Studiolo di verde(ストゥディオーロ・ディ・ヴェルデ)

Studiolo di verde(ストゥディオーロ・ディ・ヴェルデ)

フリーライターとして、美術、歴史などの記事を中心に活動しています。コメントや仕事のオファーも歓迎。(詳細はプロフィールにて)

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 note(https://note.mu/azzuro0205) をはじめたは良いものの、記事がなかなか良いのが書けない。

何でもかんでも放り込みたくない、ある程度は整理したい、という思いが枷になっている。

 おかげで、言いたいこと、言葉としてぶちまけたい事、色々溜まり込んで消化不良だ。

 

 近況としては…

・クリムト展の記事と格闘中(どう締めるかが問題)→何とかしたい

・読みたい本、気になる本が色々あって困る(上の通り、仕事に集中したいのに)→仕事終わらせて一冊ずつでも読みたい

 特に一冊は、自主的にでも書評記事を書きたくて仕方ない。→手に入れたい。書きたい。

・モロー展、東寺展に行きたい

 

 とりあえず、気になる本をリストアップしてみよう。

 

 

 

 

傲慢と善良 傲慢と善良
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奇説無惨絵条々 奇説無惨絵条々
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金剛の塔 金剛の塔
 
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前々から考えていた、noteへの引っ越し。

とりあえず、開設したのでお知らせを。

 

https://note.mu/azzuro0205

 

こちらのブログの更新頻度は少々落ちるかもしれません。

覚え書き用の場所として残しておく予定ではいます。

 

 

 インパクトのある表紙だ。

 頬に大きな傷のある、どう見ても堅気には見えない男がフライパンを傾け、オムレツを盛り付けようとしている。

 テーブルの上には既に出来上がったサラダやら、トマトやブロッコリーなどの食材、そして男の一番近くには黒光りする拳銃。

 何だこりゃ。

 何やってんだ、このオッサン。声に出せば、おっさんは振り向いて言うだろう。「料理してるんだが、見てわかんねえのか?」と。そして、こちらは反射的に頭を下げてしまう。「すみません」、と。

 

 就活がうまくいかない、底辺大学生の良太が、ヤクザの抗争に巻き込まれ、その片割れである組長柳刃と火野を匿うことになる。(正確には、居座られる羽目になる。)

 とんでもないことになった、と冷や汗を流すものの、柳刃は、冷蔵庫にあったあり合わせの物でおつまみを作ったのをはじめ、様々な食材をお取り寄せしては、毎日のように美味しい料理を作る。

 料理について彼が語る蘊蓄は、なかなか楽しい。ご飯の炊き方、肉を美味しく焼く方法など…この人は本当に美味しい物が好きでそのためには妥協しないんだろうな、と。

 怖い面もあるにはあるが、仕事や人生についての台詞には深いものがある。

 

「誰にでもできる料理を何年修行したって使いものにならん。かわりはいくらでもいるからな」

 

 この料理を、たとえば「ジャンル」に変えたら―――。

 そんな事を思う。

 自分にしかできないやり方、自分ならではの題材、やり方。

 ずっとそれを考えている。

 そのカギは、料理が調理法と材料の掛け算であることにも通じよう。

 同じ題材をどう料理するか。

 あるいは、あまり知られていない材料を発掘してくる。そのためには、どこを掘るか。

 

 全体的に軽いタッチで、長さもちょうど良く、気軽に読めるのが良かった。

 次の巻も少し気になっている。

 

 

 

 

 ショートショートガーデンに、一本投稿完了。

 タイトルは『鉄の女』。

https://short-short.garden/S-uCTcJs

 

 最初は400字に切り詰めるのに苦戦していたのに、今回は会話文形式にしたためか、すんなり収まってくれた。

 小さく、やや「狭すぎ?」とも感じられるかもしれない空間の中に、持ち込めるものは限られている。

 だからこそ、一つ一つを吟味して、その時出来る限りの「最高」「最善」を、その時にしかできないものを目指す。

 

 前に思い立って体験してみた、茶道のレッスンに少し似てるような気もする。(え?)

 茶道では、掛け軸や、床に飾る花、お菓子に、その時期ならではの風情をこめる。

 視覚、触覚、聴覚、嗅覚、味覚。まさに五感の全てをカバーしている芸術が他にあるだろうか。

 ヨーロッパなら、とにかく盛り込むが、日本は逆に切り詰めて行く。濃茶を口に含みながら、そんな事も考えた。

 切り詰めて行くことで、逆に「残ったもの」、「切り捨てるべきでないと判断したもの」が大切だとわかる。
 果物の中心部に陣取る大きな種子のようなもの、と言うべきか。
 

 

 ようやく本のレヴュー原稿が書きあがった…。

 思った以上に、苦戦した。

 書く媒体が初めてだからだろうか。サイト全体のカラーに、自分の書くものは合うのだろうか、とか、内容は適切だろうか、締め切りに間に合うだろうか、とか色々なことが気になって仕方がない。

 書き上げる、というよりも、一区切りつけるまでは毎日、不安で仕方がない。

 引き受けた以上、ちゃんとした仕事をしたい。

 それが果たせないことが一番怖い。

 

 そして、書きあがったら書きあがったで、また別の苦しみがある。

 空虚感だ。

 自分のボキャブラリーも、これまでに蓄積(インプット)してきた本の内容も、底の底まで引っ掻き回して、出してしまった。

 この後、またちゃんと回復して、別の仕事に挑めるのか。

 

 赤川次郎さんあたりは、どうしているのだろう。

 日本で一番締め切りが多い作家と言われるあの人は。

 やはりもともとの蓄積量が違うのだろうか。エッセイによると、中学高校時代はヨーロッパの物を中心に、映画をたくさん見た、と言うし。それにクラシックのコンサートやオペラにもよく足を運ぶ、とも聞いている。(そのおかげで、三毛猫ホームズや、ノン・シリーズの作品でも、音楽をテーマにした作品は多い)

 

 さて、何を摂取すべきか。

 何をインプットするか。

 

…とりあえず、ストーリー性のあるものが欲しい。

映画か、ドラマか。