これは、私が英語を話せるようになったきっかけの覚書。

この悔しさを忘れないためにここに書いておく。

 

 

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英語が話せないことは大したことじゃない。

そう思ってた。

 

そうは言っても、何回も一人でバックパッカーで旅行してきたし、

旅先でたどたどしい英語で友達もできた。

イギリスへの留学経験もある。

話せなくはない。

もっと話せたらいいけど。

ブレイクイングリッシュでいいか。

 

 

 

 

 

渡米して半年。

暇つぶしにと始めたESLもコロナで全てオンライン。

 

ある日の課題に愕然とする。

TOFULのリスニング問題。

全くわからない。

 

リスニング問題の内容は、Zoolosy、動物学。

 

私は生物系の大学出身。

TOFULなので、そこまで専門的な話ではない。

日本語では’簡単’に理解できただろう。

なんなら、その内容に文句の一つもつけられたかもしれない笑

 

でも、英語になると1つもわからない。

 

実際は、課題の内容というより、

それを聞いていた夫との会話で衝撃を受けた。

夫はほぼネイティブのバイリンガルである。

彼は全て普通に理解していた。

 

自分で言うのはなんだけど、

勉強は頑張ってきた方だと思う。

彼より断然!!

 

それが。

英語ができないと、アメリカでは今まで培ってきた知識はゼロと同意義になる。

違う。

日本から出たら、だ。

 

それがものすごくショックだった。

夜は涙が出てきて眠れず。

翌朝も声を上げてワンワン泣いた。笑

悔しい。

悔しい悔しい悔しい。

 

今でも涙が出てくる。

英語なんて大嫌い。

アメリカなんて大嫌い。

なんでこんな思いをしなくてはならないの。

 

 

 

 

 

呆れますか?

 

そんなことで?

甘すぎ。

そんなんしょうがないじゃん。

そんなに泣くほど努力したの?

英語はツールなんだから、覚えるしかない。

泣いてないで、悔しいなら勉強するしかない。

彼だって努力したのかもしれないよ。

 

 

 

痛すぎる正論。

それを彼に言われるのも悔しくて。

3日くらい何もしたくなくて引き篭もった。

 

 

 

 

絶望して。

ふてくされて。

ESLもブッチして。

日本語のYoutubeばかり見てた。

 

何で日本では英語で勉強させてくれないんだ。

なぜ英語を日本語に置き換えて教えるんだ。

夫に嫉妬し、日本教育に八つ当たりし。

 

 

 

 

 

3日経ってそれも気が済んだ。

 

 

そう、やるしかないのだ。

わかってる。

 

 

今の私の生活は、時間たっぷり。

環境は英語習得にぴったりすぎるほど、好環境。

 

 

ということで、今日から始める。

できることは何でもしよう。

お金は彼に甘えよう笑

 

 

とりあえず、ESLの先生にリスニングの内容を書いたものが欲しいとメールした。

聞き取れないけど、文章でさえあれば辞書を使えば自分で読めるんだ。

 

本気出せ、私!