今朝の新聞と某ワイドショーを見て、ううううううう~む・・・と考えさせられてしまった。



えっと、この出生前診断を受けるかどうか、とか、その結果、どうするのかの是非については、私には、この場では、何も言えないかな。



ただ、この世界は、やっぱり、障害を持って生まれてきたら、そんなにも、幸福感を感じることができない、厳しい世の中なんだねっていう現実に悲しい気持ちにはなる。

本当は障害を持って生まれても、生んでよかった、生まれてよかったって、思える感じられるような世の中を、目指していかないといけないのに・・・。
仮に障害があって生まれてきても、大丈夫っちゃんとみんなで育てていけるっていう安心をこそ、妊婦さんに感じてもらう世の中にならないといけないのに。
ベクトルが間違ってる!

もう授かってお腹の中で生き始めている命に対して、この検査ってなんの意味があるのだろう?
ダウン症ではないとわかれば、安心できるから、という理由以外何が?
それじゃあ、ダウン症であると生まれる前にわかってしまったら、その時はいったいどうするのでしょう。




治療方法があるならともかく、これは、生まれる前から、生まれてきてよいかどうかの選別するための検査じゃない、なんて、きれいごとだよね・・・。
しかも、安全でとっても手軽!なんて・・・そんな言い方してほしくない・・・。




そして、私が何よりも、かわいそうに感じるのは、今の、若い女性たち。
これから、赤ちゃんを産もうと思っている女性たち。




情報があふれて、選択できるようになることは、そんなにも幸せなのかなあ・・・。



常に常に自己責任の上で、失敗が許されない選択の連続をさせられているように見えるから。



結婚するかどうか
赤ちゃんをもつかどうか


妊娠したらしたで、出生前診断をするかどうか


もしも、ダウン症であるとわかったら、どうするのか


自分は、検査を受けないことに決めたけど、まわりの人に検査すべきといわれるでしょう。
その結果次第では、家族はめちゃくちゃになるでしょうね。
もしもこんな検査を受けることが主流になったとき、心ある人は本当につらいと思う。


子どもを持つことは、いつから、こんなにもストレスだらけのことになっちゃったのかなぁ。


私が出産した頃っていうのは、生まれてくるまでほとんど何もわからなかったから・・・

ある意味、妊娠中は、いい意味で開き直ることができたように思う。

自分にはどうにもできないこと。
自分の思い通りには決してならないこと。
ありのままを、受け入れる覚悟をすること。

生きることも死ぬことも・・・命のことは、神様の領域であるべきだと、私は思うのです。


すべてを自分の思い通りにコントロールできることが幸せだなんて、なにか、間違ってる。




なんてことを、ぐるぐると考えてしまった。
私にも、そのうち、孫もできるでしょうからね・・・ひとごとじゃないんだな・・・。




久しぶりのちょっとまじめで、重い話題を最後まで読んでくださってありがとうございました。




茅ヶ崎から愛をこめて・・・。