たしかフランスの哲学者レブィナスが…

”人はあまりに正義が強すぎると、必要以上に無慈悲になります…”

”収まりの良いほどほどの正義が肌触りのよい社会を産む。”

日本はまだ押し付けるような正義は行使してません。集団的自衛権は押し付けの正義論戦争論ではありません。むしろまだ日和見過ぎる位です。

マザーテレサは…

”愛は家庭から始まります。
まず家庭の中で不幸な人を救いなさい。
両者が愛し合い、母親が家庭の中心となりなさい。平和とうるおいの家庭が築けたら、隣人を愛しなさい。自分が、自分の家庭が、愛に満たされなければ隣人を愛せません。”

ある意味、日本は物質は満たされました、が、心が満たされていない。
ならば、何をもって国内をケアし、何をもって国外を諌めるか…
心は己と戦い充実感をもって他者にお裾分けして初めて満たされます。
心の鍛錬 教育です。

集団的な連携はある意味、隣国の独裁権力を監視し弱者や命の為になります…
そして日本国民にどんなメッセージを送るのか。

”いじめ” はいじめる側といじめられる側で補完されません。いじめは無視する周りの空気が創り出します…。

逆の言い方すれば、最低限の国防や自衛のスタンスを取り緊張感を高める事は、安心した国内への取り組み回帰を促しますし、有事は国外とは限らないので国内を諌める超法規的警察能力にもなります。

改憲を完了できた後々(テロ)をにらみシビリアンガバナンスの徹底と警察との高密度な連携システムを構築して欲しいなと個人的に思います。

安保闘争の度にどれだけ戦争が起きると言われてきたか。確かに緊張感は高まりますが…

軍事戦争は、絶望的な経済格差や、国民が”楽そうな大勢に寄り付く”と言う意志薄弱な理念が産みます。

戦争もじさない生きようとする強い精神

戦争はしないという強固な理念と英霊との約束