雨上がりのある夜のこと。

家康と逢う約束をしていた私は、御殿の静かな廊下を歩いていた。

(家康とゆっくりできるのは少し久しぶりかも。早く、逢いたいな)
甘い気持ちを感じるかたわらで、今日の約束をした時の家康との会話が頭を過ぎる。


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「家康、最近忙しそうだね。体調とか大丈夫?」

家康「別に普通だよ。それより最近なんで逢いに来ないの」

「忙しい時に邪魔しちゃ悪いと思って・・・」

家康「・・・気遣わなくていいから。来たいなら、あんたの好きな時に来れば」

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言葉こそ素っ気ないけど、逢える時間を作ってくれることを心から嬉しく思う。

女中「ゆう様、ようこそいらっしゃいました」

「こんばんは。家康に会いに来たんですけど・・・」

女中「家康様は秀吉様との会議が長引いていらっしゃるそうです。ゆう様がいらしたら、しばらくお待ちいただくようにとお言付けを預かっております」

(そうなんだ・・・待ってる間、何してよう)
手持ち無沙汰から、何気なく広い廊下を見つめる。  

(・・・なんだか随分前も、同じような気持ちになっていたような気がするな)
ふと胸に、家康と恋仲になる前のことが浮かんできた。

(ここにお世話になることになって・・・『何もするな』って言われたのに廊下を掃除して家康に怒られたっけ。『余計なことしないで』って素っ気なく言われて・・・懐かしいな)

初々しい頃の思い出が胸を占めて、こぼれるように小さな笑いが出てくる。

「あ、そうだ・・・」

私は女中さんに頼み、固くしぼった雑巾を手に戻ってきた。ここへ来た時と同じような想いで、廊下を雑巾で磨いていく。

???「ゆう・・・?」

「わっ・・・」

前を向くと、驚き顔の家康が足を止めたところだった。

「あれ、家康、もう会議終わったの?」

家康「一度書類を取りに戻っただけ。・・・・・・というか、あんたは何やってるの」

「雑巾がけだよ」

家康「見ればわかるけど、待ってるあんたがするようなことじゃないでしょ」

怪訝そうに差し出された手をとると、家康の眉間に更にしわが寄る。

家康「冷た・・・、どれだけやってたの?」

「そんなには・・・ついさっき来たところだったし」

家康「余計なことしなくていいから」

ぶつぶつ言いながら、家康は私の手を包み、あたためてくれた。

「家康、いいの?」

家康「なにが?」

「会議の途中なんじゃないかなって・・・」

家康「あんたは気にしなくていい。休憩も兼ねて、出て来ただけだから」

素っ気なくそう言うけれど、それでも家康は手を握ったままでいる。

家康「あんたってほんと、変わらないね」

「え?」

家康「前も、こんなふうに廊下拭いてた時あったでしょ」

(家康も覚えてくれてたんだ)

「ごめん、なんだか懐かしくなっちゃって。ここを掃除したのも、家康との思い出のひとつだから・・・大事に心に留めておきたいんだ」

家康「・・・」

口を閉ざした家康の頬が、かすかに赤く染まったような気がした。

家康「大人しく待ってられないの」

どこか照れたように、家康が小さく呟く。

「私が好きでやってることだよ」

家康「・・・ふうん、物好きだね」

「そうかもしれないね」

さっきよりも家康の表情が和らいでいて、心がほっとあたたまった。

家康「気が済んだら、ちゃんと部屋にいてよ」

「うん。迷惑じゃなかったら、掃除の続きして待ってるよ」

家康「・・・あんたがそう言うなら・・・ありがと」

(あ・・・お礼、言ってくれた。後でまた逢えるんだし、あまり引き止めるのも悪いよね)
離れがたい気持ちを隠して、私は再び会議に向かう家康を見送ろうとした。

「忙しいのに、引き止めちゃってごめんね。そろそろ戻った方がいいんじゃない?」

家康「うん。・・・・・・」

(・・・あれ?)
ふいに家康が、真面目な顔をして見つめてくる。

家康「何か言いたいこと、あった?」

「え、どうして?」

家康「なんとなく、そうかなって」

「えっと・・・ううん、別にないよ」

家康「・・・そう」

(もしかして、寂しそうな顔してたのかも・・・)

家康に心配かけないようにと、咄嗟に笑みをつくった。

「家康が戻るの、待ってるね。いってらっしゃい」

家康「・・・うん」

(あ・・・)
呟くと同時に、そのままさり気なく手を引かれる。少し距離が縮まった瞬間、前髪に柔らかい感触が触れた。

「・・・・・・っ」

(今・・・)
口づけられたことがわかり、ほのかに頬が熱くなる。

家康「ちょっと待ってて。すぐ行くから。またあとで」

「う、うん」

手を離すと、家康は言葉少なにその場から去っていく。
(『またあとで』か・・・相変わらず素っ気ないけど、やっぱり家康は優しいな)

家康が握りしめてくれたおかげで、冷えた手があたたかさを帯びている。私だけが知っているぬくもりを、そっと心に閉じ込めた・・・

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ゆうと別れた後。書類を手に、家康は秀吉の御殿へと戻ってきていた。

秀吉「遅かったな」

家康「すみません。ちょっとゆうに逢って」

秀吉「なるほどな、だからか」

家康「なんですか?」

秀吉「いや。さっきより嬉しそうな顔してるとおもってな」

家康「っ・・・してませんから。それより早く続きを・・・」

ウリ「キキッ」

家康「・・・っ」

家康が言い掛けた時、子猿のウリが秀吉のそばをすり抜けてきた。

文机に積まれた菓子の山に、ウリが飛びつく。

秀吉「ウリ、お前はさっきも食べただろ」

ウリ「キキッ・・・」

家康「どうしたんですか、これ」

秀吉「ああ、お前も食うか?」

家康「甘そう・・・。にしてもすごい量ですね」

秀吉「町娘たちから、今届いた。ひとりじゃ食いきれそうにねえ。あとで礼の文をみんなに出してやらないとな」

家康「秀吉さんもマメですね」

秀吉「なんかしてもらったら、礼をするのが当然だろ?」

家康「・・・・・・まあ」

居心地悪そうに目を逸らす家康を見て、秀吉がニヤリと笑みを浮かべる。

秀吉「思い当たることが、あるみたいだな」

家康「別に・・・。元々雑巾がけは、あっちが勝手に始めたことだし」

秀吉「は?雑巾がけ?」

家康「・・・いえ、なんでもないです」

秀吉「なんだよ、気になるな」

家康「いいんです。これは俺達だけが知ってれば」

秀吉「俺達か・・・わかった。そういうことなら詮索しないでおく。お前も感謝の気持ちを伝えたい相手がいるなら、形にしないと伝わらないぞ」

家康「・・・余計なお世話です。それより早く続きをしましょう」

秀吉「ああ。そうだな」

仕切り直して、ふたりは再び会議を進めていく。
 
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家康「・・・・・・これでまとまりましたね」
 
秀吉「ああ。長々引き止めて悪かったな」

家康「いえ。それじゃ、俺はこれで」

秀吉「家康、ちょっと待て」

秀吉「このあと、ゆうと合うんだろ。優しくしてやれよ」

家康「・・・・・・優しく・・・」