数年前、映画化された事で本屋でもよくPOPを見ていたし、映画の広告動画も目にしたことはある。

なのに全く読もう、見ようと思わなかったのは、この物語をよくある恋愛小説の、愛する彼女が病気によって亡くなる悲劇の物語だと勝手に推測していたからだ。
私はそういう、明らかにバッドエンドの、病気を題材にした作品に苦手意識がある。

しかしなんとなく本を読みたい気分になり、久しぶりに帰っていた実家の本棚にて聞き覚えのあるタイトルが目にとまり、読み進めてみた。

病気を題材にしてはいたし、女の子が亡くなってしまう所も間違いなかった。

それなのに、私が勝手に推測していたよりももっと深いところにテーマがあり、とてもいろいろ考えさせてもらえる物語だった。

私も、明日死ぬかもしれない、大切な人が明日も笑って生きていない可能性は誰にだってあるとは頭ではわかっている。
病気になったら尚更、余命宣告をされたら尚更、1日1日大切だろう。本当は病気にならなくても1日の重さは平等で、みんな重みはおなじ。

わかっていたつもりだが、全くわかっていなかった事を証明されたような物語だった。

大切な人に自分の言葉が届いていること
(たとえ反対意見を言われようとも)がどれだけ幸せなことなのか。
生きている間に、生きているからこそ本音が伝えられない場面がどれだけ多いか。

死ぬかもしれないということは
自分の事であれ、大切な人の事であれ、
考えたくはないし、怖い。
きっと今後も毎日、死ぬ事を考えて生きることは難しいと思う。

ただ、人生で起こる全ての事を、人のせい、環境のせいにせずに生きていきたいと思った。
偶然に思えることでも、全て、自分が選択してきた結果。
今、一緒に居る人との関係も、仕事も、住んでいる環境も、健康状態も。
1つ1つ私がどれにしようか、どっちにしようか細かい選択をしてきた積み重ねなのだと学んだ。

何か嫌な事が起きると、無意識に仕方ない、〇〇のせいだ、と自己防衛してしまうクセがある。
そんな生き方より、自分で生き方を選択できている自分の世界に責任と、喜びを感じながら生きるほうがいいなと思った。