可動式スノープロウ取り付け座の作成












雑誌国鉄時代DVDvol.36〜39

















元公儀介錯人、子連れ狼の拝一刀フィギュアを動画撮影しました。

まだ修正はしますが。

萬屋錦之介


前名は中村 錦之助(なかむら きんのすけ)。

歌舞伎役者が映画にも出演する事に映画俳優達は危機意識を持っており、受け入れられるものではなかった。しかも人気が出て来た美空ひばりからの依頼とあって、総スカン状態だった。

錦之介は5男だったので歌舞伎界に残っても端役しかやらせて貰えない。

そこで決心して歌舞伎を卒業して映画界に転じた。当時を代表するスターとなり、その後はテレビや舞台でも活躍した。身長162cm。


中村錦之助時代の屋号は播磨屋、定紋は揚羽蝶で、萬屋錦之介と改名してからの屋号は萬屋、定紋は桐蝶。


晩年はトラブル続き

先述の通り1968年に「中村プロダクション」を設立したが、社内にしっかりとした金の管理をできる者がいなかったことに加えて、人を信用しすぎる錦之介の人柄も相まって次第に経営が傾いていく。結果、1982年2月に15億円もの莫大な借金を抱えて事務所は倒産し、萬屋の別荘や自宅も人手に渡った。


事務所倒産から3か月後に出演した歌舞伎公演の最中に倒れ、首の筋肉が麻痺する重症筋無力症と診断されて入院。さらに同年8月には呼吸困難に陥り胸腺腫摘出手術をし長期入院を経て同年11月退院。翌1983年に重症筋無力症を克服し、1984年のドラマ「時代劇スペシャル 子連れ狼」で1年半ぶりに仕事を再開。悪いことは続き1990年には、右目角膜剥離を発病。また、この間に自身の不倫が発覚、三男が亡くなった


1996年に、翌年放送予定のNHK大河ドラマ『毛利元就』の尼子経久役での出演が決まり製作発表の会見に臨むも、後日咽頭癌を発症し同役を降板した。その後舌の付け根を大きく切除する手術を受けて、舞台に立つことを夢見てリハビリに励んだ。しかし1997年3月10日、入院先の千葉県柏市の国立がんセンター東病院で肺炎のため死去。64歳没。