シーン X

 彼女は小さな顔を、佳苗の膝元に押し付ける。服の裾を握る手は震えることなく、ただ強くジーンズを引っ張った。
 まるで、歩みを止めない佳苗にしがみつくようだ。

「ねぇ」
 
 そのか細い声は佳苗に届いたのだろう。

「ん?」
 
 観念して、気だるそうに聞き返す。

「お父さんは何処?」
 
 彼女のおぼつかない言葉に、佳苗は思わず歩みを止めた。

「ここ。」

 海の底だなど言えるわけがない。
 それでも膝元の女の子を見下しながら言った。

「じゃぁお母さんは?」

 彼女はからかわれた様に怒って、もう一度訊く。

「お前のいない所だよ。」

 最初から遠慮などお構いなしに、佳苗は追い込む事実を彼女の脳内に叩き込んだ。ひとしきり済んだら、自分の手に大きな息を吐いて、束の間のぬくもりを手に刷り込む。

「ここでいいじゃん。」

 どうして佳苗が笑顔なのか、彼女には理解できない。

「何のこと?」
「帰る家がなくなったんなら、しばらく俺がお前の家になるから。」

 佳苗は彼女の頭にかぶせたニット帽を、深く被りなおさせる。

「だから、お父さんは、ここ。」

 佳苗は言う。しかし彼女は頷かない。
 ただ、最後まで手を離すことはなかった。佳苗は手袋を外して、真っ赤に染まった彼女の頬をなでる。

「帰ろう、結花。」

 その手に重ねた、結花の小さな手はしがみつくようだ。