日本と韓国は、どちらかが自己否定しない限り、共存できない
シンシアリーさんのブログより

朝鮮日報が、あるコラムを載せました。

後半部だけ、引用します。

・・・韓日の間には乗り越えられない崖がある。植民地支配が過酷だったことまでは日本も認めている。何度も謝罪した。しかし、そこまでだ。私たちが欲しいのは、植民地にされたこと自体への謝罪だ。安倍だろうと誰だろうと、この点について、日本は「ノー(No)」だ。

日本は韓日強制併合が合法的に行われたと言い切る。 「苦痛だったそうだから申し訳ないけど、50年前に補償したから終わった話」だという。最も前向きだった菅直人談話(2010年)すらも、植民地支配が「韓国人の意志に反して行われた」としただけで、強圧的で挾雜(※悪さで人を騙す、という意味)なものだったとは認めてはいない。

日本は「日本にこれをひっくり返せというのは、日本を否定しろという話だ」という。私たちも同じように答えるしかない。私たちにその言葉に「ああ、そうですか?」と認めろというのは、私たちが誰であるかを否定しろという話だ。

4日後(※安倍談話のこと)、安倍総理が何を言おうと、安倍もまた過ぎ去る。過ぎ去らないのは、日本という国だ。退くことも飛び越えることもできない崖をおいて、私たちは、日本という国が嫌いでも共同で安全保障と経済を含むいくつかの難題を解いて行かなければならない。宿命である。私たちは強くなって、賢明になって、柔軟にならなければならない。>

http://media.daum.net/foreign/all/newsview?newsid=20150810030951881


彼女(朝鮮日報の特派員さん)がこのコラムを書いた趣旨とはずいぶん差があると思いますが、

「韓国と日本、どちらかが自己否定しつくして完全に別の存在にならないかぎり、両国の関係は変わらない」という意見には、私も同感です。

去年9月のエントリーに、シンシアリーは<これは、韓国が主張する日本の戦争責任というのは、日本が日本以外の別の何かにならないかぎり、果たせないという意味でもあります>と書きました。本にも同じ内容を書きました。


ただ、ここで一つ、忘れてはならないことがあります。

韓国が日本に「なってほしい」と思っているのは、決して対等な存在としての「別のもの」ではありません。

上下関係において、日本が「逆らえない下」になることです。

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憲法学者の竹田氏が、よく言っている。

韓国とは、『軽い会釈を交わす程度の隣人のお付き合い』

が、ベストのようですね。