後、10分で行くからな。」と、電話を切った。
 暫くして、彼奴はやってきた。千葉県は房総半島からやってきた。大学時代からの友人だが彼奴の行動には昔からパターンがなく、神出鬼没だ。「今日はいたけど、いなかったらどうするつもりだ。」と言うと、「いいの、いいの。お前が居なかったら、お約束の枇杷を置いていくから。」と、至って気にしていない。なんでも、研修で知りあった女性が甲府にいて、そこにも枇杷を届けるのだと言う。「彼女とはアポを取ってあるのか。」の問いかけに、彼奴はこれから電話をすると言う。なんとも呆れた奴だ。
 自身の家も神社なのだが、鹿島神社だか香取神社だかに神事の手伝いに行ったり、皇居の神事に出かけたりとそれなりに忙しいと話していた。彼奴は自由奔放に生きていると内心羨ましかった。
 旧友は良い。気分がリフレッシュする。
 彼奴が持参した理由は、「枇杷は傷みやすい。送ると箱に蓋をするから鮮度が落ちる。だから、箱に入れて蓋をしないで持って来た。」と、説得力のない事を発していた。
 彼奴の携帯がなった。「彼女が帰宅したので。これからそこに行く。」と、僅か、30分程で帰っていた。
 夜、彼の枇杷を食べた。傷ひとつないムツチリめの無垢な枇杷は、ほんのりと酸味がありとても美味かった。
 誕生日の夜は暮れた。

私としての大事業を終えた昨日は、一種の燃え尽き症候群のような状態で必要以外の外出もせず、斑にボーとしていた。
 講演会の聴衆の入りは計画の三分の二程度だったが、懐かしい顔や県内経済界の大物が奥さんと来場してくれたりとか、嬉しさと有難さで一杯だった。ただ、会場の写真を整理してほとんどがピンボケとか構図が不可とかだったのにはがっかりしたが、山梨県や山梨県教育委員会への報告書に資料として添付できるので良しとするか。
 ひとつの事業を完遂させると幾つもの後悔と反省が出てくる。問題は、この反省と事業をどのように評価して、次に繋げるかだ。ここから先は、私の本来業務で今回の事業をキッチリと評価しようと思っている。
 そんなこんなで今朝はいつになく月曜日の早朝からテンションが高い。こんな日の昼食はソース焼きソバを身体が求めるが、でも、米も食べたい。「焼きそばとライス」これは控えめにみてもミスマッチだ。こんなときは、どうしようと新たな問題に真剣に悩む。