あなたはYouTubeをご覧になるだろうか。
YouTubeというメディアの名を知らぬ人間の方が貴重な存在に扱われそうな現代において、エンターテインメントのみならず実践的な学問や工作などあらゆる情報を取得するための媒体であり、僕も人気YouTuberである「東海オンエア」の動画を日々楽しませて貰っているし、バイク関連の動画でもインプレッションや納車動画ないしはアタッチメントの取り付け方法まで動画を介して学習することが多く、必要不可欠な存在になっている。
■増えた広告動画と弊害
さて、本稿の議題はYouTubeというメディア本体についてではなく、これに付随する「広告動画」についてだ。YouTuberの職業が世間に定着した今では、彼らの収入の仕組みは既知のことと思うが、YouTubeにおける動画投稿を生業とする人々の収入源は主に広告収入となる。一定のチャンネル登録者数と再生時間の基準を達成すると、動画から収益を得る権利を与えられる。権利を獲得した動画投稿者は、その後の動画に広告の掲載を許可することで、再生回数に応じた分だけの収入が入るシステムである。
巷では1回の再生=0.1円が相場と言われているが、現在ではもう少し低いらしい。
動画を再生するにも冒頭には5秒ないし15秒間の広告を否が応でも閲覧する必要があり、それを煩わしく場合はYouTube Premiumという月額制の会員になることで排除できる。ちなみに僕は会員では無い。
注目すべきは、広告の内容にある。
広告はユーザーの年齢、動画やウェブサイトの閲覧履歴など諸々のデータを元に選定される。バイクの動画を頻繁に見ている僕は、ENEOSの「enekey」のCMが時折流れるのだが、自動車関連の動画を見ない友人はenekeyの存在すら知らず、個人の好みを解析されているのがよく分かる。
YouTubeをよくご覧になる方なら既に察しているかも知れないが、昨今の広告は、たとえば男性の永遠の課題である髪の薄さや、体臭、口臭、体重、体毛など他人から秘密裏に抱えている悩みが、異性交際において強大な障害になることをほのめかし、不安を煽って弱みに付け込んだ隙に商品を売り込む。切実に解決を望んでいる人にとってはあながち振り切りきれずにいるのではないのだろうか。
これらは総じて「コンプレックス商材」と呼ばれ、当然のように垂れ流されているが、これに不快感を覚えた人は少なくないだろう。
■「美のインフレ」
20代男の僕の動画に付帯する広告動画は、特に男性の清潔感の重要性を訴求するものが目立つ。ある女性と親密になった男が何らかの欠点を露呈させてしまったことで、掌を返される様子が拙い漫画と早送りされた音声とともに放送されるのは、想像に難くないだろう。非常に不愉快なのだが、今回はどんなパターンで売り込みを謀るのか冷やかし程度に楽しんでいる自分がいるのも事実である。
これらの動画を毎日一度は見せられるうちに、現代は「美」に対する過敏性を示しているこのではないかと僕は考えた。僕はこれを「美のインフレ」と呼称したい。
声優業界では、女性声優にも声の資質のみならず優れた容貌も要求されるほど「アイドル化」が進行する現代日本において、今や「美」こそが正義であるという一面を誰が否定できるだろう。誰もが「格好いい」、「可愛い」人に憧憬を抱き、彼/彼女の隣を占有する自分の妄想に捗ることだろう。
一方で、世間一般における自分の美的価値を理解している人が九割以上を占めているのも事実だ。恋愛が風采の優劣によって成立するという論理はあまりに横暴だと思うが、自分を醜いと認めている人は恋愛に奥手にならざるを得ないし、容姿に恵まれた人がそうでない人の遭った憂き目を横目に明るい恋愛事情を過ごせているのは誰にも否定できぬこの世の理である。美しいものが優れており、醜いものが劣っているという理論は、現代に限らず美的感覚を所有する人間という生物の社会においては今も昔も原理原則として変わらない。その反動故か、恵まれた人が周囲の行きすぎた羨望と嫉妬によって蹂躙され、それを「税」と呼ぶには些か過剰なほど凄惨な未来が待ち受けている場合もある。
問題は、その「美意識」を煽動する広告動画が公然の事実として放送されていることにあると僕は考える。
美しくあるべきで、そうでない人間にはあらゆる権利がない。
人のコンプレックスを人質に脅迫するような軽薄な手口ではあるが、不愉快である一方、馬鹿馬鹿しいと一蹴しきれない一種の真実性を含んでしまっており、それを煽動している。
「コンプレックス商材」はほとんどが眉唾であるが、それを売り込もうとする市場が存在し、そのバックグラウンドには人々にこびりついた「美」に対するコンプレックスの存在がある。そして、それを抱かせようとする社会の潮流が人々の意識の根底で作用している。これが元凶である。
僕はこの「美」のインフレに抗えと言うのではない。むしろこれに従わなくては、恋愛もその他の人付き合いも難しい時代だ。度を超えない程度に「美」と真剣に向き合う必要がある。
だが、これ以上の美的価値観の洗練は、少子高齢化の問題の助長をしかねない要素に発展する。僕はそう予感している。それほどに危ういものがギリギリの淵で奇妙な均衡を保って、落ちずにいる状態では無いだろうか。
あなたは、「美のインフレ」を否定しきれるだろうか?
これだけ語っておきながら、自分もそれに毒されている一面があったことを、僕は否定できない。