トレードにケチ付けてるパズドラプレイヤーに物申す
運転マナーの悪い地域
ヒルドイド保険適用カットの危機と医療倫理
こんにちは。アスラです。
客商売の基本のきの字とは何か
こんにちわ、アスラです。
みなさん台風一過の秋晴れは堪能しましたか?
食べ方を指定したり、お店のルールをアレやコレやと客に要求する飲食店って結構あったりしますよね?ラーメン屋とか。しゃべるな携帯いじるな香水つけるなすぐ食べろ食べ終わったらカウンターに食器あげろ写真は撮るなみたいな。食事をする場所として納得出来るルールならまだわかるんですけど、お店によっては「そこまで客に要求するのってどうなの?好きにさせてほしいんだけど」って思っちゃうようなお店も中にはあったりします。
アスラは猫舌なんですが、あるラーメン屋さんで最初の一口がエラく熱かったので少し冷ましてから食べようと思って店内のコミック眺めてたんですが、「何で食べないの!?さめちゃうから早く食べてよ!!」ってすごい剣幕で急かされた事があります。「猫舌なんスよ。。。」って言ったら黙りましたけどね、やっぱりいい気はしませんでした。その店に行ったのはその1回きりです。
来店した客はその人なりの理由があって選んでくれたわけです。来店した事自体に一定の感謝の気持ちがあっても良いのでは?と思いました。思いすごしだったり勘違いだったとしても、根拠の強弱の問題でもないと思うんですよね。客商売をするにあたって、店に拘りを持つ事と殿様商売は別モノ。これは踏まえておきたいね、と感じたのでこれを今回の結語とさせていただきます。
医療機関が患者を番号で呼ぶ理由
こんばんわ、アスラです。
週末から週明けにかけては台風が近づいてきていますが、日曜日は選挙ですね。
アメニモマケズ、投票しましょうね。
今回は各論第三回目となります。
テーマは「医療機関が患者を番号で呼ぶ理由」です。
各論でのこの書き方ですから、「あぁ、あれのことか」とピンと来る方も居るかもしれませんが、前回の投稿の経緯もあるので、各論本題については軽めにしたいと思います。
ある日、彼はいいました。
「俺は刑務所に来たんじゃないぞ」
「こちらは15,000円以上の検査料を支払う、上得意のお客さんだぞ。」
某病院で検査を受け、番号で呼ばれたことに憤慨して発した言葉ですね。
まぁ、なんというか、詳しい経緯すら必要ない程の典型例というか・・・。
釈迦に説法かもしれませんが、一応書いておきますね。
医療機関、特に病床数の多い病院では患者さんを番号で呼ぶことがあります。
開業医では環境が違うので少ないかもしれませんが、病院などでは割と多いようです。
①患者さんの取り違え防止
②医療機関の管理上のメリット
③医療情報を含む個人情報の保護
といった目的がありますね。彼の様に「番号で呼ぶ=刑務所」という考え方が強くてカッとなる人もいるかもしれませんが、やっぱりこういうのにも理由とか目的ってのはあるんですね。多くの人がいる中で「鈴木太郎様~、梅毒と淋病とクラミジアで治療中の鈴木太郎様~」なんて言葉で呼び出されたらたまったもんじゃありませんよねw
医療機関と患者の関係を店と客の関係と理解するのも考え物です。確かに医療機関によっては清潔で快適な設備、おいしい病院食、便利なATMやコンビニを備え、受付の事務員は容姿端麗、といった感じで、ルックスや利便性に力を入れて文字通り「客寄せ」に力を入れるところがあるのは確かです。医療機関といえども経営を継続する為には患者さんに選んでもらわなければなりませんからね。そういう意味では医療機関は客商売です。
しかし、それだけじゃないんですよね。医療機関は医療行為をする場所です。来院する人は病気に困っている人であったり、将来的な病気の予防と対策の目的で行くわけです。「先生にすべてお任せします!」という話は少々昔話みたいなムードがありますが、相手は国家資格を持ったプロですから、こういった関係は時代を超えて普遍的なものでもあります。自らを上得意客と豪語し、お金を落としているんだから番号で呼ばずにお客様扱いしろ!というのはちょっとブッ飛んでますね。。。
まぁ炎上するわけです。病気じゃなくても、検査料を払うのは当たり前の事です。医療行為だって当然お金がかかってるわけですからね。災害派遣とかならそりゃ医者も無償で医療を提供しますが、通常は商売としての側面を度外視することはありません。
彼はブチ切れた挙句検査料を払わずに帰ってしまったそうです。そんなこんなでいろいろな要素が絡まって炎上は瞬く間に広がり、世間様の猛反発を受ける事となりました。
ここからは、前回前フリした内容へと進んでいきます。
アスラが目撃したちょっと珍しい展開、ってやつです。
炎上している中で特に目立っていたのは「死ね」というキーワードでした。
他の炎上例でも血の気の荒い一部の方がこれを好んで使いますし、ありがちなキーワードだというのは確かにあると思います。(アスラは見てるだけですよ。決してこんな言葉投げたりしません。)しかし、アスラは個人的に今回の例は「舞台が医療機関であったからこのキーワードが特に目立っていた」と感じました。医療機関は人の生死に関係する場所ですから、世間の反発もその辺の意識がふりかけとなっていたように思います。
アスラがまとめ系サイトを眺めていると出るわ出るわの罵詈雑言です。
心無い死ね死ねコールの嵐です。まぁひどいもんでしたね。こうも軽々しく言えるのか、と。
そして、彼への死ね死ねコールについてまとめられたページを見ていました。
その中でみた一文。
「医療費踏み倒すとか論外やん。そんな事するなら病院行かずに野垂れ死ねばいいんだよ」
攻撃したいだけで発しただけの「死ね」とはちょっと違いますよね、これ。
この一文は、先ほどアスラが言及した医療行為と対価の事を踏まえて書かれた文だなと、ピンと来ました。「医療費を支払わないなら医療を受ける資格はない」という意味ですよね。
受け止め方はそれぞれでしょうが、「医療費を踏み倒すなら野垂れ死ねばいい」という文を見たときアスラは「まぁ、確かにその通りだよなぁ・・・」と思いました。宗教上の事情で医療を拒否する人もいますし、病気によってはとても払えないって理由で医療を受けない人もいます。医療を受けるか受けないか、これは患者サイドに選択の自由があります。ですから「医療を受けるだけ受けて費用を払わない」なんてのはやっぱりNGなわけです。
このように、一部のサイトでは真意と違ったまとめられ方をしている場合がある、というのが具体的に見えた炎上例でした。「死ね」というキーワードで機械的にまとめていると、こういう色合いの違うものまで拾っちゃうんですね、って事です。
・
・
・
実はね、この話、もうちょっと続きがあるんですよ。
新鮮だったので、この件ついてもうちょっと散策してみてたんですね、アスラ。
そしたら、見つけたんです。
「医療費を支払わないなら野垂れ死ねばいい」に対し、「これは死を求めているわけじゃないだろ」
って意味の言葉を。
いやぁ、びっくりしましたね。
自分以外で同じような事を考えてる人を目の当たりにすることってあるんだな~って感じで本当に驚きました。
いかがでしたでしょうか?今回は概論からの前フリがあっての各論という形でした。
まとめ系サイトの事まで含めてひとつの記事にすると長さがハンパなくなりそうだったので
二つに分けた形でした。そうじゃなくてもダラダラと長いなと自分でも思ってはいるんです、申し訳ないです。
見づらいかもしれませんが書きそびれたくなくてどうしてもアレモコレモとどんどん書いてしまうんです。
読み応えがある、とポジティブに思っていただけるとありがたいです。
機械的に拾い上げる事のリスク
今回のテーマは
リスクといいましたが、そんな大袈裟なもんでもないですよね。ただ、アスラが炎上例の一連の話を見ている中で、エラーが目に留まり、「んん?この人、そういう意味で言ってないよね?」って思った事が何度かあったので記事にした次第です。
グリーン車にみる「ルールとマナー、混ぜるな危険」
寒さに加え雨、悪天候が続きますが皆様いかがお過ごしでしょうか?
所得とごちそうさまを言う言わないを結びつけることの是非
さて、皆様いかがお過ごしでしょうか。急に寒くなってきましたがご自愛くださいませ。
第1回の各論のエントリーとなりましたが、今回は
「所得とごちそうさまを言う言わないを結びつけることの是非」です。
ある日彼はこう言いました。
言い方は悪いが、と前置きした上で
「所得の低そうな人ほど、牛丼チェーン店で店員に「ごちそうさま」と言う(本来不必要なレベルの)礼儀正しさを備えているように思えるのは興味深い」
語弊を招く恐れがありますのであえて原文のまま引用させていただきます。
アスラは最初これを見たとき、さほど気になりませんでした。アンテナはそこまで立たなかった記憶があります。
まぁそんなもんかなーって気持ちと、「ごちそうさま」を言うか言わないかは所得にはあまり関係ないんじゃない?という感覚でしたね。
実際はかなりの炎上となりました。
この炎上を見ていく時に、まず思ったのは、「反発感情を引き起こしやすい表現が多い」という事です。多少表現に含みを持たせたり、それなりのエクスキューズを混ぜ込んだ形ですので、ズバーっと言い切る形を避けて反発を招かないような表現を選んだんだろうという感覚を受けますね。しかしながら、それでも炎上してしまいました。
アスラとしては、根本的に「ごちそうさまを言うか言わないか」と「所得の多寡」を関連付ける事自体に大きな危険性を孕んでいると考えます。また、ご馳走様という事を「本来不必要なレベルの礼儀正しさ」事と表現してしまった事も反発感情を引き起こしやすいですね。
そもそも、食べ物やその提供者に対して「頂きます」「ごちそうさま」と言うのはアミニズムの考え方や「命を頂く」という考えに立脚した言葉であって、所得の多寡とは本来無関係なことだ、というのが一般的な理解だと思います。低所得であってもごちそうさまと言う習慣がない人もいますし、食べ物に困らない家庭に育った人でも親からきちんと躾けられた人であればごちそうさまといいますよね。
「たかが牛丼屋、安メシなんだから店員にごちそうさまなんて言わなくてもいいじゃん」って意識が多少なりともあったのでしょうね。そうでなければあんな表現をわざわざしないだろうというのが一般人からみた見解だとおもいます。彼の中でどうであったかは闇の中ですが。。。
低所得層であるか裕福であるかは、ご馳走様と言う言わないかと本来は無関係であるべきなんです。
両者の間に直接的な因果関係がほぼない事ですから、それを結びつけて論じるのは「風が吹けば桶屋が儲かる」
と表現されるようなこじつけになりやすいのでリスクが大きいですね。
また、ある事象を所得の多寡でカテゴライズする事はそのこと自体が非常に反発を招きやすいですよね。所得の低そうな人、という表現はどれだけオブラートに包んでも隠し切れない差別意識を生み出します。このような差別意識を引き起こす表現は、読み手に対して「自分はどこに属しているのか」という感覚を伴わせます。さらには、一部の読み手に対し「自分は上位」という優越感をもたらし、それが記事や表現を読む目を曇らせる原因となる可能性があります。
彼にはどうもファンが多く、発言の影響力の大きな人物だったようです。ブログも人気だった様子ですね。しかし、この炎上に関連して彼の発言を少し見ていくうちに、浮かび上がってきた特徴がありました。
①非常に難解な表現を多用している(読み手の受け取り方が一定しない)
②自身の思考に大きな自信が滲み出ている
③人と違う着眼点を持っていることをアピールし、それに賞賛を浴びたい気持ちが伺える
こんなところでしょうか。あくまでも自分がそう感じた、というわけで、そう思わない方も多くいらっしゃるかと思います。
ただ、この3点は実は炎上に関しては絶好のふりかけとなってしまうんだと後で知ることになりました。
簡単に言えば、「誤解を招きやすい表現をしてしまったが為に反発を買い炎上した」
彼は色んな思考をめぐらせて先述のような表現をしたのだとは推測できます。きっと低所得の人を敵に回したい意図はなかったでしょう。彼なりの論理もあったでしょう。どこまでケアしたつもりだったかは今となってはわかりませんが、「結果として世間から猛反発を食らってしまった」わけです。
アスラ個人としては、所得の多寡とご馳走様を言う言わないを結びつけて考えること自体が着眼点としてナンセンスだと思いますがまぁそれは人の自由ですからかまわないと思います。
先ほどの表現は、おそらく普段から彼のブログを好んで読んでいる人から見ればなんの違和感もなく受け入れられてたでしょう。実際、擁護派のご意見は彼に普段から心酔している様子が添えられている事が多かったです。しかし、初見で見た人の反応は真逆だったわけです。これには彼も想定外だったのではないでしょうか。
やはり彼は「誤解を招かないような表現をする」という事を怠ってしまったと言わざるを得ないと思います。彼サイドに立ってみると、「真意が違う形で受け取られてしまう事」へのリスクマネジメントでしょうか。
その後彼はしばらくスタンスを変えることをしませんでしたが、話が大きくなっていき最終的にはブログを閉鎖して鎮火に向かう事となりました。
炎上直後の彼のスタンスにも少々問題があったような気がします。自身の思考を堅固に保っていらっしゃいました。噛み砕いた表現が必要?と煽りとも受け取られかねない表現もありました。
こういったやり取りを見ていて痛感したのは、
「この人は自分の真意が違って受け止められてしまった理由を自分の中に探すタイプではない」ってことです。しかし、公共の場で何かを発言するときは「誤解をされるような表現をしてしまった時に、その尻拭いをしなくても良い」という事には必ずしもなりません。一般ピープルが頭をフル回転させないと理解できない表現を多用することのリスクともいえるかもしれません。多くの人が目にする場所で何かを発言するときは常に気をつけておくべきことだとアスラは思うのです。
きちんと釈明をするなり、さっさと(内心不本意だとしても)ゴメンチョしておけばよかったものの、自ら炎上に油を注いでしまっていたんですね。しかもブログ界隈での人気者だったわけですから、その炎上の加速度はすごいものでした。
彼はきっととても頭の良い人なんだと思います。一般人が持ち得ない着眼点を持ち、地頭も良い人なのでしょう。そこに、世の中彼ほど頭が良い人ばかりじゃないよって理解が深ければもっと良かったのにね、と思う事例でした。読み手によって解釈が大きく分かれる事例ですので、擁護の余地のほとんどない典型的な炎上とは少し色合いが違いますが、初回の各論の結語とさせていただきます。
炎上を見ていて抱く疑問-否定意見の集積はリンチか?-
ある日、誰かが何かを呟いた。
それを見た人は反感の意味や珍奇なオモチャを見つけた感覚でリツイートを繰り返し、またたく間に拡散していった。
魚拓を取られ、他の媒体にまで飛び火し、義憤と悪意に満ちた罵詈雑言を容赦なく浴びせられる。
外部の掲示板にスレが立ち、まとめサイトに取り上げられ本題とは関係の無いところにまで負のエネルギーの矛先が向き始める。
弁明釈明の余地は押し寄せる批判という荒波に飲み込まれ、既にどこかへ流されてしまっている。
情報を集め面白半分で個人情報を探し当てる「特定班」と呼ばれる人々が動き出し、丸裸にされ社会的な制裁を受ける。
良く見る炎上例ってこんな感じですよね。
アスラは炎上例に遭遇すると基本的にはまず傍観者のスタンスを取ります。迂闊に意見をしたりはしません。自分の意見を投げる事よりも、見た人知った人の反応の方に興味があるからです。そうやって炎上の火種と人々の反応を眺めていると、結構な確率で「???」となる場面に出会います。
「確かに悪いけどさ、寄ってたかって叩く事?」
「リンチはやめろ!やりすぎだぞお前ら!!」
こんなコメントですね。見覚えがある方も多いと思います。
こういった発言を皆さんどう思いますか?
アスラはこう思います。
「意図的に袋叩きにしてるの?」
「誰かの指示があって批判してるの?」
「扇動してる人、居たかな?」
確かに一部では面白半分で意図的に焚き付けたりする人もいるでしょう。
でも批判や否定的な発言の全てが扇動によって引き出されたものではないと思うんです。
前に書いた炎上のメカニズムにも大きく絡んできますが、炎上を構成する要素の②燃料ですね。
燃料を細かく見ると、さらに二つの側面があるとアスラは思います。
「多数の人の目に晒される事」
「多数の人から意見が寄せられる事」
炎上の過程で、多くの人が意見を言いますよね。大抵のものが否定的なものなわけですが、炎上の実態とも言えるその意見の集合体は
「袋叩きにすることを目的とした意図的なリンチ」ではなく、
「各々が自由意志に基づき発したイチ意見がゲリラ豪雨のように積み上がった結果」
だとアスラは思うんです。
リンチは良くない、と言う人は恐らく、短期間に集中攻撃を受ける有様を不憫に思ったり、そこまで多数の批判が集まる程のものではないと感じているんでしょう。人によって価値観は違いますから、アンテナが立たないものだってあります。みんなが話題にしていても興味がない事には反応もしませんよね。そういった興味の範囲外の内容に対しては「なんでそんな目の色変えて批判してるのかわからない」となりますし、その感覚は間違ったものではありません。そういったいわゆる「外野」的なポジションから炎上してる様を見たときは確かに一見リンチのように見えますが、意見する人に「リンチをしたり結託している意識はないんじゃないか?」と思うんです。
多くの人が口を開いて対象に言葉を投げる場面をたとえ話にしてみます。
クラスや職場に口臭がキツい人が1人居たとします。
誰かひとりが、「あのさ…歯磨きしてる?ちょっと口臭が気になるんだけど…」と、重い口を開きます。
(普通はほかの人に聞こえない場所を選んだりと気配りをする事がほとんどですがそこは抜きにして)
そこにほかの人が
「いや、俺も実は同じ事考えてた・・・」
「あっ…私も…言わなかったけど気になってました」
と言った具合に他の人が乗っかる形で話が広がることってありますよね。
まぁネガティブな内容に限った話ではないんですけど。
こういうケースは、アスラはリンチではないと思うんです。
逆に
「あの人、口臭きつくない?」
「確かにそう思う…。」
「でもさ、1人で言うのはどうも気が引ける、逆ギレされたらヤダし・・・」
「そんじゃ同じこと思ってる人集めて、みんなでせーので言わない?」
こんな展開を経て言われた場合はリンチ的だとアスラは思います。
この違いは、「意見が意図的に集積されているか否か」という点です。
前者の場合は同じ考えの人が「たまたま」集まり、結果的に集積されて塊となった
後者の場合は「同じ考えの意見を意図的に集積して」塊にして投げかけられた
この違いは小さいようで大きいと思っています。
どちらも複数の意見がまとまって届くというアウトカムは同じですが、その経緯に大きな違いがあると思うんですよね。
ですから、「リンチは良くない」と苦言を呈する人に対しては、その苦言の対象にリンチしている明確な意図があると推定できない限り、アスラは否定的です。とは言っても批判意見を隅々まで検証することは不可能に近い事ですから、あくまでも「リンチだ」と決めつけるのは早計じゃないか?といった程度のものです。
言うまでもないですが、「おい、こいつ香ばしいゾ痛いゾ、叩け潰せ~」と悪乗りして扇動するのはほんとにやっちゃダメだと思います。
炎上を見ていていつも思うのがこんな事です。
なぜ炎上するのか
個々の炎上例に私見を述べていく前に、
アスラが考える「炎上のメカニズム」について書いておこうと思います。
割と多くの方が似た考えをお持ちかと思いますし、そんなに大袈裟なものじゃないですがw
炎上が起こる背景は、二つのファクターがあると思います。
①火種と②燃料 この二つですね。
①の火種ですが、これは文字通り炎上の原因となる発言や行動等です。もちろん水面下のままでは日に当たらず自然に鎮火するだけですので、誰でも見られる状況に晒されている事を前提とします。
火種となりうるものは多種多様ですが、共通点として思うのは「ブッ飛んでる」ものほど炎上の加速度は早いということです。
つまり、炎上の火種は「発言や行動の、世間一般の常識との乖離」とも言えると思います。ブッ飛び具合が激しければ激しいほどその火種は大きい傾向がありますよね。常識って人によって違うし、境界の曖昧なものですけど・・・。
逆に言えば、「そんなの人の考えなんてそれぞれなんだし個人差の問題じゃね?」で済んでしまう様な話は炎上には繋がらないでしょって事です。
一部では発言の影響力の大きな著名人の発言に賛否の論争が起こることがありますが、それはアスラが思う炎上ではありません。
②の燃料は、その火種を大きくする要素です。拡散加速度の大きなSNSに火種が投下されると、あっという間に広がりますね。フォロワーの多い人の目に留まればさらに加速します。
ブッ飛んだ行動や発言を燃料と定義し、拡散力のある人の目に留まる事を着火剤の様な感覚で火種と定義する考え方ももちろん、あると思います。その辺はほんとに人それぞれですね。
アスラはこう見ている、と思っていただければ幸いです。