エンジョイと炎上は隣り合わせ -ある日彼はこう言った-
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トレードにケチ付けてるパズドラプレイヤーに物申す

くこんばんは。

今日はちょっと違うフィールドでのお話をしようと思います。

人気スマホゲームのパズドラについてです。
その中の一つの機能、トレード機能について思う事を書いてみようと思います。

フリーマーケットに並ぶ品物を見て、その値段設定に疑問を持った時の事を想像してみて下さい。

「なんでこんなものがこんな値段なの?」
「きっと珍しいものだったりするんだろう」
「欲しい人からすれば妥当な額なのかもしれない」

色々思うところはあると思います。似たような状況がパズドラの1部のプレイヤーのトレード機能を舞台に繰り広げられています。

ご存知無い方のために簡単にパズドラのトレード機能をまとめます。

①フレンドになって30日以上経過した人同士で使える
②トレード可能なのは一定の売却値以下&同じレア度同士
③出すモンスターは1体、求めるモンスターは1~5体で指定可能(未遭遇モンスターは要求不可)
④双方に均一の手数料がかかり、トレードは1体同士

こんな感じです。
トレード機能が実装されてからは、利用できるモンスターが限られてはいるものの、目的のモンスターを獲得する為にスタミナを消費してダンジョンをクリアする以外の新たな方法として今でも盛んにモンスターの交換がフレンド内で行われています。
また、欲しいモンスターをピンポイントで要求出来るので、トレードが成立しさえすれば確実なわけです。ダンジョンによっては倒しても卵としてドロップせずに宝箱(ゲーム内通貨)になって獲得出来ない場合があったり、ランダム出現のため目当てのモンスターに遭遇するまで何度もダンジョンに入り直す必要がある時もあります。

ここで一つ議題となるのは、②の条件です。
一定の売却値以下と言うのは、簡単に言えばガチャでしか出ない様な強力なモンスターが手軽に交換で手に入ってしまうのを防ぐ為です。ダンジョン産の最終進化系やガチャ産等の高能力モンスターは高い売却値が設定されていて、この条件を設けないと、ゲームの運営の収益は当然ガタ落ちしますし、ガチャ産モンスターの価値も下がりゲームバランスが大きく崩れかねません。
そして、「レア度」です。
珍しさという意味合いでそれぞれのモンスターには星の数でレア度が設定されていますが、実は同じレア度でもその価値の考え方に大きな違いがあります。

「高難度ダンジョンでしか手に入らない」
「出現頻度が低い」
「利便性や高い能力を持っている」
「進化素材として数がたくさん必要」

こんな感じで、たとえ同じレア度でもだいぶ違います。
更に、ここにプレイヤーのやり込み度合いで開きが大きくなってきます。
高難度ダンジョンを楽にクリアできるヘビー級プレイヤーにとってはたいした価値でないものになりますが、ライト層からすればとてもありがたいものなわけです。
また時期によっても違いますね。近い将来に配信されるダンジョンをクリアするためにあるモンスターを育成するみたいな時に、一時的に特定のモンスターの需要が高まることもありますし、時期によらず同じプレイヤーの中でも、育成に力を入れる時は進化用のモンスターが大量に必要ですし、攻略に力を入れる時は能力をブーストするようなモンスターが必要になってくるわけです。
つまり、モンスターの価値はトレード機能の条件を満たしていても人によって千差万別ですし、個人の中ですらも絶えず変動してるわけです。

こんな状況で、こんなこという人が居るんですよね。

「この人鮫トレばっかりで乞食臭いからフレ切ろうかな」
「こいつ見合わないトレードばっかりで目障りだウザい」

鮫トレってのは、シャークトレードの意味です。言葉の意味を履き違えてるバカはほっといて、乞食臭いからフレ切ろうかなとか、見合わないトレードがウザいと言って修正もせず晒し上げる人が居るんですよね。これってどう思います?

アスラはね、おかしいと思いますよ。
ダメ元でトレード出したって良くない?
不釣り合いなトレードだったとしてもスルーすればいいじゃない?
誰も指名してクレクレ君してるわけじゃないですよ?

そりゃね、明らかに価値が釣り合わないトレード募集なんてゴロゴロしてますよ。でもそんなの誰も応じないから当然居残るわけですしさっさとキャンセルしとけって思いますよ。じゃぁ、だからといって取り下げを要求したり非難する権利はあるんですか?

目障りなら黙ってフレ切ればいいんだよ。
イチイチ自分の価値観を押し付けて晒すなよ!って思いますね。

話を例え話に戻しますけど、フリーマーケットで値段設定に疑問を持つことは誰だってあるでしょうが、何をいくらで売ろうが、それは売り手の自由です。買う気のない外野がいちゃもんや難癖付けるのはお門違いってもんです。


あなたはフリーマーケットの値札を見て
「こんなものにこんな値段つけてぼったくりだろ!」「こんな法外な商売やめちまえ!」と喧嘩売るんですか?

パズドラのトレードに文句つけて晒してるそこの貴方、ご自身がやってる事、少し客観的に見た方がいいですよ。

運転マナーの悪い地域

こんにちわ、アスラです。

最近少し忙しく、更新が途絶えてしまいました。
相変わらず今後も少し忙しいままの予定ですが、時間を見つけてまた投稿する予定です。

投稿を予定している内容もいくつか控えておりますが、お題の提供などして頂けるととても嬉しいです。

Twitterアカウントも開設してありますのてそちらでもよろしくお願いします。




さて、本題に移りましょう。
今回は運転マナーの悪い地域についてです。

遠出や転勤などで馴染みの無いところを車で通るとしばしば思いますよね。

うわーここの地域は運転マナーが悪いなーと。

色んなケースがありますよね…

アスラが個人的に嫌いなケースを紹介します。

道を塞いでせき止めながらの右折合流、これですね。
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コンビニから出てくる車を想像してください。ウインカーは右に出てます。普通は両方の車線の流れが途切れるまで待ってから合流ですよね?

ところがたまにいるんですよね。目の前の車線のど真ん中で止まってる車が…当然その車線は塞がれてますし対向車線は車が来てるわけですから膨らむわけにも行かず止まるしかないってわけです。

直進車優先はどこいったんでしょうか?


アスラは過去に人口あたりの車保有率の高い所に住んでいた事がありまして、そこに住む知人数名にこのケースについて話したことがあります。

彼らが口を揃えて言っていたのは、
「そんな迷惑なことするくらいならさっさと左折合流して別のルートから目的地向かうよ。途切れるの待つより大回りした方が早い時もあるし」といった事でした。


とまぁ、こんな感じで日々他の車の動きをみてあれこれ考えたりするんですけど、実際運転マナーの善し悪しって地域差がありますよね?

アスラは地元密着型のライフスタイルではないので、そこそこ色んな地域で車にのります。そんな時によく思うのが、「ここの地元の人は当然だと思ってるんだろうか?」って事です。悪いとわかっていてもやる人はともかくとして。その地域で育ってその地域で車に乗ってる人にとってはそれが普通なんじゃないか?って感じです。

さっきの例みたいに目の前で流れを止めて強引に合流しようとしてくるのにムッとするのが実は少数派なのかも知れません。

優先道路の流れを妨げるのはもちろんすべきじゃないし郷に入っては郷に従えは通用しませんけど、地域に根深く定着してしまったヘンテコな運転の仕方って、その地域を出ないとわからないもんなんですよね。

可能なら地元のいろんな人にこういったケースについてどう思うか聞いてみたいものです。説教するつもりはないですけどねw

ヒルドイド保険適用カットの危機と医療倫理

こんにちは。アスラです。

 
今日は雑感カテゴリーでの投稿です。
 
ヒルドイド保険適用カットの危機、です。
 
原因は、美容目的で医薬品の処方を希望する人と安易に処方する医師ですね。どっちがよりギルティかは個人差があると思いますが、アスラはどちらかというと後者だと思います。
 
 
ヒルドイドは処方箋が必要な医療用医薬品です。つまり病気の治療目的で使われる薬であって、美容目的での処方はすべきでありません。昨今話題となっているこの状況が何故起きたのか、考えてみました。
 
 
①ヒルドイドの適応症にワイルドカード的なものがある
②医療機関の客商売的側面
③効果面と経済面
 
 
①ヒルドイドは医療用医薬品ですから当然適応症があります。代表的なものは皮脂欠乏症と凍瘡でしょうか。言い方を変えるとこれは潤いの減ったお肌としもやけです。この辺って、病気なのか病気じゃないのか曖昧な気がしますよね?誰だって歳を取れば肌の潤いは減ってくるし、寒ければしもやけにもなりますから。お肌の話だけじゃないんですが、症状の重さ次第で治療が必要かどうかが変わってくるものが実は多いです。病気と判断するかどうかは医師のポリシーや考え方次第ですからなんとも言えないんですが…。かなり大雑把な言い方ではありますが治療が必要か否かは生活のどこかに明らかな支障を来してるかどうかを基準に判断される事が結構多いです。QOLという考え方ですね。例えば関節痛を例に挙げると、日常生活に目立った障害がなければ痛みを自覚していても治療の必要性は低いと言えますね。逆に関節痛のせいで睡眠が妨げられて睡眠不足だとか家事や日常的な動作が思うように出来ないとかだとこれはどげんかせんといかんって言えると思います。こう考えると、ヒルドイドには作用と適応症の性質上「安易に処方されてしまいやすい」側面があると言えると思います。
 
②医療機関は客商売としての側面がある事は以前の各論でも言いました。患者の言いなりになって薬を処方する医者がいるのも事実です。パソコンとにらめっこしたまま目を合わせなかったり、患者の訴えをろくに聞かずにハイ次ハイ次と流れ作業的に済ませようとしたり、ふんぞり返って専門用語を乱発しながら説教ばかりしてくる医者にはかかりたくないのが本音でしょうから、欲しい薬をハイハイと笑顔で出してくれる都合の良い医者に患者が寄るのはある意味自然な事です。しかし、医療機関の経営上のサービスとしてある程度必要なことなのかもしれませんが、度が過ぎると良くないですよね。医療行為と接遇は切り分けて考えるべきだと思います。残念ながらそういった医療倫理が欠けている医師が一部に居るのは確かです。
 
③ヒルドイドに限らず、医療用医薬品と同じ成分でもドラッグストアで処方箋なしでも買える薬(OTC)は沢山ありますが、医療用とOTCには一般的にいろいろな面で大きな開きがあります。医療用医薬品は3割負担ですから価格もかなり違います。つまり、お金を払う側としては「医者に処方してもらえばドラッグストアで買うのと比べて7割引で同じ量をゲットできる」って事です。経済的にはとてもオトクですね。ヒルドイドの主成分であるヘパリン類似物質に限らず、サプリメントでもよく見るEPAやビタミン剤、ミネラル類などは医療用医薬品としても使われているものですから、医者に出してもらえるならそれが1番オトクなわけです。更に、ドラッグストアで売られているOTCは過量服用による健康被害へのリスクを下げる目的などを主な理由として含有量が低く抑えられているものが多いんです。意外と見落としがちですね、これ。つまり純度が雲泥の差ってわけです。そうなると7割引どころの騒ぎじゃなくなってきます。同じ量で揃えて試算すると費用の違いが10倍以上あるものも意外とありますよー。量だけでの事ですが、変な話サプリメントなんて「糖分を取るためにテーブルの上にある角砂糖には目もくれず微糖のコーヒーをがぶ飲みしてる」ようなもんです。
 
美容や健康に意識の高い人がこのオトク感に目をつけて医療機関に足を運ぶケースが増え、それに一部の医師が安易に応じているのが原因で、ヒルドイドの単剤での処方を保険適用外とする事が検討されています。
 
ヒルドイドはアトピー等、皮膚疾患で悩む患者さん達の強い味方ですから、必要とする人もたくさん居ます。もしヒルドイドの単剤処方が一律に保険適用外となった場合、医療目的でヒルドイド単剤処方が必要な人もひっくるめて全額負担になっちゃうわけです。また、それを回避する為に必要性の高くない医薬品が隠れ蓑として抱き合わせで処方される事も考えられます。具体的にどうやってその辺の交通整理をするかはオカミのやる事ですが、美容目的でヒルドイドを求めて医療機関に行く人と安易にヒルドイドを処方する医師のしわ寄せが真っ当な使い方をしている人にまで行くのはおかしな話ですよね。
 
医師は国家資格を持ったプロですから、処方の要否を医療倫理の上に立ってきちんと検討すべきだと思います。
 
救急車をタクシー代わりに使うのは良くない!!という声があがる世の中ですから、ヒルドイドを美容目的で使うのは良くない!!って声があっても、いいですよね?
 
ヒルドイドを美容目的で処方してもらってるそこのアナタ、その行為がアナタ自身だけじゃなく治療が必要な人をも経済的に苦しめる事になる可能性があることをご理解されてますか?それでもご自身のお肌の調子のほうが大切ですか?
 
ヒルドイドが単剤で保険カットになっても単剤じゃなきゃいいんでしょ!と思ってるそこのセンセイ、その抱き合わせ処方は本当に必要ですか?隠れ蓑ではないですか?「患者の為だから」という理由はビジネスとしてですか?医療としてですか?
 
 

客商売の基本のきの字とは何か

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こんにちわ、アスラです。

みなさん台風一過の秋晴れは堪能しましたか?

 
今回のテーマは、「客商売の基本のきの字とは何か」です。
 
前回の各論で医療機関の客商売としての側面に触れた事もあって、今回も客商売絡みとなります。
 
今回は1つ注意すべき点があります。今回の炎上例は、何が事実か(あるいは事実と判断して良いか)とどこからが憶測かをしっかり見極める事がとても大切な例です。ネットで様々な情報が拡散されていく中で、これを見誤ると話題のフォーカスがズレた所に飛んだり、トンチンカンな批判に繋がるからです。なぜこれを書いたかは続きを読めばお分かりいただけると思います。
 
ある日、彼はこう言いました。
「久々にぶっとばそうかと思いました」
 
こういう言葉はネットを見てれば特に珍しいもんじゃないですよね。が…割とありふれたこんな言葉が炎上の火種となった出来事です。 実はこれ、飲食店の公式ページ内のブログに記載された言葉なんですね。なかなかブッ飛んでますね…。
 
概要はこうです。
 
妊婦とその夫がお酒メインの飲食店を訪れる
ソフトドリンクを妊婦が頼む
お酒を出すお店としてのポリシーに反するという理由で退店させられる
後日店名付きで批判ブログが立ち上げられ炎上
店側が大筋で内容を認め謝罪
 
これは、サルベージ可能な情報と店側が内容を大筋で認めた事を総合的にまとめたものです。当時の現場でのやり取り等を含めた詳細は憶測の域を出ないところが多く、部分的に事実と違う可能性がある点はご理解下さい。
 
実際、炎上の過程でとても多くの細かな話題に火がついていた事も今回の特徴と言えます。一言で言えば、憶測が飛び交ってたんですね。その主な要因は、
 
①妊婦という社会的弱者の代名詞的マジックワード
②批判したブログが炎上目的で作られた可能性が非常に高い
③火種と燃料がどちらもネットが起点
 
こんな感じだと思っています。
 
①妊婦という言葉は「社会が守るべき存在」という潜在意識がありますね。実際そうなんですが、社会的弱者ということで贔屓目に見てしまい公平な判断を迷わせる言葉でもあります。今回の例ではそういった偏った視点への反感から来ていると思われる「妊婦だから何しても良いってのはオカシイ」って意見が多く見受けられました。言ってる事はその通りなんですが、実はこの考えは今回の炎上に関して言えばトンチンカンな意見だとアスラは思っています。何故なら、今回の炎上は「妊婦が横柄な態度で店のポリシーを無視して道場破りを仕掛けた事」ではなく「店のコンセプトを盾にノンアル客を追い出し(その後店のブログでぶっとばそうと思いましたと暴言を吐い)た事」に端を発してると考えるほうが確実に多くの点で辻褄が合うからです。批判ブログの内容が過不足なく事実を述べているという保障がどこにもない事、飲食店での店と客という閉鎖的な状況だった事などから真実は闇の中なのは確かですし、そのせいでいろいろと憶測を含めた議論が交わされていました。当時某掲示板では、「ノンアルお断り」というこのお店のポリシーがどこに明記されていたか、それが目立つ場所なのか、見落とされないような工夫はあったのか、店側が客選びとトラブル回避に必要な対策を講じていたのかって話まで検証が行われてました。その結果は「これじゃ見落とした客の落ち度を指摘できるレベルじゃない」「初見でこれは見落としてしまう、知らずに入ってしまうのも無理はない」といった意見が多かったです。当時は確か店頭の立て看板と店内の壁のメニューの2箇所で、しかも隅に書いてあった記憶してます。食べログとかで下調べしろよって話もありますがそれは店が客側に要求する事じゃないのであくまでもお店での話です。
 
②恐らく、訪れた夫婦は半ば強制的にお店を追い出されたんだと推測されます。そして店名付きで批判ブログを立ちあげるわけです。後に行われた検証によれば、記事は3つだけで記事URLの通し番号と日付がチグハグだった事等からこのブログは「元々あったものではなくお店を糾弾する事を目的として新たに作られたもの」であるとほぼ断定されました。ここまでやる程の負のエネルギーですから、この検証はやはり店側の対応に問題があった事が炎上の火種だという意見を支持するわけです。
 
③炎上の最中に当然お店のHPにガサ入れが入りました。面接に来たバイト希望者への暴言など、かなり言いたい放題だった様です。こういった過去の素行も炎上のふりかけになってましたね。客商売をする立場でコレはちょっとTPOが宜しくないのかな、と思います。一方で、今回の炎上では妊婦側(のやり方)を批判する意見が他の例と比べてとても多かったです。「即席ブログで告発なんて卑怯だ」「店は丸腰なのに安全な所から晒し上げってどうなのよ」「妊婦側がとんでもないモンスター客だったんじゃねぇの?」といった感じの批判が多かったんですね。
 
でも、どうでしょうか?物事には順序があって、火のないところに煙は立たないんですよね。これだけ負のエネルギーに満ちた行動に出たということは、やはりお店側の対応に大きな問題があったのだろうと考えるのが自然だと考えます。悪ふざけやちょっとムッとしたって理由でやる事にしちゃかなり大掛かりで本気ですよね。それに、お店も大筋で非を認めているんですよね…。「いやいや客が酷かったんだ店が被害者なんだよ」って事であればそれをきちんと説明すればいいだけの事です。根も葉もないこと並べてお店の評判落とされたら迷惑もいいところですよ。
 
もしお店が「ご来店ありがとうございます!!でも、申し訳ないんですがウチはお酒に力を入れてて、お酒が中心のお店なんです。なので、ノンアルはお断りしてまして…お子様が生まれてお酒が飲めるようになったらまた来ていただけませんか?お祝いでがっつりサービスしますから!」と気の利いた言葉を添えてお帰り頂いてたら、ブログを立ち上げて批判なんてしますか?炎上なんて起こりますか?起こりませんよね。アスラが同じ立場でこんな事言われたら、腹が立つどころか飲めるようになったら真っ先に行くし気遣い出来る素敵な店だって知人に宣伝しますよ。客商売って、そうやってリピーターだったり口コミで寄ってくる新規客を獲得していくもんなんじゃないかってアスラはいつも思ってます。
 
お酒は大好きだけど飲めないって境遇をストレスに感じてる妊婦なんてゴロゴロいますよ。そんな妻に気を遣ってお酒を我慢する旦那だっているだろうし、普段からそんな気遣いをしてくれる旦那にたまには気兼ねなく飲ませてあげたいとお酒を出すお店に外食に出る夫婦が居ても変じゃないと思いませんか?今回の当事者に具体的にどんな経緯があったかはわかりませんが、客商売としてはそんな気の効かせ方や想像力を持って柔軟に対応する事って、とても大切な事だとアスラは思います。
 
お店のポリシーを曲げろって事じゃないです。客商売してるなら、店のポリシーやコンセプトにふさわしくない客に上手な断り方が出来たらカッチョイイやん?って意味です。店にだってこだわりがあって当然だと思いますし、お店にも客を選ぶ権利は有るとアスラは思いますよ。
 
水ぐらいだしてやればいいのに、みたいな話もありましたし、今回の炎上は他と比べて考える切り口がとても多かった印象があります。世間の興味のアンテナが立つポイントがとても多く含まれていたケースでしたので、その分だけ議論も多かったのが印象的でした。

 

食べ方を指定したり、お店のルールをアレやコレやと客に要求する飲食店って結構あったりしますよね?ラーメン屋とか。しゃべるな携帯いじるな香水つけるなすぐ食べろ食べ終わったらカウンターに食器あげろ写真は撮るなみたいな。食事をする場所として納得出来るルールならまだわかるんですけど、お店によっては「そこまで客に要求するのってどうなの?好きにさせてほしいんだけど」って思っちゃうようなお店も中にはあったりします。

 

アスラは猫舌なんですが、あるラーメン屋さんで最初の一口がエラく熱かったので少し冷ましてから食べようと思って店内のコミック眺めてたんですが、「何で食べないの!?さめちゃうから早く食べてよ!!」ってすごい剣幕で急かされた事があります。「猫舌なんスよ。。。」って言ったら黙りましたけどね、やっぱりいい気はしませんでした。その店に行ったのはその1回きりです。

 

来店した客はその人なりの理由があって選んでくれたわけです。来店した事自体に一定の感謝の気持ちがあっても良いのでは?と思いました。思いすごしだったり勘違いだったとしても、根拠の強弱の問題でもないと思うんですよね。客商売をするにあたって、店に拘りを持つ事と殿様商売は別モノ。これは踏まえておきたいね、と感じたのでこれを今回の結語とさせていただきます。

医療機関が患者を番号で呼ぶ理由

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こんばんわ、アスラです。

週末から週明けにかけては台風が近づいてきていますが、日曜日は選挙ですね。

アメニモマケズ、投票しましょうね。

 

今回は各論第三回目となります。

テーマは「医療機関が患者を番号で呼ぶ理由」です。

各論でのこの書き方ですから、「あぁ、あれのことか」とピンと来る方も居るかもしれませんが、前回の投稿の経緯もあるので、各論本題については軽めにしたいと思います。

 

ある日、彼はいいました。

「俺は刑務所に来たんじゃないぞ」

「こちらは15,000円以上の検査料を支払う、上得意のお客さんだぞ。」

 

某病院で検査を受け、番号で呼ばれたことに憤慨して発した言葉ですね。

まぁ、なんというか、詳しい経緯すら必要ない程の典型例というか・・・。

 

釈迦に説法かもしれませんが、一応書いておきますね。

医療機関、特に病床数の多い病院では患者さんを番号で呼ぶことがあります。

開業医では環境が違うので少ないかもしれませんが、病院などでは割と多いようです。

 

①患者さんの取り違え防止

②医療機関の管理上のメリット

③医療情報を含む個人情報の保護

 

といった目的がありますね。彼の様に「番号で呼ぶ=刑務所」という考え方が強くてカッとなる人もいるかもしれませんが、やっぱりこういうのにも理由とか目的ってのはあるんですね。多くの人がいる中で「鈴木太郎様~、梅毒と淋病とクラミジアで治療中の鈴木太郎様~」なんて言葉で呼び出されたらたまったもんじゃありませんよねw

 

医療機関と患者の関係を店と客の関係と理解するのも考え物です。確かに医療機関によっては清潔で快適な設備、おいしい病院食、便利なATMやコンビニを備え、受付の事務員は容姿端麗、といった感じで、ルックスや利便性に力を入れて文字通り「客寄せ」に力を入れるところがあるのは確かです。医療機関といえども経営を継続する為には患者さんに選んでもらわなければなりませんからね。そういう意味では医療機関は客商売です。

 

しかし、それだけじゃないんですよね。医療機関は医療行為をする場所です。来院する人は病気に困っている人であったり、将来的な病気の予防と対策の目的で行くわけです。「先生にすべてお任せします!」という話は少々昔話みたいなムードがありますが、相手は国家資格を持ったプロですから、こういった関係は時代を超えて普遍的なものでもあります。自らを上得意客と豪語し、お金を落としているんだから番号で呼ばずにお客様扱いしろ!というのはちょっとブッ飛んでますね。。。

 

まぁ炎上するわけです。病気じゃなくても、検査料を払うのは当たり前の事です。医療行為だって当然お金がかかってるわけですからね。災害派遣とかならそりゃ医者も無償で医療を提供しますが、通常は商売としての側面を度外視することはありません。

 

彼はブチ切れた挙句検査料を払わずに帰ってしまったそうです。そんなこんなでいろいろな要素が絡まって炎上は瞬く間に広がり、世間様の猛反発を受ける事となりました。

 

ここからは、前回前フリした内容へと進んでいきます。

アスラが目撃したちょっと珍しい展開、ってやつです。

 

炎上している中で特に目立っていたのは「死ね」というキーワードでした。

他の炎上例でも血の気の荒い一部の方がこれを好んで使いますし、ありがちなキーワードだというのは確かにあると思います。(アスラは見てるだけですよ。決してこんな言葉投げたりしません。)しかし、アスラは個人的に今回の例は「舞台が医療機関であったからこのキーワードが特に目立っていた」と感じました。医療機関は人の生死に関係する場所ですから、世間の反発もその辺の意識がふりかけとなっていたように思います。

 

アスラがまとめ系サイトを眺めていると出るわ出るわの罵詈雑言です。

心無い死ね死ねコールの嵐です。まぁひどいもんでしたね。こうも軽々しく言えるのか、と。

 

そして、彼への死ね死ねコールについてまとめられたページを見ていました。

 

その中でみた一文。

「医療費踏み倒すとか論外やん。そんな事するなら病院行かずに野垂れ死ねばいいんだよ」

 

攻撃したいだけで発しただけの「死ね」とはちょっと違いますよね、これ。

この一文は、先ほどアスラが言及した医療行為と対価の事を踏まえて書かれた文だなと、ピンと来ました。「医療費を支払わないなら医療を受ける資格はない」という意味ですよね。

 

受け止め方はそれぞれでしょうが、「医療費を踏み倒すなら野垂れ死ねばいい」という文を見たときアスラは「まぁ、確かにその通りだよなぁ・・・」と思いました。宗教上の事情で医療を拒否する人もいますし、病気によってはとても払えないって理由で医療を受けない人もいます。医療を受けるか受けないか、これは患者サイドに選択の自由があります。ですから「医療を受けるだけ受けて費用を払わない」なんてのはやっぱりNGなわけです。

 

このように、一部のサイトでは真意と違ったまとめられ方をしている場合がある、というのが具体的に見えた炎上例でした。「死ね」というキーワードで機械的にまとめていると、こういう色合いの違うものまで拾っちゃうんですね、って事です。

 

 

実はね、この話、もうちょっと続きがあるんですよ。

新鮮だったので、この件ついてもうちょっと散策してみてたんですね、アスラ。

 

そしたら、見つけたんです。

「医療費を支払わないなら野垂れ死ねばいい」に対し、「これは死を求めているわけじゃないだろ」

って意味の言葉を。

 

いやぁ、びっくりしましたね。

自分以外で同じような事を考えてる人を目の当たりにすることってあるんだな~って感じで本当に驚きました。

 

いかがでしたでしょうか?今回は概論からの前フリがあっての各論という形でした。

まとめ系サイトの事まで含めてひとつの記事にすると長さがハンパなくなりそうだったので

二つに分けた形でした。そうじゃなくてもダラダラと長いなと自分でも思ってはいるんです、申し訳ないです。

見づらいかもしれませんが書きそびれたくなくてどうしてもアレモコレモとどんどん書いてしまうんです。

 

読み応えがある、とポジティブに思っていただけるとありがたいです。

 

 

機械的に拾い上げる事のリスク

今回のテーマは

「機械的に拾い上げる事のリスク」です。

アスラの記事に触れていただいた事のある方であれば何の事を指して言っているか察しのつく方も多いかもしれませんね。

まとめ(系)と呼ばれる類のウェブサイトの事です。

実はアスラは過去にちょっと珍しい展開を見た事があります。当時は「へぇ、こんな展開ってあるんだなぁ」と思いましたね。詳しくは次回の各論のカテゴリーの投稿で取り上げる予定ですので、少しお待ち頂ければと思います。

詳しいことはさておき、まとめ系と呼ばれるウェブサイトを見ていると一部のページでは機械的に拾い上げている事が良くわかるケースがあります。炎上が起きた時、まとめ系サイトが話題として取り上げますよね。まぁそこがポータルの役割を果たして拡散を加速させている訳ですし、アスラもそうやって炎上事例を知る事が多いというのが現状です。

まとめ系サイトの内容を一通り読んで、火種を見に行き、色んな人の反応を眺める。並行して周辺知識の収集をしながらあれこれ考える訳です。色んな人の考え方や思考に触れる事は新鮮ですし、とても勉強になります。騒ぎに便乗して悪ノリをする人を尻目に見ながら、たまに出る豪速球ストライクど真ん中!みたいなコメントをズバーンと投げる人を見てエラく感心するんです。ファインプレーを見るのにも似たこの感覚はとても気持ちの良いものです。

ただ、まとめ系サイトはしばしば発言者の意図とは違った拾い上げ方をしている場合があります。機械的に拾い上げているから起きるエラーですね。

つまり、極端な話キーワードで検索をかけて片っ端から引用して機械的にまとめている事が原因で、そのキーワードを発した意図や経緯をあまり考慮していないのが露呈している時があるということです。全部がそうだと言っているわけではないですよ。高い精度で選定してまとめるのは労力の要る事ですから、多少のエラーが含まれるのは仕方ない事だと思いますが、その一方でエラーを見るとどうしても雑とか杜撰といった言葉が浮かんできてしまいます。

例えば、「キライだ」というキーワードを考えてみましょう。

炎上事例関連の発言を抽出できる中核的なキーワードとあわせて検索をかけるとたくさんの「キライだ」がヒットしますね。

そこには色んな「キライだ」がある訳です。

「〇〇って奴はアホか?こんな短絡的な思考の奴はキライだ」
「自己中はキライだ、そりゃ炎上するわ。〇〇って奴ざまぁw」
「ん?〇〇って人が炎上?どうでもいいけど便乗して騒ぎたいだけの人は俺はキライだな」

といった具合に、意味合いの違う「キライだ」が紛れ込むわけです。これは割と露骨な例えですが、3つ目の「キライだ」は炎上のまとめに盛り込まれる必要があまり無いものですよね。これがエラーです。これが例えば「炎上した〇〇という人を攻撃する人たち」って感じのタイトルでまとめられてしまうと、その温度差は広がるばかり。明らかに違う趣旨の内容が紛れ込んでいる状況となります。

機械的に拾い上げる事のリスクは、「誤解を助長する可能性を孕んでいる」って事です。世間の興味の対象の大半が炎上そのものなので、たまたま紛れ込んだエラーにまで注目が集まることはほとんどありません。大抵の人はダラ見流し読みでスルーです。しかもそのエラーはまとめという大きな枠組みで羅列されている中のごく一部ですから、埋もれているのが実情です。実際にその誤解によって火の粉が飛び発信者が迷惑を被る事もほとんどないと思います。あくまでも本流は炎上そのものであってリアクションは支流、水量に大きな違いがあるからです。でも、機械的に拾い上げられることで誤解されているのをもし発信した本人が目の当たりにした場合、それはとても心外ですよね。「え?俺そういう意味で言ったんじゃないんだけどなんでこのまとめに入ってんの?」って感じです。


リスクといいましたが、そんな大袈裟なもんでもないですよね。ただ、アスラが炎上例の一連の話を見ている中で、エラーが目に留まり、「んん?この人、そういう意味で言ってないよね?」って思った事が何度かあったので記事にした次第です。



願わくば、まとめる立場の人には意味合いの違う発言を除外しエラーを減らす事を気にかけて頂きたいと思うばかりです。

次回の各論での投稿では、これに言葉のマジックが加わりちょっと珍しい経過を辿った後日談を交えてご紹介するつもりです。



グリーン車にみる「ルールとマナー、混ぜるな危険」

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寒さに加え雨、悪天候が続きますが皆様いかがお過ごしでしょうか?

今回は第2回各論となります。
テーマは「グリーン車にみる『ルールとマナーは混ぜるな危険』」です。


ある日、彼はこう言いました。女性ですが。
大幅に遅れて運行している中、席がたくさん空いているのに グリーン車の切符がないとグリーン車に乗れないなんて全っっっ然やさしくなーい
立ってる人への配慮プリーズ。こんなときの規則なんてグシャグシャしてポインじゃ

経緯はこうです。
新年早々、某新幹線駅のそばで火事が発生
鎮火後も運行は遅延し、大混雑
立っている人とは対照的に空席が目立つグリーン車を見た彼は、駅員にグリーン車の解放を交渉するも断られる

こんな感じです。

表題を見た方であれば、何故炎上したのかがおわかりになると思います。

炎上の初期に彼は批判意見に対して一切真摯な態度を見せず一貫して茶化したり誤魔化すような返答を繰り返していた事も大きな要因の一つだと思いますが、今回の炎上の原因は、「ルールとマナーを安易に混ぜてしまったこと」の一言に尽きるとアスラは思っています。

マナーは善意とも言い換えられるかもしれませんね。

今回の事例を思い出すたびにアスラは思い浮かぶ言葉があります。

「善意の強要」です。

あえて話を逸らしますが、電車の優先席に座る人に妊婦さんや杖を持った御老人が「ここ優先席でしょ、私に譲りなさいよ」と迫ったとします。
また、街角で募金活動で立っている人から「募金は良い事なんだから募金すべきです」と言われたとします。

こんな場面を想像した時に、あなたはどう思いますか?

「え?それって義務じゃないよね…?」って思いませんか?

これがアスラが思う「善意の強要」です。
何が言いたいかと言うと、善意は行う側の自由意志が確保されている事が不可欠であり、それを要求するのは間違いではないか、ということです。

今回の場合、彼は純粋な善意を原動力に行動を起こしたのだと思っています。
混雑の中立ち尽くす子供老人を不憫に思い、ガラガラのグリーン車が目に留まる。

そうだ!空いてるんだから座らせてあげれば良いじゃん!ナイスアイデアだよね!

割と多くの方が同じ事を思いつくでしょうし、個々の判断で譲る方だっているでしょう。

しかしここで問題となるのが、個人間での範囲を超えて規則を逸脱する事の是非です。テーマにした「ルールとマナーは混ぜるな危険」という話ですね。

ルールを逸脱しようとする場合、想定される弊害を踏まえて天秤にかけその妥当性を検討しなければなりません。なぜなら、その選択によって得られるアウトカムが以前より悪化してしまうならその選択は間違いであると判断されるからです。むしろ、「ルールは悪影響や不利益を最小限に抑えつつ、生み出される利益を最大化するために設定される」と言っても過言ではないかもしれません。触れるルールについてその背景や根拠を普段から考える人にとってはナルホドと思えるかもしれませんね。

今回は良かれと思って起こした行動が浅慮であったために炎上したパターンとも言えると思います。

混雑時にグリーン車を解放した場合
①席の取り合いが起き混乱が助長する
②差額分の価値が消失し、その補償が求められる

この二つが、新たに生じうる主たる弊害だと考えられます。(ここで言う補償は払い戻しという具体的な補填だけでなく説明責任を果たす事等を含む広義での補償です)実際、炎上時の批判意見のうちのかなりの割合がこの二つのポイントに着目したものでしたね。

もちろん、人の命が関わる様な非常事態であればルールの逸脱は躊躇わずにすべきですが、今回はそうとは言えなさそうです。原因は火事ですがすぐ側とはいえ鎮火済みですし、言ってしまえば緊急性がほぼ無いタダの混雑です。原因も鉄道会社に非があることではなく、グリーン車の解放を是とするにはいささか説得力に欠けると言わざるを得ません。

当時のやり取りで特に目立っていたと感じたのは、「だったらお前が空席全部買い占めて座らせてあげればいいだろ、それなら座れた人は少なくとも文句言わないだろう、でもその先まで当然考えて言ってるんだよな?」「身銭を切る事はしないくせにグリーン車に座らせてやれと責任も権限もない車掌に詰め寄るとは何たる乞食脳」と非常に辛辣な批判が飛んでいました。アスラが個人間の範囲を超える事の是非について言及したのはこのやり取りに注目していたからです。

もっと踏み込んで考えてみましょう。仮に彼が湯水の如くお金を使える立場だったとします。お金の力でその時点での全ての空席を買い取り、立っている人々を座らせてあげようとしても、そこは年始の新幹線に火事の遅延が重なった混雑です。どう考えても全員分の席を確保するのは物理的に不可能ですよね。空席は数十席レベル、ヘタすりゃひと桁でしょう。0も有り得ますね。それに対しホームに立つ人は1000人オーダーの世界でしょう。かなり雑な見積もりですが、それでも立っている人全てに席を確保するのが不可能なことは明らかです。という事は、座れる人を選別しなければなりませんよね。果たしてそこに「なんであの人が座れて俺が座れないんだ?納得いかない!不公平だ!!」といった二次的な不満を一切生じさせずにコントロールし切れる妙案はあるのでしょうか?答えはNOです。個人の力でどうにか出来るレベルを明らかに超えているんですよね。

駅が突如、モーレツ椅子取りゲームの会場になったとしたら…恐ろしいとは思いませんか?

この様に考えていくと、いくつもの切り口で何度タラレバを煮詰めていっても処理すべき問題が新たに出てきてしまうんですね。1歩進んで2歩下がるの繰り返しとなります。結局のところグリーン車の解放という選択はいわゆる詰み手でしかないという判断に落ち着いてしまうんです。実際、そういったタラレバ系の質問意見に対して彼は明確な回答をしている様子はほぼ皆無でした。お金持ちならそうしてるでしょうね、とまるで余所事の様な返事をしていた程度でした。案の定「理想論だけ言って具体的な方法論は他人任せかいな、なんて無責任で身勝手で自己中なんだ」といった批判が噴出します。これでは残念ながら後先をまるで考えてない、と言われても仕方ありませんよね。

余談ですが、グリーン車の料金は移動に加えて平穏で快適な空間を得るサービス料としての意味合いがあります。この事は割と多くの方が経験則を元に感覚的に理解されている事だと思いますが、実はこれ、意外と厳格かつ明確に差別化されています。アスラも本件を機に詳しく知った事なんですが、グリーン車は切符の無い方は立ち入り自体が原則として禁止されているんです。立ち入りが禁止ですから、着席はおろか立ち乗りも出来ません。奥の車両への移動目的で通り抜ける事ももちろん禁止です。これに違反すると立派な不正乗車となり料金請求の対象になります。そんな厳しかったの!?意外!!って思った方、いますでしょう?アスラもその一人でしたよw


彼の行動は善意ゆえのものであることは容易に想像がつきますし、社会的弱者に席を譲る事は美徳であり咎められるものではありません。
しかし、やはりルールは善意やマナーによって簡単に破られるべきでない側面を持っている事も確かですから、その認識を持ち合わせる事がベターと思います。

辛そうだったから譲ってあげたよー、一日一善完了!同じ人がもっといたら良かったのにね、みんな意外と優しくないのね、と苦言を呈するだけならいい人なんだなーで何事もなく過ぎ去った話でしょうし、アスラの目にも留まる事はなかったでしょう。

「ルールとマナーは混ぜるな危険」
「善意の強要は、ダメ、絶対」

これを今回の結語とさせて頂きます。

所得とごちそうさまを言う言わないを結びつけることの是非

さて、皆様いかがお過ごしでしょうか。急に寒くなってきましたがご自愛くださいませ。

 

第1回の各論のエントリーとなりましたが、今回は

「所得とごちそうさまを言う言わないを結びつけることの是非」です。

 

ある日彼はこう言いました。

言い方は悪いが、と前置きした上で

所得の低そうな人ほど、牛丼チェーン店で店員に「ごちそうさま」と言う(本来不必要なレベルの)礼儀正しさを備えているように思えるのは興味深い

語弊を招く恐れがありますのであえて原文のまま引用させていただきます。

 

アスラは最初これを見たとき、さほど気になりませんでした。アンテナはそこまで立たなかった記憶があります。

まぁそんなもんかなーって気持ちと、「ごちそうさま」を言うか言わないかは所得にはあまり関係ないんじゃない?という感覚でしたね。

 

実際はかなりの炎上となりました。

この炎上を見ていく時に、まず思ったのは、「反発感情を引き起こしやすい表現が多い」という事です。多少表現に含みを持たせたり、それなりのエクスキューズを混ぜ込んだ形ですので、ズバーっと言い切る形を避けて反発を招かないような表現を選んだんだろうという感覚を受けますね。しかしながら、それでも炎上してしまいました。

 

アスラとしては、根本的に「ごちそうさまを言うか言わないか」と「所得の多寡」を関連付ける事自体に大きな危険性を孕んでいると考えます。また、ご馳走様という事を「本来不必要なレベルの礼儀正しさ」事と表現してしまった事も反発感情を引き起こしやすいですね。

 

そもそも、食べ物やその提供者に対して「頂きます」「ごちそうさま」と言うのはアミニズムの考え方や「命を頂く」という考えに立脚した言葉であって、所得の多寡とは本来無関係なことだ、というのが一般的な理解だと思います。低所得であってもごちそうさまと言う習慣がない人もいますし、食べ物に困らない家庭に育った人でも親からきちんと躾けられた人であればごちそうさまといいますよね。

 

「たかが牛丼屋、安メシなんだから店員にごちそうさまなんて言わなくてもいいじゃん」って意識が多少なりともあったのでしょうね。そうでなければあんな表現をわざわざしないだろうというのが一般人からみた見解だとおもいます。彼の中でどうであったかは闇の中ですが。。。

 

低所得層であるか裕福であるかは、ご馳走様と言う言わないかと本来は無関係であるべきなんです。

両者の間に直接的な因果関係がほぼない事ですから、それを結びつけて論じるのは「風が吹けば桶屋が儲かる」

と表現されるようなこじつけになりやすいのでリスクが大きいですね。

 

また、ある事象を所得の多寡でカテゴライズする事はそのこと自体が非常に反発を招きやすいですよね。所得の低そうな人、という表現はどれだけオブラートに包んでも隠し切れない差別意識を生み出します。このような差別意識を引き起こす表現は、読み手に対して「自分はどこに属しているのか」という感覚を伴わせます。さらには、一部の読み手に対し「自分は上位」という優越感をもたらし、それが記事や表現を読む目を曇らせる原因となる可能性があります。

 

彼にはどうもファンが多く、発言の影響力の大きな人物だったようです。ブログも人気だった様子ですね。しかし、この炎上に関連して彼の発言を少し見ていくうちに、浮かび上がってきた特徴がありました。

 

①非常に難解な表現を多用している(読み手の受け取り方が一定しない)

②自身の思考に大きな自信が滲み出ている

③人と違う着眼点を持っていることをアピールし、それに賞賛を浴びたい気持ちが伺える

 

こんなところでしょうか。あくまでも自分がそう感じた、というわけで、そう思わない方も多くいらっしゃるかと思います。

 

ただ、この3点は実は炎上に関しては絶好のふりかけとなってしまうんだと後で知ることになりました。

 

簡単に言えば、「誤解を招きやすい表現をしてしまったが為に反発を買い炎上した」

彼は色んな思考をめぐらせて先述のような表現をしたのだとは推測できます。きっと低所得の人を敵に回したい意図はなかったでしょう。彼なりの論理もあったでしょう。どこまでケアしたつもりだったかは今となってはわかりませんが、「結果として世間から猛反発を食らってしまった」わけです。

 

アスラ個人としては、所得の多寡とご馳走様を言う言わないを結びつけて考えること自体が着眼点としてナンセンスだと思いますがまぁそれは人の自由ですからかまわないと思います。

 

先ほどの表現は、おそらく普段から彼のブログを好んで読んでいる人から見ればなんの違和感もなく受け入れられてたでしょう。実際、擁護派のご意見は彼に普段から心酔している様子が添えられている事が多かったです。しかし、初見で見た人の反応は真逆だったわけです。これには彼も想定外だったのではないでしょうか。

 

やはり彼は「誤解を招かないような表現をする」という事を怠ってしまったと言わざるを得ないと思います。彼サイドに立ってみると、「真意が違う形で受け取られてしまう事」へのリスクマネジメントでしょうか。

 

その後彼はしばらくスタンスを変えることをしませんでしたが、話が大きくなっていき最終的にはブログを閉鎖して鎮火に向かう事となりました。

 

炎上直後の彼のスタンスにも少々問題があったような気がします。自身の思考を堅固に保っていらっしゃいました。噛み砕いた表現が必要?と煽りとも受け取られかねない表現もありました。

 

こういったやり取りを見ていて痛感したのは、

「この人は自分の真意が違って受け止められてしまった理由を自分の中に探すタイプではない」ってことです。しかし、公共の場で何かを発言するときは「誤解をされるような表現をしてしまった時に、その尻拭いをしなくても良い」という事には必ずしもなりません。一般ピープルが頭をフル回転させないと理解できない表現を多用することのリスクともいえるかもしれません。多くの人が目にする場所で何かを発言するときは常に気をつけておくべきことだとアスラは思うのです。

 

きちんと釈明をするなり、さっさと(内心不本意だとしても)ゴメンチョしておけばよかったものの、自ら炎上に油を注いでしまっていたんですね。しかもブログ界隈での人気者だったわけですから、その炎上の加速度はすごいものでした。



 

彼はきっととても頭の良い人なんだと思います。一般人が持ち得ない着眼点を持ち、地頭も良い人なのでしょう。そこに、世の中彼ほど頭が良い人ばかりじゃないよって理解が深ければもっと良かったのにね、と思う事例でした。読み手によって解釈が大きく分かれる事例ですので、擁護の余地のほとんどない典型的な炎上とは少し色合いが違いますが、初回の各論の結語とさせていただきます。

 

 

 

 

 

 

 

炎上を見ていて抱く疑問-否定意見の集積はリンチか?-

ある日、誰かが何かを呟いた。

 

それを見た人は反感の意味や珍奇なオモチャを見つけた感覚でリツイートを繰り返し、またたく間に拡散していった。


魚拓を取られ、他の媒体にまで飛び火し、義憤と悪意に満ちた罵詈雑言を容赦なく浴びせられる。


外部の掲示板にスレが立ち、まとめサイトに取り上げられ本題とは関係の無いところにまで負のエネルギーの矛先が向き始める。


弁明釈明の余地は押し寄せる批判という荒波に飲み込まれ、既にどこかへ流されてしまっている。


情報を集め面白半分で個人情報を探し当てる「特定班」と呼ばれる人々が動き出し、丸裸にされ社会的な制裁を受ける。


良く見る炎上例ってこんな感じですよね。

 


アスラは炎上例に遭遇すると基本的にはまず傍観者のスタンスを取ります。迂闊に意見をしたりはしません。自分の意見を投げる事よりも、見た人知った人の反応の方に興味があるからです。そうやって炎上の火種と人々の反応を眺めていると、結構な確率で「???」となる場面に出会います。

 


「確かに悪いけどさ、寄ってたかって叩く事?」

「リンチはやめろ!やりすぎだぞお前ら!!」


こんなコメントですね。見覚えがある方も多いと思います。

こういった発言を皆さんどう思いますか?

アスラはこう思います。

「意図的に袋叩きにしてるの?」

「誰かの指示があって批判してるの?」

「扇動してる人、居たかな?」


確かに一部では面白半分で意図的に焚き付けたりする人もいるでしょう。

でも批判や否定的な発言の全てが扇動によって引き出されたものではないと思うんです。


前に書いた炎上のメカニズムにも大きく絡んできますが、炎上を構成する要素の②燃料ですね。

燃料を細かく見ると、さらに二つの側面があるとアスラは思います。


「多数の人の目に晒される事」

「多数の人から意見が寄せられる事」


炎上の過程で、多くの人が意見を言いますよね。大抵のものが否定的なものなわけですが、炎上の実態とも言えるその意見の集合体は


「袋叩きにすることを目的とした意図的なリンチ」ではなく、

「各々が自由意志に基づき発したイチ意見がゲリラ豪雨のように積み上がった結果」

だとアスラは思うんです。


リンチは良くない、と言う人は恐らく、短期間に集中攻撃を受ける有様を不憫に思ったり、そこまで多数の批判が集まる程のものではないと感じているんでしょう。人によって価値観は違いますから、アンテナが立たないものだってあります。みんなが話題にしていても興味がない事には反応もしませんよね。そういった興味の範囲外の内容に対しては「なんでそんな目の色変えて批判してるのかわからない」となりますし、その感覚は間違ったものではありません。そういったいわゆる「外野」的なポジションから炎上してる様を見たときは確かに一見リンチのように見えますが、意見する人に「リンチをしたり結託している意識はないんじゃないか?」と思うんです。


多くの人が口を開いて対象に言葉を投げる場面をたとえ話にしてみます。

クラスや職場に口臭がキツい人が1人居たとします。

誰かひとりが、「あのさ…歯磨きしてる?ちょっと口臭が気になるんだけど…」と、重い口を開きます。

(普通はほかの人に聞こえない場所を選んだりと気配りをする事がほとんどですがそこは抜きにして)

そこにほかの人が

「いや、俺も実は同じ事考えてた・・・」

「あっ…私も…言わなかったけど気になってました」

と言った具合に他の人が乗っかる形で話が広がることってありますよね。

まぁネガティブな内容に限った話ではないんですけど。

こういうケースは、アスラはリンチではないと思うんです。


逆に

「あの人、口臭きつくない?」

「確かにそう思う…。」

「でもさ、1人で言うのはどうも気が引ける、逆ギレされたらヤダし・・・」

「そんじゃ同じこと思ってる人集めて、みんなでせーので言わない?」

こんな展開を経て言われた場合はリンチ的だとアスラは思います。


この違いは、「意見が意図的に集積されているか否か」という点です。

前者の場合は同じ考えの人が「たまたま」集まり、結果的に集積されて塊となった

後者の場合は「同じ考えの意見を意図的に集積して」塊にして投げかけられた


この違いは小さいようで大きいと思っています。

どちらも複数の意見がまとまって届くというアウトカムは同じですが、その経緯に大きな違いがあると思うんですよね。


ですから、「リンチは良くない」と苦言を呈する人に対しては、その苦言の対象にリンチしている明確な意図があると推定できない限り、アスラは否定的です。とは言っても批判意見を隅々まで検証することは不可能に近い事ですから、あくまでも「リンチだ」と決めつけるのは早計じゃないか?といった程度のものです。


言うまでもないですが、「おい、こいつ香ばしいゾ痛いゾ、叩け潰せ~」と悪乗りして扇動するのはほんとにやっちゃダメだと思います。

 

炎上を見ていていつも思うのがこんな事です。

 

 

 

なぜ炎上するのか


個々の炎上例に私見を述べていく前に、
アスラが考える「炎上のメカニズム」について書いておこうと思います。

割と多くの方が似た考えをお持ちかと思いますし、そんなに大袈裟なものじゃないですがw

炎上が起こる背景は、二つのファクターがあると思います。

①火種と②燃料 この二つですね。

①の火種ですが、これは文字通り炎上の原因となる発言や行動等です。もちろん水面下のままでは日に当たらず自然に鎮火するだけですので、誰でも見られる状況に晒されている事を前提とします。
火種となりうるものは多種多様ですが、共通点として思うのは「ブッ飛んでる」ものほど炎上の加速度は早いということです。
つまり、炎上の火種は「発言や行動の、世間一般の常識との乖離」とも言えると思います。ブッ飛び具合が激しければ激しいほどその火種は大きい傾向がありますよね。常識って人によって違うし、境界の曖昧なものですけど・・・。
逆に言えば、「そんなの人の考えなんてそれぞれなんだし個人差の問題じゃね?」で済んでしまう様な話は炎上には繋がらないでしょって事です。
一部では発言の影響力の大きな著名人の発言に賛否の論争が起こることがありますが、それはアスラが思う炎上ではありません。

②の燃料は、その火種を大きくする要素です。拡散加速度の大きなSNSに火種が投下されると、あっという間に広がりますね。フォロワーの多い人の目に留まればさらに加速します。

ブッ飛んだ行動や発言を燃料と定義し、拡散力のある人の目に留まる事を着火剤の様な感覚で火種と定義する考え方ももちろん、あると思います。その辺はほんとに人それぞれですね。

アスラはこう見ている、と思っていただければ幸いです。