とあるご夫婦に託された写真です。

旦那さんのおじいちゃんが、大日本帝国軍の軍医さんだったそうです。
とある地区に赴任を命ずる命令書と、当時の南京の画像を託されましたので公開いたします。
貴重な資料拡散、ぜひともおねがいします
南京1
伏せてある部分には、○○軍医と書いてあります。
名前を伏せてくれ、というご夫婦のご希望でした。
同じ名字だそうです。

読み取れる事は
7月17日の16時に出された命令書。
7月19日の早朝に出発し黒沙村へ行くことを命じている。
衛生下士官2名と共に、医療品を持って行け。
黒沙村に行き、支那住民に施療し、日帰りせよ。
第二中隊の指揮下に入り、支那住民の宣撫を任せる。

といったところです。
施療してやったり宣撫したりと、虐殺からはほど遠いことがわかります。

南京の様子がアルバムに残っていました。
南京2
南京3
南京3-9
支那住民と並んで写真を撮ってあげる
南京3-8
赴任5日目の南京の市場らしいです。活気があります。
南京3-7
支那住民に施療なさってる。虐殺するならば貴重な医薬品を消費するものでしょうか。
南京3-6
民安
日華共存共条と書かれています。
南京3-5
南京3-4
南京3-3
南京3-2
届いた書類の仕分けでしょうか。
南京3-1
平穏な感じが伝わる南京12日目
南京2-9
南京2-8
レクレーションとして、支那住民と日本兵が混合で、綱引きに興じていたようです。
立っている日本兵は笑顔です。
南京2-7
南京2-6
ラジオを聞かせたところ、支那住民が「ものをいう箱はおばけだ」と言ったとのこと。
南京2-5
南京2-4
南京2-3
南京2-2
南京2-1
 天長節を祝う兵士たち

貴重な一次資料をありがとうございました。
これでまた、南京事件は世紀の大噓であるという証拠が増えました!

よかったらこの画像を拡散お願いいたします。

また、「うちにも爺さんのアルバムあるよ~」と言う方、ぜひ自分にご連絡ください。
 

875ex82z@excite.co.jp

です。ご協力、宜しくお願いいたします。