薄雲が夜空にかかる、ある日のこと------

一日の仕事を終えた私は、光秀さんの御殿を訪れていた。正面に座る光秀さんに、思い切ってある疑問を投げかける。

「私が光秀さんのことを嫌ってるって・・・・・・どういうことですか?」

光秀「お前の耳にも入っていたか」

(光秀さんも知ってるんだ)
この噂を聞いたのは、今日の昼間の事だった。

(お針子仲間から『いつから仲違いを?』って聞かれた時はびっくりした。最近、顔を合わせる日が少ないと思ってたけど、まさかこんな噂がながれてたなんて)

光秀「噂を流してからだいぶ経ったからな。城内にも知れ渡ったか」

・・・・・・! 何でそんなことを?

光秀「これも情報収集の一環だ。敵の信頼を得る手っ取り早い方法は、織田軍を裏切るように見せかけることだからな」

「だから、あんな噂を作ったんですか?」

光秀「ああ。他にも色々と噂が飛び交っているぞ。その中でも、織田織田ゆかりの姫から嫌われているという話は、なかなか役立った」

・・・そんなこと言われても、嬉しくないです

(光秀さん、また一人で悪者になってたんだ。いくらお仕事とはいえ、人から悪く言われて気分がいいわけないのに)
説明する間も、光秀さんはいつも通り涼しげな表情をしていて、自分のことなのに、まるで顔も知らない人の噂を話しているように見えた。

(・・・・・・この人は本心でどう思ってるんだろう)

光秀「お前がむくれたところで事態は何も変わらないぞ」

「それはそうですけど・・・・・・

光秀「安心しろ。流した噂は、もう必要なくなる」

「え?」

光秀さんが裏で動いた成果が実を結び、戦になる前に、向こうから織田軍の傘下に入りたいと申し出があったという。

「そうなんですね」

(よかった・・・・・・)

光秀「さて、物騒な話はここまでだ。利用した詫びに甘やかしてやろう」

ぜひお願いします♡

「お仕事のためだったのに、お詫びなんて・・・・・・!

光秀「遠慮するな。わざわざ御殿まで押しかけて来た図々しさも、お前の良さだろう?」

「う・・・・・・

光秀「正真正銘の姫になったつもりで何でも命じてみろ」

(光秀さんがこんなこと言ってくれるなんて、一生で数えるほどしかないかもしれない。ちょっとぐらいお願いしてもいいかな)
これ以上、遠慮をするのは逆に失礼だと思い直し、考えを巡らせる。思い浮かべては、それを取り消すのを繰り返していると、私の様子を見ていた光秀さんが、おかしそうに笑った。

「ええっと・・・・・・どうしたんですか?

光秀「『とびきり豪華な甘味でもお願いしてみようか』『いや、もっと違うものを頼むのもいいかもしれない』」

「っ・・・・・・勝手に心を読まないでください・・・!

見透かされた恥ずかしさに、ぽっと頬に熱が灯っていく。光秀さんは、くすくすと笑って・・・・・・

光秀「あいにく甘みの用意はないが、これでどうだ?」

「えっ」

端正な顔が近づき、思わずぎゅっと目をつむる。すると・・・・・・背後で棚が開く音が聞こえ、少しして耳に何かをつけられた。はっとして目を開けると、至近距離で光秀さんがにやりと笑っている。
(今のって・・・・・・)

耳を触ると、丸い形をした布の感触が指先から伝わってきた。

「耳飾り、ですか?」

耳飾りより、チューが良かったな。。。

光秀「ああ。用意していた詫びの品だ」

「用意したって、どうして・・・・・・

光秀「噂を聞いてから、元気のない犬のようにしょぼくれていただろう。俺にも人の情はあってな。少々、心が痛んだ」

「いつの間に見てたんですか!?」



光秀「可愛らしかったぞ」

「っ・・・・・・

何気なく告げられた言葉に、胸が大きく波打った。
(からかわれてるって、わかってるのに。本当は・・・・・・)

胸に浮かんだ言葉に自分ではっとする。
(本当は、子供や動物を可愛がるような言葉じゃなく、光秀さんの目に、私がどう映ってるのか知りたい)

「あの・・・・・・一つお願いしてもいいですか?

光秀「ああ。お前は今、姫君だからな」

「この耳飾りが似合ってるか、感想を教えてほしいんです。光秀さんの本心で答えてもらえませんか」

光秀「・・・・・・

譲らない気持ちで、じっと黄金色の瞳を見つめる。光秀さんは、やれやれ、といった様子で苦笑いをこぼした。

光秀「姫君の願いなら、従うしかなさそうだな」

言葉とは裏腹に、どこか穏やかな口調でそう言うと、光秀さんは、そっと耳飾りに触れて・・・・・・



光秀「綺麗だ」



このまま眺めていたいと思う程度には、見惚れている」

(あ・・・・・・)
すぐそばに落ちた低い囁きは、甘く私の心を揺らす。

(ちゃんと本心で言ってくれてるってわかる。『姫君』を甘やかして仕方なく言ってくれたんだったとしても、嬉しい)

光秀「面白いぐらい緩んだ顔をしているな」

「っ・・・・・・褒められたら誰だって嬉しくなりますよ、

(光秀さんに褒めて貰えたからって言うのは、黙っておこう)

光秀「ほう。ならばもっと言っておこう。可愛い、可愛い」

「もう結構です・・・・・・!

(結局いつも通りだけど・・・・・・いつか、理由がなくても本心を見せてほしい)
安土で暮らす仲間として、こう思うのか・・・・・・それとも別の気持ちからなのか、自分ではわからない。それでも、この人の心にもっと近づきたいという想いは、いっそう強くなった------