通州事件
それは1937年7月29日の明け方から始まった。
そして一日中続いた。
日本人は友人であるかのように警護者のフリをしていた支那兵による通州の日本人男女、子供等の虐殺は、古代から現代までを見渡して最悪の集団屠殺として歴史に記録されるだろう。
日本人の男性、女性、子供たちは野獣のような支那兵によって追い詰められていった。
家から連れ出され、女子供はこの兵隊の暴漢どもに暴行を受けた。
それから男たちと共にゆっくりと拷問にかけられた。
何時間も女子供の悲鳴が家々から聞こえた。
支那兵が強姦し、拷問をかけていたのだ。
ひどいことには手足を切断され、彼等の同国人が彼等を発見したときには、ほとんどの場合、男女の区別もつかなかった。
多くの場合、死んだ犠牲者は池の中に投げ込まれていた。
水は彼等の血で赤く染まっていた。

状況報告
鼻に針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体が、ゴミばこや壕から続々発見された。
ある飲食店では一家全員が首と両手を切断され惨殺されていた。
14、5歳以上の女性はほとんど強姦され殺害され、旭軒では陰部に箒を押し込んであったり、口に土砂をつめてあったり、腹を縦に断ち割った遺体があった。
東門近くの池には首を縄で縛り両手を合わせて鉄線を貫き6人数珠つなぎにして引き回された形跡のある死体もあり、池は血で赤くなっていた。