オランダにいったときのお話です♪

オランダのアムステルダムに行ったら、運河が有名だからクルーズに

行ってみたいと思ってた夢がかないました



びゅーん! オランダにて



この駅、日本のどっかで見た気がしませんか??

赤いレンガと、白い模様の組みあわせ!
どこのえき??

これは!もしやっ!東京駅??? なわけないよね。

でも、似てるでしょ?アムステルダムの中央駅なんだけどね。

東京駅は、ここがモデルになったともいわれてるんだって♪


アムステルダムで、人気の観光名所といえば、アンネフランクの家

世界中の人が集まって、行列ができるんだとか。。。


ということで、朝早く、出陣です!
アンネの家


アタシは、恥ずかしながらアンネ フランクがどういう人なのかココにくるまで

しりませんでした。。。

「アンネの日記」という本の存在だけで内容までは。。。


アンネは、第二次世界大戦中、ドイツのユダヤ人迫害が厳しさを増して

きたときに、オランダで潜伏をしていたユダヤ人の1人です。

彼女の一家の隠れ家が、当時の姿を再現したミュージアムになってるんです。


アンネたちは、2年以上にわたる隠れ家での生活の後、何者かに密告されて

ユダヤ人の収容所へ強制移送。

アンネは、収容所でチフスに感染し、お姉さんの後を追うように

わずか15歳で息を引き取りました。

それは、収容所が解放される、数週間前のできごとだったんです。。。


中に入ると、各部屋の説明があります。

アンネが書き残した言葉が、壁に大きく書かれてるんですけどね、

それを一つ一つ見ながら、進むうちに、涙が止まらなくなってしまいました。

すべてがかなしくて。。。
足音ひとつ立てられない、水も流せない、笑えない

いつも、息をひそめていなくてはならない、窓をあけてはならない

誰にも気づかれてはいけない!!! 

どんなにつらかっただろう。どんなに理不尽だっただろうとおもうとね。。。

あふれる涙を止めることは、できませんでした。ちょー泣きっ!


あまりゆっくりできなかったけど、次アムステルダムに来たら

またここに来たいな。

平和ボケしているアタシたちは、あまりにも多くのことを求めすぎている

そんな気持ちになりました。


これ書きながら今でも涙出るくらい。。。

言葉にできない悲しさがいっぱいありました。

アンネは、小さい女の子だけど、多くのものを今も伝えようとしてくれていると

思います。


中は、残念ながら撮影禁止。なので、雰囲気だけでもどうぞ →コチラ



そして、次は、クルーズぅ

アムステルダムには、たくさんの運河がありますぅ。水色の細い部分は

すべて運河なんだよー!
運河いっぱい!

うぅぅぅーーー!さぶっ!外は寒いっ!
くるーずぅ

建物が、とってもきれいでしょー?運河にはいっぱい船がつないであるよ。


橋はどれも、すれすれ!こんな橋がいっぱいあるんだよー
すれすれぇー!


たっくさんのクルーズ船が、次々と行き交います♪
いきかういきかう!

4-5回は、すれ違ったよぉぉ♪狭いところでターンするのもおてのもの!

お天気が曇りだったので写真が暗いけど、晴れてたらもっときれいだろうなぁ♪



そしてそして、みなさん、ハイネケンってどこのビールか知ってました???

メニューとかさ、見たらバドワイザー、ハイネケンって並んでるから

アメリカのビールかと思いきやっ!!!
ハイネケン!

オランダのビールなんだって!へ~へ~へ~(・o・)/””

しらなんだ!しらなんだ!


1592年からあったアムステルダムのDe Hooiberg 醸造所を、創業者の

ハイネケンさんが22歳の時(1863年)に買収、Heineken & Co 設立。

本社はアムステルダム。世界50ヶ国に110の醸造所を持ち

世界第3位の規模を誇る。オランダでは上記2カ所に醸造所があるんだとか。


でも、いつでも飲めるような気がして別のビールにチャレンジしてみたよ。


Amstelは1870年創業のBeiersch Bierbrouwerij De Amstel という

アムステルダムにある醸造所でつくられていたビール。

1968年にHeinekeに買収され1972年にAmstel としての醸造所を閉鎖。

それから現在もHeinekenがAmstel ビールをつくっているんだとか。

うんま~♪

ぐいぐいいけちゃいますぅぅ。

結構、日本のビールに近くておいしいょ(´ ▽`).。o♪♪オカワリィ!



<次回は>

オランダ料理とオランダのチューリップをご紹介しまーっす。