Facebookでつぶやいた
怒り爆発
と共に
キョーレツな自己否定感に襲われて
いて、しんどい
その後
大きな気づきがありました。
痛いなあ。
あー私だ。
この現実創っているの、全部私だ。
との対面。
さて、
わたしに何が起こっていたか。
書いてみます。
(これは、あくまでも私から見た
出来事で、相手に何が起こって
いたか、
何を感じていたかという事とは
全く別の話である。という事を
踏まえて読み進めてくださいませ。
また、重たい内容でもある事を
お伝えしておきます。)
私の怒りの爆発ポイントは
相手に何度か尋ねていて、
答えてもらえていなかった
その答えを別の人から聞いた。
という出来事でした。
バーンと怒りが湧いて来て、
わたしは、これまでの、
相手からの関わりに、丁寧に、
正直に、本音を伝えていた。
時にとてもこころの深い部分
についても、私は伝えてきたのに、
相手は私に本音を
明かさない。
相手は私をいい加減に扱っている。
という想いでした。相手への怒り。
と共に、出てきたのは、
事情があったかもしれないのに、
相手を受け止められない
自分への否定感。
そこから芋づる式に、
ダメな自分。人と繋がれない自分。
結局、人を攻撃するしか
出来ない自分。
孤独感、無力感、無価値感・・・。
次々と自分の中に押し込めていた
自己否定感
どんどん溢れてきました。
ここで出てきた色んな感情は、
今となっては、もはや相手とか、
出来事とかはきっかけに過ぎず
自分のどこかに押しやって、
蓋をして、見ないようにしてきた
感情たちだったなあと
感じています。
今は流れてすっきりしている感じ
だけれど、
出てきているその時は
しんどかったなあ。
で、ここでは終わりません。
引き続き、
ゆっくり向き合ってみる。
そのために今日は仕事を休んで
いるのだからね。
と、そのままそこに
留まっていたら、
あー、やばい、やっぱり、それか。
と新たな気づきが起こりました。
この怒りは、私が私を
ないがしろにしている事に
対する怒りだ。
自分への怒り
私が、私に怒っているんだ。
実は、今回怒りが爆発した
もっと前からなんだか違和感
を幾度か感じていた事に
気が付く。
あの時も、あの時も。
といくつかの場面が
浮かんできた。
本当は、その時、
私はどうしたかったの
だろう。
ゆっくりその時感じていた事を
思い出してみる。
あー本当は答えたくなかった。
相手によって、
自分に向き合わされている
そんな感覚があった。
自分の意思を超えている感じ。
そう、
その時、相手は私のバウンダリー
(境界線)を超えていたのだ。
もちろん、私が嫌。
と伝えていないので、
相手は、超えている事には、
気が付けないだろう。
そもそも私自身が、
自分の感覚を
ないがしろにして
しまったのだから。
気が付いて、さらっと
伝えていたら
丁寧にやり取りして
いけるだろうに
私が、相手にバウンダリーを
超えさせている。
聞かれる事、それにこたえる事
嬉しかったのは事実で、
私の深い所に気が付いてくれる、
興味を持って見ていてくれる
わかってもらえる安心感
そこには喜びがあった。
でも、そのうち感じるよう
になった違和感
かかわり全部に対して
ではないけれど
時々感じているのに、
それを無いものとして、
相手の問いに
答え続けていたのだ。
これは、私の選択だ。
私は、今までの人生の中で、
今回のように、
バウンダリーの問題で、
大切な人との関係を
幾度も壊している。
そう、繰り返しているのだ。
超えさせておいて、
我慢しておいて、
(無自覚なのだが)
ある時、ある瞬間にドカンと
全拒絶する
もしくは、相手が最も
言われたくないであろうことを、
怒りと共にぶつける。
拒絶されるを生み出す。
きっかけは、あるにせよ、
全拒絶する・される前に、
冷静に話し合えば
すむような出来事で、
そうやって関係性を壊すのだ。
突然の強烈な嫌の表現
だから、バウンダリーには
気をつけていたのに
またこのパターン
ここまではかつての失敗で
気が付いていた。
今日はさらに深めていく
これが繰り返し起こっているのは、
私が握りしめている、
私にとっての利点がある
からだろう。
そのたびに苦しい思い、
悲しい思い、嫌な思いを
してまでも、手放さない、
このパターン。
バウンダリーを超えさせてでも、
わたしが得ようとしているものは
何だろう。
そして、気が付いた
なんと、私は、
わたしがあなたにする分だけ
あなたも私にしてくれる
とどこかで思いこんでいるのだ
そして、
欲しいを得るために、差し出す。
差し出してるんだからくれるべき
あげるから頂戴。
という無意識のコントロール
そう、
無意識に相手をコントロール
しようとしていたのだ。
そこまで気が付いた時、
愕然とした。
それは、違うよね、
わたしは、
どうやらこんなやり方で
人との関係を築こうと
していたのだ。
この無意識にバウンダリーを
超えさせてしまう事、
そして、
無意識のコントロール。
は、幼い頃の私が、
母親との関係性の中で
やっていた事。
に繫がっている。
幼い私は、その未熟さゆえに、
こうしたら、母に愛される。
と思い込んでしまって
いたのだろう。
そして、それがいつしか、
無意識下で
自分にとって大切な人との
関係性の中、
作動し続けてきた。
そして、
欲しいが叶わない事による
怒り。拒絶。
バウンダリーを超えさせて
いる事による
苦しさを跳ね返す
怒り、拒絶。が起こる。
やっぱり、わたしか―。
んー。あー。見たくない。
知りたくない。
けど、
どうしたって逃げられない。
そうしていたのは、
間違いなく、わたしなのだから。
痛い。痛いなあ。
幼い意識のわたし。
に大人の、今の私が問いかける。
一生懸命だったんだよね。うん。
ただただ、愛されたい。
大切にして欲しい。
そう願っているだけなんだよね。
うん。
健気だなあ。
でも、そのやりかたでは、
人と繋がれないよ。
大切な関係を壊してしまうよ。
なにより、わたしを大事に
していない。
大事にしていこうよ。自分も、
周りの人もね。
わたしが、わたしを受け止めた。
ぎゅっと抱きしめた。
受け止めてみると、不思議と
私の芯がまたしっかりと
立ってきたのを感じる。
無意識にやっていた事を、
ここで意識化することが
出来たのだから、
今度はわたしの意志で
変えていこう。
手放していこう。
今回、自分の無意識のパターンの
原因を見抜くことが出来た事。
本当に良かった。
良くやったわたし。(*^▽^*)
自分の歪んでいる所と向き合う
のは、とても、痛かったけれど、
苦しかったけれど、
とても大切な学び、体験でした。
こうして、書くことも
ドキドキしているのが正直な所。
でも
いま、ここ から、
私が関わる大切な人たちと、
わたしも、相手も、大切に、
丁寧に、
関係性を育んでいきたい。
コントロールのエネルギーは
もういらない。
の決意表明として、
ここに記しておきます。
わたしにとって、大事な体験を
ありがとうございました。
(⌒▽⌒)