四月になった。
今年は、桜の開花が早いと思うのは、私だけではないだろう。
気温が一気に高くなり、早くも満開を迎えた枝もある。
開花が早いと感じるのは
三年前の母の葬儀を思い出したからだ。
母を見送った火葬場の沿道に、ちょうど満開に咲き誇っていた桜の木々。
それが、葬儀の翌日に列島北の自分の家に戻ってみると
まだ、蕾がほころびはじめたところだった。
この頃、自分の人生の課題が見えてきた気がして
残り後半の人生に覇気が出てきた。
自分が何を背負って生きているのかがわかり、そのまっとうさにホッとしている。
私は、まっとうな人生を送ることができて幸いだ。
どの人にも、なにかしらの課題があると思うのは
父を思い出したからだ。
父が、なぜあれほどに、人を育てることに熱心だったのか、わからない。
生きているうちに、もっと聞いておけばよかったと思うことも、この頃多い。
人生の指標に、父の姿があった。
それを、ありがたいと思う、この頃である。
父の大切にした価値観というものは、目に見えるものではなかった。
目には見えないけれども、人の心に育ち、確かにそこに在るもの。
それは、父の言葉を借りれば<お金では買えないもの>なのだそうだ。
私の抱える課題は、この、父の価値観を受け継ぐことにある。
幸か不幸か、我が家の財政状況は苦しく、
相変わらずの赤字続きで、自転車操業だが
この頃は、こんなスリルある人生も、いいんじゃないか、と思う。
なにより、働くことができる健康な体がある。
いや、健康ではないけもしれないけれど、とりあえず働く意欲と
活動力は、ある。
自分のために生きる人生、をずっと求め、それが
若くして叶わなかったことを、恨めしく思ったこともあった。
私の二十代、三十代は、その葛藤の日々と苦悩の連続であったので
誰か人のために尽くす人生が、自分の人生に意味をもたらしてくれることも
あるのだと、思うようになった。
父の介護をしていたときに、私はこのことに気付くことはなかったのに。