回顧録。3月15日、親友の好子ちゃんの思い出。 | くみちゃんの(日宣妙苑/ヒムラミョウエン)ひとりごと

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少しでもあなたの楽しい人生にお役に立てばと思います。
新たに引越ししてブログはじめました。皆さんどうか宜しくです。

今日は、無料教室ではなく

いつもの思い出したように独り言です。

どうしても書き留めておきたくて書きました。

個人的な話なので興味のない方はスルーしてください。

 

今日、3月15日は親友好子ちゃんのお誕生日。

中学校1年の時の同級生。

私が中学2年の一学期伊丹市から堺市に転校が決まり、

転居してからも長い間文通をしていた大親友でした。

最も長く年賀状をやり取りした親友です。

 

堺のおうちにも夏休みにお泊りで来てくれたり

その後も、あちこち転々としていた頃も

探しては会いに来てくれるそんな人でした。

 

私の人生の波乱をおそらく一番よく知っていて

私の結婚後も波乱続きであちこち転居をする中、

常に会えなくてもずっと手紙を送ってくれた大親友でした。

私が電話嫌いだということを知っていたからかもしれません。

 

どんな時でも心配してくれて

ひょっこり会いに来てくれたり、

春先には、私と私の娘にまで

お手製のいかなごのくぎ煮を送ってくれるような人でした。

 

何年か前、私の誕生日に、

長生きしてねというメッセージと共に

赤色の下着を送ってくれたこともありました。

 

そんな思いを寄せてくれた親友は

2017年の6月初旬、

自宅で倒れ救急搬送されたと

彼女のとても親しくしている同僚の方から

連絡をもらいました。

 

そのメッセージには、今日がヤマで、

明日まで持つ保証はないと

医師が言っている書いてありました。

慌てて教えてもらった病院に駆けつけました。

 

こんな大切な時なのに、

例のごとく私は道を間違え

なかなか病院にたどり着けず、

気持ちは焦りを増すばかり。

あちこちの人に病院の場所を聞きまくって

夕刻にようやく病院にたどり着きました。

 

病室の彼女はすでに意識はなく、

ご主人とお嬢様が付き添っている状態でした。

最後だから面会が許される状態だとわかりました。

 を

 

病院の面会時間が終わる17時頃、

彼女の会社の同僚が

次々とひっきりなしに訪ねてきて

病室前の廊下はごった返すような状態でした。

いかに彼女が多くの人たちから

愛されていたのだという事が

よくわかりました。

 

面会時間が終わり、

病室から身内以外全員出されることになり

後ろ髪をひかれながら帰宅しました。

自宅について間もなく、

彼女が息を引き取ったと連絡がありました。

 

本当に最後に顔を見たのは出棺の時でした。

いつも人にいつまでも長生きしてねって

口癖だった人が

まさかの先に逝ってしまうなんて

目の前の彼女を見ているのに信じられませんでした。

 

老後に一緒に旅行に行こうねって

約束してたのに。

結局、私は彼女に何の恩も返せないまま

彼女は静かに旅立っていきました。

 

今も手元に、堺市に転校前に

南中学校のその当時立っていた木造の旧校舎の前で、

社会科の野村先生と一緒に

私と好子ちゃん、一緒に通学していた惠子ちゃん、

仲良かった、赤松さん、長谷川さん

いつも問題を起こしてばかりいた広池君と

6人の映る記念写真今も手元にがあります。

写真中段 真ん中のおさげ髪が私、右白いハチマキが恵子ちゃん。

写真下段 右の白いハチマキが好子ちゃん。

写真下段左の長谷川さんは、二十歳の時急死したと風のうわさで聞きました。

長谷川さんは、当時、三和市場という市場の豆腐屋さんの長女さんでした。

 

転校するときに、お互いに写真を入れておける

ペンダント(ロケット)を阪急伊丹駅に当時あった

タミータウンのアクセサリーショップまで一緒に買いに行って

後日、お互いの写真を入れてロケットを交換しました。

 

現在タミータウンは

阪神淡路大震災の時、駅ビルは全て倒壊して

今はもうそのショップは記憶の中にしかありません。

 

今もそのショップの場所もはっきり覚えているし

その交換したペンダントロケットのデザインも覚えているし

彼女からもらったロケットは

今も私の手元に彼女の顔写真と一緒にあります。

 

病室であったあれが

本当に最後のお別れになるなんて

信じられませんでした。

いい人だから奇跡は起きるんじゃないかって

どこかでそう思っていました。

 

この時、どうしてあんなに多くの人から

愛された彼女が

いともあっけなく

この世から命の灯火が消えてしまうなんて

世の中の無常をこんなに身近に感じたことはありませんでした。

 

私にような変わり者を

どんな時も変わらずに

親友だ言って関わり続けてくれた好子ちゃん。

 

びっくりするぐらい私の性格を

とてもよく知っていた彼女。

やっぱりに私のような変わり者で憎まれ者は

世にはばかるのかなぁ…と思いつつ。

 

今年のお誕生日が来たら63歳だったのにね。

あの日のお別れから5年の歳月が流れたんですね。

 

中学校の教室で

「今年の3月15日は山陽新幹線開通の日やで!」

「忘れんといて!ちゃんと覚えといてや!」って

春休みを前に彼女が無邪気にはしゃいでいた日を

思い出しました。

 

1972(昭和47)年3月15日

「ひかりは西へ」をキャッチフレーズに

山陽新幹線新大阪〜岡山間が開業しました。

2022年50周年を迎えたそうです。

あの話は50年前だったんだとちょっと驚いてみたり。

 

中学校校舎の窓からも

山陽新幹線の高架橋がすぐそばに見えていて

岡山にもすぐ行ける距離になるんやね。

なんて他愛のない会話をした事を思い出します。

おしゃべりばかりで

肝心の新幹線を見てなかったけれど。

この頃の記憶は今でも確かですね。

 

昨年12月中旬に

ラブラドールレトリバーの

愛犬ラッキーちゃんも14歳10か月で

一昨年前の2月中旬に

愛犬ショコラちゃんは9歳と10日で

ともに急病で虹の橋を渡っていきました。

 

いつも残されたものの心の穴は大きく

簡単にふさがりはしませんが

悲しんでばかりもいられないのが現実です。

 

現実という世の無常を思い知らされますね。

こればかりは日が心を少しずつ癒してくれるみたいです。

「そういうのは、日にち薬や」と、昔、祖母がよく言っていました。

本当に、ごもっともと感じます。

やっぱり年取ったんですね。

 

今日3月15日は親友好子ちゃんのお誕生日。

一緒に食べられないけれど、ケーキ買ってくるね。

私だけの気持ちのエアーバースディやるね。

きっとお嬢さんがお孫さんと祝ってくれてると思うけれど。

好子ちゃん、いい思い出いっぱいありがとう。

 

好子ちゃんの影の力で

何度もダメになりそうな人生を救ってくれたよね。

占い師になった時も、

一番にお店友たちいっぱい連れてに鑑定に来てくれたよね。

本当にありがたくてうれしくてうれしくて…

一緒に喜んでくれたよね。

 

ようやく私が自分の足でしっかり立てたら

もう支えなくても大丈夫って思って行っちゃったのかな。

 

何事も誰かの支えがあるから

今があるんだと素直に思えるようになれた気がする。

これもみんな好子ちゃんのおかげ。

 

「おかげさま」の気持ちは

絶対に忘れてはいけない事だと私はいつも思います。

自分一人ではきっと壊れていたかもしれません。

自分一人が頑張っているようでも

必ず誰かが陰で支えてくれているんだと思います。

考えたらいつも彼女が心に寄り添ってくれたと思います。

よき友達はいいものですね。

 

一生で一番多く年賀状をやり取りした人なのに

もう、彼女からのはがきが来なくなって5年が過ようとしています。

 

今はメールがあるけど

当時の郵便での文通は待つ楽しみがあった気がします。

切手や便箋と封筒を書く内容に合わせて選んでみたり。

まだかまだかとポストを見に行った日々。

手書きならではの良さが今でも好きですね。

特別なことがない限り手書きはしていませんが。

懐かしく思います。

 

みっともない言い訳ですが、

私は左利きなうえに字が下手なので

もっぱらメールに頼っていますけれど…。

 

どんな時も常にいつもと全く変わりなく

いつも笑顔で寄り添ってくれた大親友好子ちゃん

3月15日は「お誕生日おめでとう。」

 

彼女との生前の約束、できる限り長生きします。

フェイスブックの思い出に

彼女からのプレゼントの写真が

私のタイムラインに残っています。

なんでも記憶の財産を挙げておいてよかったって

自己満足しています。

 

あの世できっとまた会いましょうね。

会えると信じて、その時までできる限り頑張ります。

空から応援してくれると信じてます。

 

私にとって記念すべき彼女の誕生日。

愛犬たちの事もまだ気持ちが癒えないのもあって

ちょっと心がお疲れのようなので

今回ここで勝手に吐き出させていただきました。

 

最後までお読みいただいたあなたのご縁にも感謝いたします。

普段、ほとんど更新ができていないブログに

来て下さる皆さまにも心から感謝申し上げます。

気まぐれではございますがよろしくお願いいたします。

 

まだ14歳10か月のラッキーちゃんが旅立った日から

嘘みたいにショック?!で歩けなくなった

15歳 老犬ハッピー君が一日も長く

幸せに生きられるように努力したいと思います。

後悔だけは残らないようにしたいと思っています。

それではまた。

 

                    日宣 拝