なぜ韓国はベトナム慰安婦に謝罪しないのか?(2015年5月、Examiner)

http://www.examiner.com/article/why-has-south-korea-still-not-apologized-to-the-vietnam-comfort-women-2
2015年5月27日、examiner(主に市民からの投稿で構成されるメディア)に載った文を翻訳してみます。
訳シンシア・リー

・「なぜ韓国はベトナムの慰安婦に謝罪しないのか?」 Chris Grasso

96周年31節、韓国の朴槿恵大統領は、日本政府に対して第2次大戦中に犯した戦争犯罪を認めるよう改めて促した。しかし、日本には謝罪することを容赦なく要求しながらも、朴大統領はベトナム戦で韓国軍が数千人のベトナム慰安婦を強姦し、暴行し、野蛮に虐殺した事実は、都合良く無視してきた。朴大統領は、責任を回避し、根拠のない報道だと主張することはできないだろう。なぜ韓国がベトナム慰安婦に謝罪しないでいるのか、その理由は、大して難しくない。


米国国家記録管理庁の文書は、当時韓国の虐待と犯罪に対する反論できない証拠を提示している。当時の東京放送ワシントン支局長だったヤマグチノリユキは2014年7月に書いた記事で、国家記録管理庁がホーチミン市(当時はサイゴン)に駐留した米軍司令官がパウエル韓国軍司令官がベトナム派兵韓国軍司令官チェ・ミョンシンに送った手紙を公開したと書いた。この手紙は、米国物資の韓国での違法的な転換、ベトナムの女性が働くための「福祉センター」として使用されるべき施設での売春行為、そして米軍が毎回38ドルを払ってそこを利用した事実を記している。


上の記事は、戦時にベトナム人を相手に韓国が犯した数々の残虐行為の一部を教えてくれるだけだ。生存者たちは、当時、自分たちが経験した性奴隷と虐殺の恐怖の体験談を述べてきた。 2001年、これらの報告が事実であることを認め、韓国の金大中(当時)大統領は、ベトナムのトラン・ドゥックルオン国家主席に会って戦時ベトナムでの韓国の行為について直接謝罪をした。


しかし、金大統領の謝罪があった翌日、当時野党ハンナラ党の朴槿恵副代表は、金大中大統領の声明を批判しながら「韓国の名誉を杭を刺した(ぶっ壊した)」と述べた。振り返ってみると、これは彼女が韓国の大統領になると、どんなことが起きるかを見せてくれる兆しだった。


70年が流れ、何回かの謝罪があった後、韓国の関係者たちは、まだ第二次世界大戦慰安婦問題について、日本を圧迫している。復讐に執着する赤ちゃんみたいに、韓国の自尊心はいかなる補償や謝罪でも満たされないだろう。あるいは、これは本当に膨れ上がった「自己中心病(egomania)」の一事例に過ぎないのか?過去と現在の歴史的な出来事が、手がかりを提供してくれるだろう。


韓国の「カルマ(業)」の場合において、ベトナム慰安婦問題は、終戦40年が過ぎてやっと国際的認識を得た。記憶をたどると、1991年キム・ハクスン氏は韓国に住んでいる人として、日本の軍人の制御下で経験した自分の経験について証言した最初の韓国人慰安婦だった。その証言によって、日本に対する怒りがあふれ、被害者に対する当然の賠償と謝罪のための徹底した調査が、日本を相手に行われた。今は韓国がそれと同じ状況に立たされたのだ。ベトナム慰安婦たちが自ら、自分自身を明らかにするずっと前から、彼らはすでに自分たちの残虐行為について知っていたが、狡猾な巧妙なトリックを介し、主流メディアに捕捉されないようにした。


ユン・ミヒャンさんは韓国とアメリカの兵士たちによるベトナム女性の性奴隷化の冷酷な真実を明らかにするために、3月にベトナムを訪問した。ユン氏は、第二次世界大戦当時、アジアの女性 - 多数が韓国女性だった - に行われた犯罪を調査するために構成された非営利団体である韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)代表である。 2012年挺対協はナビ(蝶)基金を設立して、他の戦争被害者の女性を助けるように、その活動を拡大した。コンゴは挺対協が見つけた最初の国であった。彼らは自分たちがベトナムで自国の韓国軍人による惨状を明らかにすることになるだろうとは、全く想像もしていなかっただろう。


パク・クネ大統領の否定的な見方を強めた最近のもう一つの事件は、セウォル号惨事である。 2014年4月16日325の高校の生徒を含む476人の乗客と乗務員を輸送していたセウォル号は、ほとんどが学生だった300人の命とともに、仁川から済州島に運行中、沈没した。今まで9人はまだ行方不明の状態である。(その時)パク・クネ大統領がどこにいたかはわからない。当時は既婚だった昔の政治参謀と一緒にいたという噂が広がった。産経新聞韓国支部長である日本人ジャーナリストのカトウタツヤは、この情報を記事にして、朴槿恵大統領を名誉毀損したと必要以上に注目を浴びた。彼は告発されて起訴された。この事件は、韓国での言論の自由に対する懸念とともに、全世界のジャーナリストたちから非難された。



セウォル号惨事のパク・クネ大統領の対処方法は、いろいろ非難を受けた。惨事が起こっている7時間の間、彼女は18回の報告を受けたが、彼女の唯一の対応は、儀礼的な処理規定による二つの指示に過ぎなかった。朴槿恵大統領が国民の前に自分を現すまで、前スポークスマンとして活動した人が委員会秘書だった。失敗した救助作業、沈没原因と安全上の注意違反の調査は、朴槿恵政府によって左右され、犠牲者の遺族たちから非難を受けている。朴大統領がセウォル号引き揚げ約束を履行していないものも、やはり非難を受けている。セウォル号沈没1周期に、遺族たちは大統領との出会いを拒否しており、継続的な闘争に突入すると言った。



・支持と人気のためのパク大統領の戦略


最近の世論調査は、朴大統領の大衆の支持率がセウォル号惨事前の70%から、高くは46%、低くは29%まで下がったことを示す。国内外で自分の人気を取り戻すために、彼女は自国を犠牲者に見えるようにしなければならない。そして、最も適切な主題は、第二次世界大戦で生じた傷による「同情心」を狙って、反日的な言語表現と宣伝を介してナショナリズムを煽ることができる国守主義的な問題である。慰安婦問題はまさにぴったりだ。もちろん、日本にも第2次世界大戦の犯罪で受けるべき非難の分がある。


1995年の村山宣言と1993年の河野宣言だけでなく、1965年から2010年までの日本の首相たち、内閣官僚、そして最も重要な天皇が韓国にだけに少なくとも14回の謝罪をした。日本は多くの国の慰安婦に金銭的な補償をするためにアジア女性基金を作り、補償金は、他のすべての国で受け入れたが、韓国はこれを拒否した。


国内で朴大統領は成功を成し遂げた。世論調査は、回答者の57.4%が、日本が再び完全な謝罪をするまで、日本との首脳会談を望まないと示している。米国では、政府官僚と外交官が二つに分かれた。前経済顧問ロバート・エル・シャピロ博士は、朴政府の言論自由統制と日本とのより良い関係を構築できなかった懸念を盛り込んだビデオメッセージを朴大統領に送った。ウェンディ・シャーマン米国務省政務次官はさらに直接的に、ひたすら自分を宣伝するために、日本を否定的に見えるようにすることで、安価な拍手を受けようとする朴大統領の欲望を述べた。



韓国と日本の間にもう一つの問題は、リアンクール岩礁に関するものである。韓国では独島、日本では竹島で知られている、2つの主要な島と35の小さな岩で構成されたこの島々の領土支配権をめぐり、両国は、紛争を繰り広げている。この島は、豊かな漁場と天然ガスの生産を理由に重要だと考えられている。


この島々に対する支配権の背後に置かれた背景は、複雑だ。韓国は1954年以来、独島に行政権を行使してきているが、日本の所有権の法的根拠は、1904年にさかのぼる。この紛争を終息するために、日本は三回(1954年、1962年と2012年)、この問題を国際司法裁判所に任せようと提案したが、韓国はこれを毎回断ってきた。

韓国は、米国がこの事案で自分たちの味方になってほしいと望んでいるが、最近のコリアヘラルドに掲載された社説は、韓国政府のふざけた危機政策を​​批判した。政治アナリストたちは、このような政策が軍事的な側面で何か重要な措置をもたらすことも、また、米国がどちらかの味方になるとも考えていない。日本と韓国両国は米国の強力なアジアの同盟国であり、どちらかに偏愛するのは、米国の立場に致命的だ。しかし、パク・フイラク、ソウル国民大教授は、米国の対アジア政策で日本が彼らの経済力、軍事技術力と中国の野心的な拡張政策を着実に牽制できる能力のために、米国にとってより重要であると言う。



・なぜかアメリカで慰安婦決議案や追悼施設が動き出した

一部の米国の政治家たちは、すばやく慰安婦問題を利用した。去る2007年、カリフォルニア州シリコンバレー・マイケルホンダ議員によって発議された日本慰安婦決議案121は、自分たちの選挙区の韓国人社会の望みを満足させようとする政治家たちにとっては、GOサインだった。

韓国女性に対する不当な待遇に対する大衆の認識を高めることを口実に、全米都市で慰安婦の決議案が作成され、慰安婦少女像が建てられた。地域在米韓国人団体は、地域の政府関係者に圧力をかけた。これらの特定の「選挙区」には、選挙シーズンになると、票畑を揺るがすことができる大きな在米韓国人社会がある。2014年8月プラートン市議会は韓国従軍慰安婦決議案を承認した。ニュージャージー州議会は、同じ趣旨の決議案を通過させた。


米国内の最初の慰安婦記念碑は、2010年ニュージャージー州パリセーズパークに建てられた。 2012年に、もう一つが、ニューヨーク州ナッソーカウンティーアイゼンハワー公園戦争記念館に建てられた。 2013年3月にはニュージャージー州ベルゲンカウンティーケンセクに記念館がオープンし、同年7月にはカリフォルニア州グレンデール市のグレンデールセントラルパークに少女の形状をした慰安婦像が除幕された。 2014年8月には、少女像がミシガン州サウスフィールドに建てられた。メリーランド州にもう一つを立てる計画がある。

過度の慰安婦記念碑建立事業は、最近カナダまで広がった。ある有名な政治ブロガーはこれを「西側勢力から日本を疎外させようとする目標を持つ、巨大な詐欺」とした。ブリティッシュ・コロンビアのバーナビー市は慰安婦像を建てる計画を検討している。

ベトナム慰安婦について国民が意識するようになって、米国の都市と公園にも同じく記念施設が出来ることを期待できるかな?そして韓国は、日本が韓国の慰安婦記念碑に対してやったように、これに反対するだろうか?率直に言いうと、米国内のベトナムコミュニティは政治影響力が弱いし、米国自身がベトナム戦争を忘れたがているので、そんなことはないだろう。


・ベトナム戦での残酷行為

日本が韓国の慰安婦女性たちにしたのと同じく、韓国はまた、韓国軍と米軍の肉体的快楽のために、ベトナム慰安婦の女性たちで売春宿を作った。5千人から3万人程度と推定されており、韓国が隠しているため、これについての話を接することは容易ではない。韓​​国軍がベトナム戦で犯したベトナム人虐殺で、もはや生きているとも言えない生存者は推定しなくても、約9千人が亡くなった。ベトナム当時から韓国にさらに民主的な政府が発足した2000年まで、ベトナムで韓国軍がやったことはタブー視された。 2002年6月に米国国家記録管理庁は、ベトナム戦の文書の機密扱いを解除して、ポンニ、ポンノト、ホワンチャウ、プクミでの大量虐殺を公開した。また、1966年タイビンで民間人1,200人が殺害され、ダイでは、380人が集結した後に殺害された。この大量虐殺は、すべて同じ方法で進行された。ハミ村の虐殺は韓国陸軍と海兵隊が無実の男性、女性と子供たちをどのように容赦なく虐殺したかを示す例である。


ハミ村虐殺の生存者、パムチホアおばあちゃんの証言がハンギョレ新聞に報道された。その報道はベトナム人に対する韓国軍の策略と残酷さを示す。

1965年3月第3米海兵上陸部隊がベトナムダナンに到着しホアバンとジエンバンを掌握した。1967年12月第5海兵連隊はコンニン基地を「青龍(青龍部隊)」と呼ばれる韓国の第2海兵旅団に引き渡した。コンニン基地に送られたハミ村の住民は、基地での生活は大変、再び自分たちの村に戻ってきた。韓国海兵隊が彼らの移動を許可したかどうかは定かではない。

彼らは村の住民に食糧や物資を提供し、村の住民たちも、韓国軍に地域特産品を与えて応えた。しかし、一ヶ月後、親切だった韓国軍人たちは化物に変わった。朝、彼らはタンクと装甲車で村に進入して他の3方向に動いた。以来、彼らは3ヶ所の場所に村の住民を集め、兵士たちが子供たちにお菓子を与えている間、韓国軍司令官からのスピーチを聞かせた。

スピーチの後、指揮官は少し下がって手でサインを送った。すぐに森の中に隠れていたM60機関銃や手榴弾発射装置が現われ、驚いた村の住民たちに発砲した。135人が殺害された。パムチホアおばあさんは生き残こったが両足を失った。死者たちの姿は、頭から飛び出した脳、体から出た内蔵、切られた足等、恐ろしかった。いくつかの生存者たちと一緒にパムチホアおばあさんは小さな穴を掘って遺体を埋めた。しかし、翌日、韓国軍人がD-7ブルドーザーを持って戻ってきて、墓を掘り返し、すべての遺体を潰した。



・ベトナム慰安婦の話


朴政権下の韓国とは違って、ベトナム政府は市民に過去は後ろに残して、未来のために生きろと助言する。しかし、朴大統領が自分の矛盾に気づき、戦争関連の問題の解決が自分の手にかかっていることを認識できるようにするためにも、ベトナム慰安婦の話は、韓国人が自分たちの話が共有されることを願うのと同じく、大勢の人たちに知らされなければならない。ベトナムの生存者の女性は、一日に数回も行われた連続的な強姦、残忍な暴行と強姦後殺害について話す。妊娠9ヶ月だった一人の女性は、腹部をナイフで切り捨てられ、赤ちゃんと一緒に内臓が腹の外に出ていた。韓国人慰安婦の生存者ギムボクドンさんとギルウォンオクそして韓国挺身隊対策協は、韓国政府に国家の過ちを認めて謝罪と補償すべきだと要求した。去る4月、日本軍慰安婦歴史館で日本軍慰安婦だったユヒナムさんが虐殺の生存者ヌエンタンと(64)さんとヌエンタンラン(55)さんに会ったのは、感動的な瞬間だったし新しい見方をくれる経験だった。

ベトナム慰安婦問題をさらに深刻にするのは、この野蛮な行為の結果として生まれたライタイハンと呼ばれる、社会から軽蔑され忌避される混血の子供である。ベトナムでは、韓国人の父から認められていない約5,000人から30,000人のライタイハンが生きている。


公正に言って、韓国軍人だけがベトナム女性を強姦したわけではない。1964年8月から1975年5月7日まで、ベトナム戦争に投入された兵士は900万人を超えた。報告と研究によると、米軍兵士たちもレイプに参加した。しかし、彼らはずっと隠してきた、陸軍軍法裁判まで行った場合でも、有罪判決は、ほとんど無かったし処罰は軽かった。米国政府は、ベトナム戦争での戦争犯罪の責任を韓国と分かち合っていることを否定できない。いつも公式的には「そのような行為を容認しない」という立場だが、戦場に出れば、違う。指揮官と将軍は真実を無視する。しかし、戦争はすでに数十年前に終わって、両国ともに責任と向き合い、日本を非難する偽善を止めるべき時が来た。