otozakaさんから『白い扉』を書いたときの思いが届きました。

紹介します。

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詩を書くということは、別に詩でなくても、散文でも

あるいは単におしゃべりでも一緒だと思うのだけれど、

自分を表現することだと思う。


ただ、詩を書く場合は形式がかなり制限されている。
特に歌に使う詩となると、これはかなり厳しい制限が付く。
 
その制限の中で如何に自分の言いたいことをまとめていくか、
その作業は脳をかなり興奮させる面白い作業だと思う。

 
 僕が思い立って詩を一杯書いていたのはもう十年ほど前のこと。
次から次へと発想が湧いてきた。しかし、ある時ぱたりと書けなくなった。
その時は理由がわからなかかった。

 今はわかる。

自分の中でかけるネタがなくなってしまっていたのだ。
 
いや、たぶんネタはもっと無限にあったのだと思う。
 
けれど、書きたいと思うネタが引っ張り出せなかった。
書いても、あまりエキサイティングではなかった。

一つには、『ストリートシンガー』と言う詩を書いたことに寄る。
上手くかけた詩だと思う。

同時に、次に書くときはあれ以上のものを書きたいと思った。
いくつか書いたけれど、どれもストリートシンガーに比べたらつまらなかった。


今回、大輔君から曲をもらって書くことになったとき正直不安だった。
 
それでも、まぁ、書くと約束した。

曲が先にあったのはとても助かった。
制限が付くと言うのは厳しいように思えるけれど、
逆に形が決まっていると言うのは楽なものでもある。
 
そして、そのメロディはなかなか良かった。
メロディも良かったけれど、そのメロディを歌っている大輔君もなかなか良かった。

『ナッナナナァ~』と言う感じでハミングしているんだけれど、
歌に詩情が溢れていて、心に直接に働きかけてくる。
 
心で歌っている歌だった。
 
MIDIではこうは行かない。
彼は彼でこの歌に何かを託している。

けれど、彼はその何かを言葉にしえないで居る。
でも、その何かを言葉にするのは自分なら出来そうな気がした。

その何かはとても魅力的だったし、是非やってみたかった。
とはいえ、これはちょっとおこがましい、と今は思う。

所詮、そういった何かはきわめてプライベートなもので、
所詮は他人が理解するなんて不可能なものだ。
僕はただ、彼が何かを訴えようとしているのを感じ、
それから感じ取ったものを元に言葉を組み立てただけである。
 

そうして出来上がったものは、多分彼が言おうとしたものとは全く違うはずだ。
何かしら、彼がいおうとしたした物を含んではいるだろうけれど、
抽象的で、多分彼が描いていたものとはずいぶん違っているはずだ。

作詞とはそういう作業である。

でも、彼が感じた何かを僕は感じ、僕なりの言葉で組み立てた。

 そういうわけで、この詩は、僕が書いたし、彼の考えているものとは全然違うと思うけれど、深いところでは、彼の感じたものとつながっている。
 そういうものがあったからこそ、こういう詩が書けた。

まずは、曲を創案した大輔君には多大な感謝を送りたい。

だから、最初に曲をもらったとき、
まずは心を空白にして大輔君の録音を何度か聞いた。

目の前にノートを置き、録音から感じるものを書き留めた。
キーボードに打つのではない。
手でノートに思いつくままに書き込んだ。


発想が浮かんだのは二日目くらいのことだったと思う。

 
人間はどこか全く別の空間からこの世界にやってきて、
最後はまた元の空間に帰っていく。
その別の空間とこの世の中をつなぐのが扉である。

人間は、白い扉を開けてこの世界に生れ落ち、
最後はまた白い扉を開けてもとの世界に返っていく。

そんな人生観が思い浮かんだ。


この世は仮の住まい~そんな人生観だ。
仏教などではそういう人生観がある。
 
この考えの良いところは、くよくよするなということである。
死んでしまえばおしまい、という考え方は逆に言えば目の前に真剣になる。

 けれど、転生とか輪廻とか信じれば、
今回は上手く行かなくても、また次があるさと、そういう気分になれる。
もちろん、こんなのは一長一短でだからと言って、
安易にのんべんだらりんと過ごすことを進めているわけではない。

 
ただ、深刻に考えるのは止めて、気楽に行きましょう。
たとえ、今が上手く行っていなくても、気にすることは無い。
とまぁ、そういう風な思想をこめたものとして作ることにした。


そこが決まると、あとは結構さらさらと進んだ。
方針が決まってしまえば、ジグゾーパズルみたいな作業だった。
そうして白い扉第1稿が出来上がった。

その内容は後半が今と違った。

後半では、『私は色々な人のおかげで幸せな人生を送りました。感謝してます、じゃあね~さようなら』
そういって白い扉をもう一度開ける。
つまりあの世に旅立つわけだ。


人間は死ぬときに何を思うか、それは誰も死んだことが無いからわからない。
けれど、作家たちは小説やドラマで繰り返し取り上げている。
それらも含めて想像するに、最後は感謝の気持ちを感じてるんじゃないかと思う。
そして、生きてきて良かった、生まれてきて良かったと思っていると思う。

 どんなに不幸な人生を歩んだ人だって、生まれてきてよかったのだ。
極悪な犯罪者で誰一人弁護を出来ないような人であっても、
本人は生まれたことを良かったと思っていると思う。

 
ただ、そのことに自分自身が気づいていないだけなのだ。
大阪の学校で子供たちをたくさん刺し殺した男がいた。
不条理を教えたいと訴え、早く殺してくれと主張した。

 裁判でのふてぶてしい態度には疑問を通り越して怒りを覚えた。
確か、死刑となり、既に執行されたはずだと思う(違ってたらごめんなさい)。
 でも、そんな人でも、死ぬ本の少し前には、生まれてきて良かったんだなと気づいたのではないかと思う。
そして、反省し、感謝をしたのではないかと思う。
少なくとも、そういう風に僕は思いたい。

 そういう風でなくても、若い人、特に女性には自分の手首を切る癖の付いてしまった人がいるという話を聞いたことがある。
生きていることが辛くてしょうがないらしいのだ。
僕だって、辛いことはあるけれど、そこまで深刻じゃない。
そこまでの心情は想像できない。
けれど、そういうのは、結局は『感じ方』の問題なのだと思う。
 
自分の環境をちょっと誤解しているんじゃないかと思う。
 もっとも、そんな感慨を言った所で、深刻に悩んでいる本人にはわかってもらえないと思う。
だからこれ以上言わない。

 
 まぁ、でも、生きてることはすばらしいことなんだよ。
辛いことがあってもそれは生きてるってことで、深刻に考えることは無いさ。

そんなことを訴える詩にしたかった。

だから、死というものを取り込んだ詩にした。
それは、自分としてはかなりユニークな作品が出来たなと思う反面、さて、この内容で聞く人にわかってもらえるだろうかと言う不安もあった。
 特に、後半部分は、字数が足りないと言うか、上に書いたようなことを存分に表現し切れていないなという感じはしていた。


 でも、ともかく、その時点で大輔君のところに持っていった。
彼の意見を聞きたかったから。

 
彼は、あまり僕が迷っていることには言及しなかった。
彼がその時言ったのは大体こんな内容だった。

1、出だしが非常にうまくはまっていて良いこと。
2、白い扉をもっと開けるようにしたいこと。


 はぁ……白い扉をもっと開けるのかw

 僕の中では、白い扉というのはあの世とこの世をつなぐ扉で、
人は一生に2回しか開けないつもりだった。

つまり、生まれるときと死ぬときだ。

 白い扉を積極的に開けるってのは、
そりゃ、つまり、『早く死んじまえ』って意味なるんだけどw……
そのあたりの僕の意図を彼が判って言っていたかどうか……。

 
でも、一方で彼の意見はわかる気がした。

 彼は、白い扉に別の意味を見出していたのだ。
 『人生の転機のようなもの。』
 『勇気をもって飛び込んでいくようなもの。』
 
 多分そんなイメージを抱いているんだろうと思った。


 そして、そういう意図でこの詩を書き直すのも良いかなと思った。

 
 そうして出来上がったのが第2稿。
 ほぼ現在と同じものが出来た。
 後は、彼に歌ってもらって歌いにくい箇所を何回か書き換えた。


 彼の提案を入れたところもある。
『本当の自分探す』というのは彼の思いついたことだ。

 これはうまくはまったと思う。

 最後に『白い扉開けていく』と繰り返そうと言ったのも彼の提案だ。

 空白の1小節を入れたのも彼の提案だ。
これは最初は分からなかったけれど、彼はこだわった。
後になって、ここに1小節必要なわけがわかった。


 そうして、白い扉という曲が出来上がった。

 結構自信作だった。ストリートシンガー以来、自分が超えられなかった壁を破ることが出来たような気がする。
 それは、同時に大輔君の協力無しにはなし得なかったことだとも思う。

 今回は何人かから、詩を褒めていただいている。
 それはそれでとても嬉しいことなのだけれど、こういう詩をかけたというのは、そもそもこういう詩を誘発してくれるメロディがあったからだと僕は思っている。

 そして、もちろん、この曲を上手く表現してくれているボーカルの久美さんにも感謝している。
 ボーカルがきちんと歌ってくれて、それで初めて曲の伝わるものだ。
 ある意味、詩が良いというのはボーカルの力である。
 ボーカルが詩の持っている良さを引き出せなければ、
 どんな良い作品でも、聞き手に訴えるということはまずない。


 そういうわけで、今回の作品は、Azulyというバンドの総力を結集した傑作、と自負しております^^
まぁ、それは、作った人の思い入れなので、それを聞いて判断していただくのは別の人のことなので、この話は手前味噌、程度に聞いておいていただきたいところです。


 さて、それとは別に、『あざなえる縄』 の意味を書いてくれっていう依頼が久美さんから来てます。

 まぁ、それは、良く知られた話なので、詳しくはネットで検索してもらったほうが正確だと思うんですが、簡単に書いておきます。


『禍福はあざなえる縄の如し』

 中国の故事にちなんだ言葉です。
格言??じゃ無くて、なんか呼び名があったと思うんですが。


 出典はこんな話です。
 記憶なんで、細部は違っているかもしれないと断っておきます。


 ある日農夫が耕作をしていたら、ウサギが飛び出してきて勝手に切り株にこけて死んでしまった。
農夫は大喜びしてそのウサギを持ち帰って食べてしまった。
 それ以来、その農夫は畑仕事を怠けて切り株ばかり眺めながら再びウサギがこけるのを待ち続けた。

 ある日、農家が飼っている馬が逃げ出してしまった。
隣人たちは気の毒がって慰めたが当の本人は飄々として言った。

『良いことがあれば悪いこともある』

 それから数日して、その馬がどこかの雌馬を連れて帰ってきた。つまり馬が二匹になっちゃったわけです。隣人たちはこんどははしゃいでお祝いを言います。けれど、当の本人は嬉しそうな様子も無くこういいます。

『良いことがあれば悪い事もある』

 その人には子供が居たわけですが、子供たちは馬に大喜びして乗馬が上手くなります。
そして、成長したら戦争にあこがれて家を出て行き戦死してしまいます。

 そういうことがあって、隣人たちはその人の言った言葉を本当に理解することになるのです。


 良いことがあるとみんなは喜ぶ。しかし、その良いことが原因になって悪いことが起こる。
悪いことが起こるとみんなは悲しむ。けれど、その悪いことが原因になって良いことが起こる。
日常起こることに一喜一憂して振り回されるなという教えですね。


 まあ、有名な話だし(歌にもなってますね~……待ちぼうけ♪、待ちぼうけ♪ってのは、この話を元にした歌です)、説得力もある話です。

 でも、僕としては、良いことが悪いことを誘発するとか、悪いことが良いことを誘発するとか、そこまで因果を説明する気にはなれません。

 
 それより、『長所は短所』っていう言い方がありますよね。
 長所短所ってのは、ある価値観から図った言葉です。

 例えば、口数の少ない人が居る。
 これを、覇気の無い人、意気地の無い人、やる気の無い人、存在感の無い人、と見れば短所です。
 思慮深い人、奥ゆかしい人、でしゃばらない人、和めるひと、と思えれば長所です。
 でも、どちらも『口数が少ない』と同じことなんですね。
 それを見る人の立場で判断が変わるわけです。


 同じように、人生には良いこと悪いことがあります。
 例えば、職を失い無職、という実態があったとします。

 普通は悪く考えます
 けれど、それは次の仕事を見つけるまでの準備期間ということも出来るわけです。
 そう考えれば、別に悪いことではない、むしろ、それを利用してステップアップを図ればとても良いことになります。

 ですから、良いこと、悪いことってのは、同じ事を違う面から見ている、と言えると思うのです。

 まぁ、プラス思考ってのは疲れますけどね。
 あるいはかなり無理があるのも事実です。
 そうやって人間は苦しむんです。

 でも、多分、苦しいことがあっても、長い時を経て振り返ってみれば、あれは当時思っていたほどひどい状況ではなかった、と思えるようになると思うんです。

 時代っていう歌で言ってますよね。
『あんな時代もあったねと、いつか笑って話せるわ』

 だから、良いこと悪いことで深刻になる必要は無いと思うんです。
 白い扉にも一行入れておきました。

 『喜びも悲しみもすべてが生きている証』


 そう、生きているってことです。
 悲しい……それは生きているってことで、実は素晴らしいことなんです。

 『禍福はあざなえる縄の如し』
 僕は原典とはちょっと違うけど、そんなつもりでこの歌に入れています。

 そして、最後に『縄』について触れておきます。

 縄というのは、藁で作ります。
 藁を寄り合わせる作業は、見たことが無い人に説明するのは難しいんですけど、二本の細い縄を作りながら、その二本をさらに寄り合わせていくという複雑な作業を一度に行うわけです。

 人間の動作ってのは、とても素晴らしいと思います。
 その二本の縄を『災いと幸福』に喩えているんですね。
 縄というのは、災いと幸福が不可分に絡み合ったものであると。

 この格言の用いている比喩は素晴らしいと思います。
 けれど、この比喩のもっている感触のようなものも、縄をなうということが日常から消えうせた現在では、理解されなくなってしまうのかなと残念な気もします。


『白い扉』

作詞:otozaka鈴木 作曲:渡辺大輔


もう遥か、記憶の彼方  

淡く光る白い扉 私は開けた

母が優しく私を抱いて 傍らで父が見守る



何もわからず 歩いた道は

心砕く辛いことも起こったけれど

いつも笑顔で支えてくれた 

人のやさしさ、忘れない


駆け抜ける時の流れ、人の出会いは

あわただしく すれ違うけど

二度と来ない今の時を 素直に生きる

本当は優しい 人たち


心がくじけて 笑顔忘れたそんな夜には
大切な人思い、新しい朝を待つ




果てなく続く 長い旅路は 

本当のわたし探す さまよいの道

もがき苦しみ、諦めかけて 思いがけず白い扉


時は巡るあざなえる 縄のごとくに  

目くるめく 彩をそえ

出口の無い夜の闇に さまよう時も 

必ず来る 夜明け信じて


柔らかに差し込む 

朝の光が部屋にあふれて

悲しみ癒えたら 笑顔とりもどす


喜びも 悲しみも 
すべてが生きている証

心を弾ませて、扉開けていく



白い扉開けていく