船が沈む。

橋が墜ちる。

流行病が蔓延する。

周辺国は我が国をあしざまに罵り、嘲る。

しかし、戦後70年、自虐史観に苛まれつつも、多くの日本人は、靖国で会おうと散華した日本人の志を忘れずに、営々と日々を暮らしてきた。

誠実に、精一杯それぞれの役割を果たしてきた。

頭でっかちの学者になることもなく偏狭なイデオロギーの虜にもならず。

詭弁を弄するだけの政治家にもならず。

それぞれが復興を願い、家族を護り、薄給に耐えながら今日を築いた。

そして70年の月日が流れ、それぞれの国に70年の成果が現れ始めている。

欧米列強との戦いには敗れたが、我々は敗戦の屈辱と辱めをバネに今日を迎えた。

戦いもしなかった支那共産軍は、戦勝国を名乗り、我々の汗からなる補償金を簒奪し、今日に至った。

戦いもしなかった大韓帝国も、戦勝国の勢いで、日本を罵り、有りもしない問題を持ちだしては、金をせびろうとするさもしい民族に成長した。

そして日本人とともに戦った韓国人をも祀る靖国に、小便をかける体たらくぶりをさらけ出している。

日本の神仏を汚したのも、韓国の血が流れている男である。

そして彼らも我々と同じく70年を迎えた。

私はいまほど日本人として生を受けたことを誇りに思うことはない。

生活は楽ではない。物価も上昇している。

近隣や家族関係も気迫になりつつある。

それでも、日本人に生まれたたことが誇りである。

この70年間の、日本人の努力が誇りである。