おはようございます。
久竜あずみ です。

 
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おかん至上主義・・・?

 

ナニコレ!?

 

 

 

これは、

去年までの、私のこと。

 

父親を病気で亡くし、

その、お葬式のとき、

初めて、「泣いているお母さん」を見た、幼かった私は、

それはそれは、大きなショックを受けました。 ← プロフィール参照

 

「お父さん、死んじゃった」

以上に、

「いつも、笑っているお母さんが、泣いてる!!!」

って。

 

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これは、30年以上前の話。

 

私が住んでいた地域は、田舎で。

小学校は、一学年二クラス。

全学年の児童数が、300人前後の、

小さめの、小学校でした。

 

30年前ともなれば、

今とは、状況が異なる部分が、多くて。

 

例えば、「両親が離婚した」、

「離婚による、母子家庭(父子家庭)」という家は、

私の周りには、一軒もありませんでした。

 

それこそ、「父親死亡による母子家庭」は、

私の家、ただ一軒のみでした。

 

当時、300人前後いた、全校児童の中で、

一家の、働き手であるはずの、父親が不在で、

残された母親と、子どもだけで生活していたのは、

私の家だけでした。

大袈裟じゃなくてね。

そういう、「時代」でもあったんだね。

しかも、「田舎」だったからね。

余計にね。

 

時代も、時代、

田舎という、土地柄もあり、

共働きの家庭は、本当に数えるほどしかなくて。

うちも、多くの家庭と同じ。

母親は、専業主婦で。

 

そんな状態での、

突然の、母子家庭。

 

私は、子どもながらに、感じていました。

友達のお母さんの、何人かは、

この、大黒柱を失った(収入のないであろう)私の家が、

この後、どんなふうに、堕ちていくのか、

楽しみに、見ていたであろうことを。

実際、そのお母さんたちから、

いろいろ言われたことも、あったからね。

 

私に、何かいいことが起きれば、

「頑張っていて、偉いわね~。

・・・お父さん、いないのに(笑)」 ←蔑みの、笑い

 

私が、何か失敗をすれば、

「やっぱりね、うまくいくわけがないのよ。

お父さん、いないんだから(笑)」 ←勝ち誇ったような、笑い

 

そして、最終的には、

「やっぱり、『親』よねぇ~。

両親、そろっていないとねぇ~(笑)」 ←高笑い

 

もちろん、

こういう人たちばかりでは、なかったけれど。

 

そこで、子どもだった私が、

感じ取ったのは、

 

「これ、私のことを言われているんじゃないな・・・」

 

「私の言葉や、行動によって、

『良い』、『悪い』と、判断されてしまうのは、

お母さんだ」

 

「お母さんを、絶対に悪く言わせない・・・!」

 

 

そこからの私は、

 

「お母さんのために、頑張ること」

「お母さんに、喜んでもらうこと」

 

この想いだけで、

日々、過ごしてきました。

 

受験も、就職も、

私の原動力は、

いつだって、この想いでした。

 

 

 

 

 

 

ずっと、大人になるまで。

 

大人になっても、ずっと。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

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