当たり前のようにあった暮らしが
ある日突然無くなるということは






まるで考えていなかったような選択を
迫られることになるということです。







何が1番いいことなのかわからない。









全ては自分の選んだ人生
歩む人生





誰かのせいになんて
できないと思うのです。







今でも震災関連の番組や
ドラマやドキュメントなど
流れていることも多いですが







地元でも






インタビューを受けたり
密着取材を受けたりと







一躍有名になった人たちも
少なくありませんでした。










ただ





食材が少ない中
綺麗に一列に
スーパーの前に並んでいる写真が





実はカメラマンの指示だったと聞くと
残念な気持ちになりました。









お涙頂戴のような編集がされている
ドキュメントを見ると







なんだか違和感を
感じずにもいられませんでした。






悲しみは比べるものではなく







被害の大きさも






比べるものではないのですが







どうしても
何かを失った方だけが






被災者。






少し、
温度差が出たように感じてしまいました。






悲しみを共有することは
失礼なのかもしれないと





遠慮するようになってしまいました。













あの時





人を助ける仕事に就きたいと言っていた
男の子が






今は
おしゃれに興味が出て美容師を目指していたり







時の流れは
止めることができないので






風化はされなくても






関心が薄れて行くのは
仕方のないことかもしれません。







少しずつ人は戻って来ています。








それでも






子供の頃に住んでいた大好きだった場所と








その頃は気づくことができなかった






平穏な暮らしの幸せさと






みんながいて
みんなで暮らしている






あの小さな地域の安心感は








二度と戻すことはできない





かけがえのないものだったのだなと






思い知らされるのです。