中日新聞の2020年12月25日付け中日春秋というコラムに以下の文章で始まる一文がありました。

 

『目とじても片隅に咲く月見草』。

「劇作家寺山修司が「誰か月見草を思わざる」という一文の中に記している。夜の間咲いているその花に重ねているのは袴田巌さんである。静岡県で四人が殺害された五十四年前の事件で、死刑を言い渡されたその人だ。(以下省略、https://www.chunichi.co.jp/article/176006?rct=syunju)」

寺山修司自身が書いたものが気になったので、探してみたら、元は『極点』というタイトルの雑誌か新聞のコラムで、何篇かまとめたものが『時代のキーワード:寺山修司の情況論集』として発刊されていました。題名が『誰か月見草を思わざる』、書き出しは、

 

「ボクシング雑誌の片隅に、一人の無実の元ボクサーが殺人放火の疑いで、東京拘置所につながれている、という記事がのっている。 

そのボクサーは一九六一年当時、日本フェザー級六位まで行った袴田厳である。 
私は彼の試合を何戦か観たことがあるので、この記事に目を釘づけにされた。「あの袴田が⋯⋯」 と、驚かされたのである。 
事件の経過は次の通りだ。
(中略、事件の経緯、無実の主張の記述があり、最後に) 

袴田の無実は、ルポライターの高杉晋吾氏をはじめ、ポクシング評論家の郡司信夫氏、『ボクシング・マガジン』誌の松永喜久さんらの手によって訴えられている。私もまた「ボクサーくずれ」への偏見を排し、事件の真実を究明したい、と思う。

 

目とじても片隅に咲く月見草  」

 

で締められています。

 

若いころから寺山修司の全仕事のファンだった私は、「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」 「生命線ひそかにかへむためにわが抽出しにある一本の釘」の短歌なんかも好きでした。この文章は寺山修司の短歌にある漠然とした不安や虚無感ではなく、寺山修司の気持ちが伝わるやさしく穏やかな俳句で終わっています。ボクシング好きの寺山修司が初めてこの記事を読んではじめて知ったはずもなく、そのずっと以前から気にかけていたと思われます。

今、フジテレビの〈イチケイのカラス〉っていう裁判官のドラマで再審請求の話をやっています。TVドラマでは当然うまくいくのですが、実際の社会では違います。でも、50年前と今とでは科学捜査レベルや、警察、司法に対する社会の考え方も大きく変わっています。改めて全容がわかった段階で再審が認められないのは、今を生きるの人間、普通の市民の感覚ではちょっと違うのではと感じています。