FaceBookなどの間で日本は侵略したのかどうかの議論があった。
侵略したんだと言われる方は根拠を示すことが出来ず、かたや侵略はないという方はこのように根拠を示された。
事実である。
以下、引用
鈴木 隆 日本はアジアを侵略などしていません。
台湾・朝鮮半島 → 条約により併合
中国 → 北京議定書に基づき駐屯
タイ → タイ政府による領土通過許可及びその後の条約による駐屯
インドシナ → 松岡・アンリー協定により駐屯
ビルマ → 交戦国イギリス領のため交戦権行使の為に進駐
マレーシア → 同上
シンガポール → 同上
インドネシア → 交戦国オランダ領のため交戦権行使の為に進駐
フィリピン → 交戦国アメリカ領のため交戦権行使の為に進駐
日本が宣戦布告をしたのは欧米諸国に対してであり、当時のアジア各国に対しては宣戦布告をしておりません。そもそも、欧米の植民地であり独立した政府は存在していません。
東南アジアへの進駐は欧米諸国に対しての交戦権行使の為であり、それは侵略ではありません。
中国での駐屯も北京議定書に基づく措置であり、それは日本人居留区、日本大使館などの保護のためであり、日本人居留も満州善後条約等に基づくものです。
満州善後条約
https://ja.wikipedia.org/・・・/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E5%96%84・・・
北部仏印進駐
https://ja.wikipedia.org/・・・/%E4%BB%8F%E5%8D%B0%E9%80%B2・・・
タイ王国進駐
https://ja.wikipedia.org/・・・/%E3%82%BF%E3%82%A4%E7%8E%8B・・・
支那駐屯軍
https://ja.wikipedia.org/・・・/%E6%94%AF%E9%82%A3%E9%A7%90・・・
租借地・租界地
http://www.geocities.jp/keropero2003/zatsu/sokai.html
満州善後条約 - Wikipedia
満州善後条約(満洲善後条約、まんしゅうぜんごじょうやく)とは、1905年(明治38年)12月22日に北京において日本・清国両国間で締結された条約。正式名称は「満洲ニ關スル条約」[1]。中国では「中日会議東三省事宜正約」と呼ばれる[2]。