もちろん街も復興し、傷跡も見えないので、記憶も薄れてはいる
でも、この数日、自分の意思とは関係なく、
揺れが起こるたびに心臓が異常にドキドキして
全身が緊張して体中が痛い
絶対的な恐怖は精神の深くに刻まれてることを実感した
3月11日金曜日
ちょうど仙台店オープンで、本部からも応援に行っていたさなかの出来事
こんなことってあるのって。
もちろん仙台とはメール、電話も繋がらず
ブログとtwitterだけが安否の確認できる手段となった
避難できたとはいえ、余震の恐怖と不安の中にいると思うと
何も手に付かなかった
情報源になればと、ひたすらtweetしかできなかった
都内も交通機関がマヒし、夜になって大江戸線が動いたという情報を得て
会社から歩いて麻布十番までいった
夜遅くだったけど、歩道には歩いて家に帰る人がいっぱいいて
とてつもなく異様な光景だった
途中、東京タワーが半分だけ点灯していた

麻布十番駅は、電車を待つ人で長蛇の列

もう少しで改札が見えたところで、最終電車ですと。
正直あり得ないと思ったけど、待っていてもしょうがないし
並んで待った人たちが野次をとばして怒鳴り、怖かったので地上に出た
赤坂の彼氏のお店で合流することにし
麻布十番から再び赤坂に向けて歩いた
途中何か買おうとコンビニによるもこの状態

アメリカ大使館の前についたときには1時過ぎていた
やっと車に乗れたのだけど、道の渋滞もハンパなく、信号の意味もない

家について、テレビをつけ、ようやくじっくり状況を確認した
地震、津波、火事、原発
信じられない映像が繰り返し 繰り返し
その最中も何度も地震速報のドコモのサイレン
結局、テレビのリモコンと、iPhone握りしめて寝ずに朝になった
3月12日 土曜日
お休みだけど、家も揺れがひどいし会社に向かった
電車は昨日とはうってかわってガラガラ


いても経ってもいられない人たちが
帰ってこれない仙台にいるみんなを迎えに行くと
正直無謀だと思った
でも、止めれなかった
水と、ティッシュと、食料をもって出発していった
無事を祈るしかなかった
みんなと会えること、つれて帰ってきてくれること。
しばらくして仙台が地元のスタッフがきた
土地勘があるから案内してほしいといわれたが、行けないと断ったと。
「俺が行ったら、助けたいやつが多すぎるから。」
彼女も地元が一緒で、連絡とれない友達、親戚がたくさんいて
精神的に不安定になっているし、残していくわけにもいかないと。
助けたい人がいて、救助に向かった友達
助けたい人が多すぎて、ここで耐える友達
どちらの気持ちも思いはひとつ。
13日 日曜日
朝8時すぎ、迎えに行った3台が現地に到着した
みんなの笑顔が浮かんだ
本当に、本当にありがとう
今、できること 精一杯やろう
時間を追うごとに、命が消えている
電話回線をあけよう
電気を消そう
在庫だって、滅却するくらいなら全部送ったらどうだろうか
同じ経験をしたみんなが
同じ気持ちで被災地を想ってる
世界中が日本の復興を祈ってくれてる
この地獄の中に、温もりと希望も沢山あります
どうか、一人でも多くの命が助かりますように。
是非見てください。
世界から届いた日本への祈り
地震後の感動TWEET


























