24colors

24colors

主に、探索記録、バイク記録が多くなると思います。

↑の続きです。


そこで地図を確認してみると…







昔の地図の溜池と書かれているところが亀ヶ池のようで、まさにその縁辺りに、前回訪れた「亀ヶ池弁財天」があったのです!(小さく赤点した場所)

わぁ〜繋がった!🐢⛩️


と言うわけで、もう一度亀ヶ池弁財天を訪れてみることに。


やはり、階段だらけ。

この辺りは溜池の中だったんだなぁ…







そして亀ヶ池に再び!


亀ヶ池弁財天はその頃の池のなごりだと言われていて、中の島に祀られている祠は かつて亀ヶ池の一角にあった物で、中には弁天像が納められているとのこと。


池の中には冬眠してない亀が沢山います!

1匹、ずっとオイデオイデをしてる亀がいました(笑)🐢








稲付川跡を辿る探索はこの辺りまでで一旦終了。


ここからはまた別の見所があります。

亀ヶ池弁財天の裏側には、赤羽台団地が広がっていて、ここは前回の、陸軍専用引込線跡を辿った時に知ったかつての軍用地、被服廠本廠だった場所なのです。







そして戦後は米軍に接収され、東京兵器補給廠の一部として利用されていました。

その土地が返還され、日本住宅公団によって赤羽台団地が造られました。

東京兵器補給廠では、倉庫・管理施設・一部は米軍住宅としても使われていたようです。

公団住宅として造られた赤羽台団地は、その後老朽化に伴って建て替えが進み、現在は『ヌーヴェル赤羽台』など新しい住宅と学校が共存する街になっています。

また、当時の団地建築を伝えるものとして、今では珍しくなったスターハウスが保存されています。







スターハウスは1950〜60年代の公団団地に特徴的な、放射状に住戸を配置した高層住宅で、採光・通風を良くするための、当時としては先進的な設計でした。

建て替えで殆ど姿を消した為、実物が残っているのはかなり貴重のよう。

保存の為に改修されているような箇所もあり、とても綺麗な状態に見えました。


そして、このスターハウスの42、43、44号棟(ポイント型住棟)と、その脇に建つ旧赤羽台団地41号棟(板状階段室型住棟)


が団地として初めて登録有形文化財(建造物)に登録されました。(2019年に登録)

つづく。


↑の続きです。


ここからは、稲付川周辺を少し探索していきます。


江戸時代、この一帯(赤羽西・赤羽南・西が丘地域)は稲付村と呼ばれていました。



稲付川跡を辿って旧岩槻街道(都道460号)に出たので、そこを北上していきます。


付近には明和6年(1769年)に造られた古い庚申塔も残っています。

江戸時代に造られたものが今なおここにあって、見られるということにロマンを感じます!




足元で踏みつけられてる邪鬼がなんか丸っこくてかわいい(笑)


見ざる言わざる聞かざるの三猿もまだちゃんと見られます。


さらに北上、近くには稲付城址が。



稲付城は戦国期に廃城となり、その場所に静勝寺が建ちました




門の前の三界萬霊地蔵には稲付村の文字が。




稲付城(現在は静勝寺)は戦国時代に太田道灌によって築城されたそうです。

その太田道灌の木造坐像も安置されているようです。




そしてこの城の西側には、「亀ヶ池」という池があり、これが天然の防御になっていたそう。

これを知った瞬間、気付いたことが。

先日、赤羽の軍用引込線を辿った際に偶然出逢った弁財天、確か「亀ヶ池」じゃなかったか?と。

↑ブログには載せていないのですが、この時に亀ヶ池弁財天をたまたま訪れました。

その際の写真↓








住宅街に突如現れた池、弁財天。

気になって写真を撮っていました。


つづく。


↑の続きです。


さらに進むと「水車の坂」が。

かつてこの辺りに水車があったようです。

坂は結構な勾配で、当時は水車に荷物を運んでいた馬が坂の途中から落ちて死んだこともあったようで、お稲荷様や馬頭尊などが並んでいたそう。











水車の坂からの景色。




今回は行かなかったのですが、この近くには游鯉園の坂という坂もあります。



というか坂だらけ。


水車の坂は一旦降りて、川の道再開。


この空き地も川の痕跡を思わせる唐突な空き地。



さらに進むとおそらく両方とも川じゃないかと思われる分岐が。(この一帯は灌漑用水であちこちに分水されていただろうし)今回は左を進みました。






先には、見るからに暗渠だと分かる車止めが。


この車止めの暗渠を進むと、日光御成道(旧岩槻街道)に出ます。




↑だいたいこの川筋を辿ってきました。


川はそこから旧岩槻街道を、現在は消滅した高橋をくぐり、隅田川へ抜けていた様子。

そちらは現在では河道がはっきりしないようです。

(隅田川付近だけ開渠になっている!)

というわけで、川を辿る探索はここまでになりますが、ここからも少し周辺を探索します。



つづく。



①の続きです。


この道が、谷底感がすごい。

道(かつての川)の両側は崖のような勾配になっていて、そこかしこに急な階段が出現します。






これは面白い。つづら折りの狭い階段道。

上の道に繋がっています。


道の両脇に並ぶ家々も、一階の高さを上げていて、まず外階段を上がって玄関、という感じ。





建物も建物の間のこーんな細い階段はなんだかワクワクしちゃう(笑)



空き地になって見通しが良くなってる場所で、この場所の低さを実感。


道の両脇は崖のように高低差があり家屋が段々に建ち並んでいます。



昔の地図と現在地を見比べながら、この辺にあったはずの橋の痕跡を探します。



すると、急に盛り上がっている交差点が!(遠目から見ると分かりやすい)






交差点を別の角度から。


位置的にもここが橋だったのだろうと推測。


ずーっと暗渠なので痕跡探しや想像力がワイワイしてます。



つづく



先日、旧中山道板橋上宿から赤羽へ向かって、かつて存在していた「稲付川」の痕跡を辿ってみました!
現在は排水路として役割を変え、殆どが暗渠となっています。
寄り道しつつの軌跡ですが、明治時代の地図では存在していた川をこんな感じで探りながら辿りました。





稲付川は石神井川から、灌漑目的で分水された川(水路)で、江戸中期・4代将軍家綱の時代に開削されたようですが詳しいことはわかっていないようです。

今回は縁切榎の辺りから稲荷台を抜け、本郷赤羽線と環七がクロスする姥ヶ橋から中十条赤羽線(旧岩槻街道)までを歩いてみました。





途中で、フェンスに囲まれた細長い謎の空き地(公園)が。


昔の川の痕跡を感じます。



さらに、水の流れていない、道にもなっていない、わかりやすい川の名残が出現。






橋があったことがわかります。


矢印の方向へ川が流れていたと思われます。





川の跡を追うために、姥ヶ橋交差点からは階段で一気に降ります。

この辺りは結構勾配があった様子。


階段の下り口にはこんな看板が。






川は現在の梅木小学校の脇あたりを通り、当時その一帯にあった水田や畑に水をもたらしていたのでしょう。

川らしいクネクネした道が楽しいです。





(つづく)