その女性は黒い服を着ていた。
大貴がひとり暮らしを始めて2度目の春。
1度目は大学に合格して部屋を決めたときだった。
当時の大貴は、初めての土地と自由に期待を膨らませて、引っ越しの整理もそこそこに近所の探索に出かけた。
温かい陽気、受験からの開放、新しい生活……、
まるで少年時代に戻ったように、真新しい道並みを歩き続けた。
借りたアパートの傍には人通りの少ない路地があり、
近所の人間が使うか否かというその路地の下には、こじんまりとした古い公園があった。
細いアスファルトから若干の草地を滑り込むと現れる、錆びたフェンス。
大人2人分ほどのスペースを空け、門を形作った小さめの石柱。
石柱の第一遊園地と書かれたプレートにも年期が入っており、「第一」という文字の上部に書かれているであろう地名は既にかすれてしまって、読むことは困難だった。
肝心の遊具の数も2、3しか見当たらず、そのどれもが錆び付いている。
もしかすると大貴が都会落ちである故の先入観かもしれないが、とても子供を遊ばせる気にはならない。
現代にはもっと整備の行き届いた公園もあれば、携帯可能のゲーム機だってあるのだ。
だいいち、敷地が狭い。
子供の防犯意識も強い今、こんな人通りのない路地裏にある上に、遊具を使わずに広場で遊ぶことも出来ないものだから、
「寂れた公園も田舎の醍醐味だよ」と主張することも難しいのではないだろうか。
しかし、そんな第一印象にも関わらず、この公園は大貴のお気に入りの場所である。
ただし正確に言えば、それがすべての初印象ではなかった。
そこは、期待に満ち溢れた18歳の男でも、夜はおどろおどろしいんだろうなと感じてしまう場所だったのだが、ただひとつ、大貴が惹かれたものがある。
公園の入り口には、4本の桜があったのだ。
大貴が公園を発見したときにはまだ桜は蕾を実らせたばかりで、特別最初に印象付けられることはなかった。
実際に、ざっと公園を見渡して、寂れた公園だと感じて視線を戻そうとしたわけだが、そこで目に留まったのが、入り口の木々だった。
ああ、これ、桜だろうな。
そんな、単純なことを思った。
単純だったが、つまりこれは、大貴がこの土地に来て初めて出会った桜だった。
いつからなのか、恐らく大貴が知るよしもない時代には既に、卒業、入学シーズン、日本を代表すると言っても相違なかったであろう木。
まさに今から旅立とうとする青年の心に、情緒が生まれたわけだ。
そんなわけで、意外と感受性が豊かであるこの青年は、桜が開花する頃に再び立ち寄りたいと思った。
同時に、桜は変わらないが、昔はこの公園だって新しかったであろうこと。
今はあまり利用されていない雰囲気だが、当時はきっと子供の声も少しは賑やかに響き、鉄棒もブランコも、しっかりと使い込まれ、雨風を浴びて錆びてしまっただけに違いない。
そして4本の桜は、そんな彼らの成長と公園の衰退を見守って、ねぎらうように花を咲かせ、散らし続けてきたんだ――――と、勝手な想像力を膨らませてしんみりと佇んだ。
そうして数週間後、再び公園を訪れて無事に桜の開花を拝み、また路地を利用して大学生活にも慣れてしまえば、アパート周辺は本当に、大貴にとってお気に入りの気楽な場所になっていた。
そんな桜が、2度目の開花を迎える季節。
2度目というのは大貴の主観でしかなかったが、
ともあれ、彼にとって当時は新世界だったこの場所で、2度目の春がやってきたのだ。
さすがに、最初と同じ心持ちでとはいかなかったが、大貴の心にはそれなりの期待感があった。
まだ夢も希望もある若者である。
温かくなった気候、景色も華々しい春、新学期に胸を躍らせないで楽しみなど見つけようがあるか。
大貴は、冬が嫌いで、春が好きだ。
だからこの時期は、特に他の根拠もないくせ、心も体も軽く行動的になり、期待と楽観に溢れがちなのだった。
「おはようございます」
温かくなり始めたことで期待と楽観に溢れた大貴は、早朝にもかかわらず、早速、公園へと散歩に向かっていた。
「あ、どうも。おはようございます」
1度目のときと同様、桜はまだ蕾であり、公園は寂れている。
しかし、決定的に違うのは、珍しいことに先客がいたことだ。
大貴は、人がいたことと声をかけられたことに少なからず驚いたが、特に人見知りでもなければ挨拶すら返さない人間でもない。
すぐに戸惑いを笑顔に換えて、軽く会釈しながら答えた。
桜の木の下で赤ん坊をあやしている様子のその女性は、黒い服を着ていた。
to be...キマグレネクスト。