ひやりと冷たい風が肌を滑る、皐月のある夜------

信長「寒くはないか」

「はい」

信長様と私は、天主から張り出した板張りの床に座り、上空で煌々(こうこう)と輝く月の冴えた光に照らされていた。

信長「もう少し、こちらに寄れ」

信長様が膝の上に私を座らせ、夜風から守るように後ろから抱きしめる。

「ありがとうございます・・・」

(あたたかい・・・・・・信長様の体温が伝わってくるみたい。信長様が無事に帰ってきてくださって、本当によかった・・・・・・)

今朝がた、他国との戦いを終えて戻ってきた信長様は、早々に公務を終わらせて、私と過ごす時間をつくってくれた。
(数日ぶりにお逢いするからかな・・・そばにいるだけで、胸がいっぱいになるよ)

とくに何をするでもなく、信長様と身体を寄せ合い、暗く静かな城下を見下ろしながら、過ぎゆく時に身を任せる。
(こんな風に信長様と過ごせるなんて、贅沢だな)

二人だけの愛おしい時間にそっと笑みをこぼすと・・・・・・

信長「随分、機嫌が良さそうだな」

後ろから顔を覗きこんできた信長様が、指先で軽く私の頬を撫でた。その優しい感触に、とくんと胸が高鳴る。

「信長様とこうやって過ごせることが、幸せで・・・・・・今、この瞬間が何より大切に思えるんです。

信長「愛らしいことを言うな、貴様は」

頬に触れていた信長様の指先が私の顎をすくって・・・・・・

「ん・・・・・・」

唇に、甘い口づけが落とされた。するりと忍びこんだ舌先が、ゆっくりと口内をなぞると、

「ぁ・・・・・・ふ・・・・・・っ」

切ない吐息がこぼれてしまう。
(すごく優しいキス・・・・・・)

顔を離した信長様の慈しむような眼差しを見て、溶けるような幸福感を感じた。

信長「冷えてきたな。・・・部屋に戻るぞ」

(あ・・・・・・っ)

立ちあがる気配をみせた信長様の腕をとっさに掴んで、見上げる。

「・・・・・・もう少しだけ、こうしてお話をしていたいです」

信長「話?何が聞きたいのだ」

「何でもいいんです。ただ、信長様の声が聞きたくて」

思案顔を浮かべた信長様が、何かを思い出したように口を開いた。

信長「そういえば戦からの帰路で、『占術師』を名乗る者に出会った」

「占術師、ですか・・・・・・?」

信長「ああ。田舎の村で吉凶を占っている僧だった。まじないの類は信じないが、その男が占った内容は確かに当たっていた」

(当たっていたって、そんなにはっきりと・・・・・・)
信長様の口調は真剣で、占いの結果を信じるだけの確証を持っているようだった。

「その方はどんなことを仰っていたんですか?」

信長「その男には・・・・・・数奇な運命の下で出逢った最愛の女がいるだろう、と言われた」

(え・・・・・・っ)

信長「貴様のことだ」

「信長様・・・・・・」

揺らぐことのない真っ直ぐな視線を向けられて、頬が熱を持つ。

(たしかに五百年の時を超えて出会えたんだから、数奇な運命なのかもしれない。それに・・・・・・)

信長様が紡いだ『最愛』という言葉を思い返し、くすぐったい気持ちになる。

「そんな風に言っていただいて・・・・・・嬉しいです。そう言えば、私も少しだけ占いが出来るんですよ」

信長「何?」

「手相占いを、本で読んだことがあるんです」

昔、雑誌の占い特集で読んだ内容が、記憶の片隅に残っていた。

信長「では、俺を占ってみろ」

(え、信長様を?)

「でも本当に少ししか、占えないですよ・・・?」

信長「構わん」

信長様は愉しそうに、私へ手を差し出した。

「それじゃあ・・・・・・」

そっと信長様の手を取ると、皮膚の温かさが指先に伝わる。初めて触るわけでもないのに、どきりと心臓が音をたてた。
(緊張するな・・・・・・)

信長「どうした、占えるのではなかったのか?」

「は、はい」

かすかに速くなった鼓動に気づかれないように、急いで信長様の手を見つめる。
(ええっと、運命線はこれで頭脳線が・・・・・・あれ?頭脳線と感情線がくっついて一本になってる)

「すごい、これって・・・・・・」

目を瞬かせた私を見て、信長様が首を傾けた。

信長「何かわかったのか?」

「信長様の手相がとても珍しいものなので、驚きました」

手のひらを一直線に横断する、一本の線。それは『ますかけ線』と呼ばれ、つかんだ幸運を決して離さない手相だと雑誌に書いてあった。
(さすか、天下人の手相だな)

私が説明すると、信長様が口の端で、にやりと笑う。

信長「つかんだ幸運を離さない、か。間違いではないな。俺に幸運を運ぶ貴様を、こうやって腕に抱いているのだから」

「っ・・・・・・」

甘く囁かれた言葉に照れながら、信長様の手のひらに再び視線を落とすと------・・・
(あ・・・・・・これ、『生命線』だよね・・・・・・)

信長様の手のひらに刻まれていた線が、少し短いことに気付いて、ざわり、と心が騒いだ。たかが占いって、わかってるけど・・・・・・気になるな)

信長「どうかしたのか」

「あ、いえ・・・・・・」

信長「言ってみろ」

言葉を濁した私を、信長様が静かな声で促した。
(ごまかせそうにないな・・・・・・)

「その・・・・・・信長様の生命線が、少しだけ短いことが、気になって」

信長「せいめいせん?」

「この、上から下へ伸びた線です。人の寿命の長さを図る線って言われてるんです」

私は信長様の手のひらをなぞりながら、生命線の説明をする。

信長「そんなことで貴様は、暗い顔をしていたのか」

「はい・・・・・・」

(危険なことが多いこの時代だから、余計に気になっちゃうよ)

信長「無用な心配だ。貴様がいれば問題ない」

私の頭に顔を寄せた信長様が、項にそっと唇を押し当てた。
(信長様・・・・・・?)

信長「案ずるな。本能寺で貴様と出逢った夜、繋いだこの命をやすやすと散らす気はない」

迷いのない信長様の言葉は力強くて、すとんと私の胸に納まった。
(不思議・・・・・・信長様の言葉を聞くと、きっと大丈夫だって思える)

「それじゃ、数日後の信長様の誕生日だけじゃなくて、来年の誕生日も、その先も・・・・・・ずっと一緒に過ごせますか?」

真剣な私の想いを受け止めるように、お腹に回された信長様の腕に力がこもる。

信長「当然だ。この先も貴様を離す気はないからな」

(よかった・・・・・・)
ほっと息を吐くと、風で少し乱れた髪を、信長様が横へと流した。

信長「吉凶など、己の行いでいくらでも変えられる。貴様は俺を信じてそばにいれば良い」

(あ・・・・・・)
夜の空気で冷えた私の唇に、信長様の唇が重なって、熱がまじりあう。

押しあてられた唇がそっと遠のくと、優しげに目を細めて笑う信長様が見えた。

信長「占いひとつで一喜一憂する貴様も・・・・・・愛らしいがな」

「信長様・・・・・・」

信長様の指が肌を伝い、身体がたまらなく火照っていく。
(愛おしいと思ってもらえることが、こんなに嬉しいなんて)

浮き立つ心を感じながら、私は信長様にそっと、お返しのキスを贈った------・・・

・・・・・・

翌日------

自室で信長様の誕生日に贈る羽織(はおり)を縫っていた私は、(まんじゅしゃげ)の刺繍が、納得のいくものにならず、頭を悩ませていた。
(どうしよう。このままじゃ、明後日の誕生日には間に合わないかも)

深紅の刺繍糸をほどきながら、ため息を漏らしていると・・・・・・

信長「ゆう、入るぞ」

(っ、信長様⁉︎)
襖(ふすま)を開いて入ってきた信長様に驚いて、慌てて縫いかけの羽織を背中に隠した。

信長「------今、後ろに隠したものはなんだ」

「え、なんのことですか?」

信長「ほう・・・・・・それで誤魔化しているつもりなのか?」

悪戯を思いついた子どもの様な笑顔を浮かべて、信長様が私の前に腰を下ろす。

信長「もう一度聞く。何を隠した?」

「あ・・・・・・っ」

不意に耳たぶを甘噛みされて、思わず声が漏れた。

信長「言う気がないなら、それでも良いが・・・・・・」

「ま、待ってください!」

信長「駄目だ」

反対の耳も噛まれそうになって、信長様の胸を押し返す。
(誕生日まで隠しておこうと思ったんだけど・・・・・・無理!)

「待って、見せますから、噛まないでください!」

信長「そうか。では早くしろ」

(もう・・・・・・強引なんだから)
噛まれた耳がやけに熱くなっているのを感じながら、私は信長様の前に羽織を広げた。

「隠したものは、これです」

信長「これはなんだ・・・・・・?」

「信長様の誕生日の贈り物にと思って、縫っていたんです」

信長「美しいな。刺繍を入れれば完成するのか」

「はい。だけど、喜んでもらいたいと思えば思うほど、刺繍が上手くいかなくて・・・・・・」

完成していない羽織の装飾部分を、指先でなぞる。
(信長様のイメージに合わせて、もっと豪華にできればいいんだけど・・・・・・でもこのままだと時間も足りないし)

「信長様は、どんな羽織をもらうと嬉しいですか?」

解決の糸口を見つけたくて、思いきって聞いてみると・・・・・・

信長「貴様はその羽織をどのように仕立てれば俺が喜ぶと思うのだ」

「え、それは・・・・・・」

信長様に聞き返されて口ごもる。
(ものすごく華美な飾り付きとか?それとも肌触りがいい方が喜んでくれる?)

「・・・・・・すみません、わかりません」

申し訳なく思いながら首を横に振ると、信長様が唇に薄い笑みを浮かべた。

「そうか。ならば良い機会を作ってやろう」

信長「そうすれば、貴様もやる気を出すはずだ」

(え?)

その夜、信長様に呼ばれた武将たちと私は、広間に集まっていた。
(いったい、何が始まるんだろう?)

末座でそわそわとしながら、信長様の言葉を待つ。
(たぶん、昼間に信長様が仰ってた、『良い機会』のことのような気がするけど・・・・・・)

信長「皆、集まったようだな」

信長様が一言発しただけで、その場の空気が凛と引き締まった。

秀吉「はい。全員そろっております」

三成「信長様、急な呼び出しとは何事ですか?新たな戦の兆しでも・・・?」

家康「なにそれ、そんな話、聞いてないけど・・・・・・」

政宗「ゆう、お前は信長様から何か聞いているのか?」

「ううん、私も何も・・・・・・」

光秀「領地内で何か不測の事態でも?」

信長「そうではない。今宵、安土へ触れを出すことにした」

秀吉「・・・・・・触れ、ですか?」

三成「どのような御触れを出されるのですか?」

信長「それは・・・・・・」

(それは?)

信長「明後日の誕生日、俺を最も喜ばせる贈り物を考えた者に、望むだけ褒美を与える」

(え⁉︎)

光秀「最も喜ばせる贈り物、ですか。なるほど・・・・・・」

何か察した様子の光秀さんが、横目でちらりと私を見る。

家康「また、突飛なことを・・・・・・」

三成「面白そうですね」

秀吉さんが自信に満ちた表情で、信長様に向き直る。

秀吉「信長様。必ずやこの秀吉、信長様に至高の贈り物をお渡しいたします!」

政宗「俺もこの勝負、手は抜かない。勝負に勝った暁には、次の戦の先陣を任せてもらえるように頼む」

家康「政宗さんが先陣を任されると、俺が歯止め役として苦労するので・・・この勝負、勝ちにいきます」

三成「家康様は、信長様に喜んでいただきたいのですね」

家康「誰がそんなこと言った?」

ざわめく皆を前にして、信長様の声が広間に響いた。

信長「話は以上だ。当日を楽しみにしている」

秀吉・三成「はっ」

政宗「今から腕が鳴るな」

家康「程々にしてくださいよ、政宗さん」

そばに居た光秀さんが、私に顔を寄せて、小声で話しかける。

光秀「信長様の妙案は、お前の影響じゃないのか?ゆう」

「え、ええっと・・・・・・」

光秀「まあ、いい。せいぜい愉しませてもらおう」

ふっと笑った光秀さんが、広間を出ていく。
(信長様が言ってた『良い機会』って、このことだったんだ。確かに皆やる気だし、信長様を一番喜ばせるためには、特別な贈り物を贈らないといけないよね)

大ごとになってしまい、少しだけ焦っていた気持ちをなんとか引き締める。
(でも、やっぱり信長様に一番喜んでもらいたいから。私も羽織づくりを頑張ろう!)