回想・自分と運命学の不思議 | くみちゃんの(日宣妙苑/ヒムラミョウエン)ひとりごと

くみちゃんの(日宣妙苑/ヒムラミョウエン)ひとりごと

波乱万丈くみちゃんが、普通に普通の幸せな生活がしたい!
思いが通じて夢をかなえることができたノウハウを
少しでもあなたの楽しい人生にお役に立てばと思います。
新たに引越ししてブログはじめました。皆さんどうか宜しくです。

皆さまブログの更新ができずにご迷惑をかけました。

私の体調の不調と共に止まっていました

マイパソコンも長男の協力で復旧することが出来

大阪を襲った台風の影響で停電が長引き

ブログの更新が今になりました。

 

本日は自分の回想と個人的な話です。

数理運命学(数理占星術)の話はこのブログの後

引き続き書かせて頂こうと思っています。

 

今回の入院は、

命には全く別状はないのですが

今後の行動に直接響くので今手術を受ける事にしたのです。

 

退院後もまだ 日にち薬の状況です。

これもいつもせっかちであわてんぼうの私に

しばらくきちんと休憩を取る事の意味を考える時間を

天から頂いたのだと考えています。

 

約一ヶ月の入院中に病院のベッドでスマホをいじりながら

気持ちに余裕がなくなる前の自分、

一番輝いていた学生時代を思い出しながら

当時好きだったブリティッシュ系ハードロック、グラムロック、

ビートルズや好きだったミュージシャンの動画を片っ端から

YouTube で探しては見ていました。

 

あの頃から既に約40年もの月日が経過し

ついに還暦を迎える年になりました。

大学を卒業してから希望をもって出発するなり

まさかの波乱人生が始まるとは思ってもいませんでした。

 

時間の経過すらも思い出せない位 周りの事で精いっぱい。

なんだか過ぎ去ってしまった時間はもう取り戻せないと思うと

変に空虚で家族や周りの洗脳にすっかりはまってしまって

常識って一体何なんだろうとぼんやり思い起こしていました。

 

その期間に失った時間は計り知れないと言う事に

今頃になって気が付いているのですね。

 

妙に几帳面で周りからの空気に同調している事が

正しい生活だったのかと思っていたのです。

 

運命学の鑑定士になってから

身をもって起こった自分の体験から気づく事が出来た事。

 

それは余裕のなさから

自分という個性を隠して常に押し殺していた事が原因で

笑う事すら忘れさせていたんですね。

 

がむしゃらな自分が

ただ、頑張れば必ず報われることだけを

頑なに信じていたんですね。

 

ただ、頑張り方の方法を間違っていたんですね。

鑑定士になってからのなんでもない写真が

常に笑顔である意味はそこにもあるのです。

 

幼少期から写真嫌いだったために

ほとんど若いときの画像が残っていないのです。

若さの綺麗さは誰しも持っています。

時間の経過はいつしか老いるという事なのです。

記憶の一部を「画像という形」で残して置くことが

希望を思い起こさせる原動力になる事もあるからです。

 

息子の言葉

「周りに合わせる事なんで意味がない時間の無駄!」

そう言われた時、

一瞬「波乱の人生に流された宿命の何があんたにわかるの?!」と正直、「あんたを何とか育てるためなのに!」なんて

頭に血が上りましたが、言い返す事はできませんでした。

恩を着せてはならないのです。

受け入れる事も大切なのです。

 

自分が親という立場上、子供より上だという立場を取れば

間違いなく家族としての関わりの意識が

希薄なる原因だと自分の生きてきた経験から感じるからです。

 

「なるほどごもっともな事だと」これは自分の中にいる神様が

自分の不徳を教えてくれているのだと認識出来ました。

 

完璧主義の方は何が何でも汚点を残したくない一心で

言いたいことを言って

周りを同調させているの事に気が付いていません。

 

そんな優しい人々がその人に合わせて関わっているからこそ

その方の生活がうまく成り立っているのであって

私ほど素晴らしい人間はいないと満足されていますが

必ずそういった自己満足の身勝手な感謝を忘れた行動は

輪廻転生、因果応報で

自分に戻って来る事を知らないからなのです。

 

人の言い方など表現方法にはそれぞれの個性があるのです。

合わせたくない人に合わす必要ないんでないんですね。

勘違いを生む事になるからです。

 

妙に社会的名誉と権力を持った人

一般的に自分より上の立場、職場 等々

立場上自分の上司と言われる人がが傍にいると

常にどんな理不尽な内容であっても

「イエス」と言わないと上司に逆らうことで受ける

報復手段が必ず自分に降りかかって来る事が怖かったんですね。

 

家庭をもって自己責任である

自分の子供たちを養うには飲み込んで耐える事が

ある意味の当たり前と自分に無理に言い聞かせていました。

 

本当は自分の中で不合理で納得出来ない事ばかり。

会社の常識一つをとっても

前の会社の常識が次の会社では非常識と言う事が多々あります。

その都度投げかけられた言葉が「非礼で常識がない!」でした。

 

私は生まれつき左利きだったため、

職場の上司に親の教育がなってないとか、

当たり前を知らない馬鹿とか、見てるだけで虫唾が走るとも…

とにかくいつも非常識だとよく言われました。

なので場所によっては左利きを隠していた時期もありました。

 

ですが、そう言う人にはその場所での常識だけが

その人の常識なのですね。

そんな小さな社会だけで生きてきた

会社という組織の空気で

すっかり洗脳にはまっているだけの人なのです。

 

リストラを受けた時も

職安で言われた言葉は、

「そんな前職の高額な給料をこの時世で

女に出す会社があるわけがないだろう。常識だろ!」

職安の職員さんに

「あんたの望む会社はないから自力で探してくれ」

とも言われました。今では問題ですよねこの発言。

だからこの事がきっかけとなって

プロの運命学鑑定士になったのですけれど。

 

何事もそういう事を平気で言う事が

いずれご自身に跳ね返ってくる事を

知らないからなのでしょう。

 

まあ、いつも何をやっても非常識と言われ続けて

一体何が常識なんだろうと悩み考え続けた結果が

そんな流れで引き合わせてくれたのが運命学でした。

 

一番自分らしさを出せる運命学の不思議を考える

鑑定士の仕事に出会わせて頂けたのだとも思っています。

 

数多くの失敗と罵声を浴びなながらも

何度が自分の本当の居場所が見つけられなくて

命を絶とうとした馬鹿げた考えを過去3度も経験しました。

 

その都度誰かに発見されたり、直前のアクシデントで

それなのに、その事で命を絶つ事を延々説教され

例えば「うちのマンションに自殺者がでたら

今後の経営に関わる事が分からんのか!」でしたけどね。

 

馬鹿らしくて

「なんでこんな事しか言えない人に説教されるねん!」

とムカついてきて

結局 生きることを選択するしかなかったんですね(笑)。

ありがたくも生きさせて頂けた訳なのですが。

 

また不思議なのは極限に来ると

必ずいつも何かと助けてくれる友人が常に傍にいました。

 

その限界を友人にたまらなくなって打ち明けた時、

生活に必要な物資を届けてくれました。

今、考えれば本当にありがたい奇跡でした。

 

その頃は、ただただ必死でどうしてここまで頑張っても

誰にも褒めめられる訳ではありません。

喜んで欲しいだけなのです。

 

またある時は、一生懸命に尽くした事でさえも

「当たり前の事に文句を言うな!」

「その程度の事で褒めてほしいんか!」

と帰ってくる言葉はいつも同じでした。

自分の立場の位置と無力さを嘆いた日々がありました。

 

その間に過ぎた時間は計り知れなく

ようやく自分らしく自分のために生きる

希望を持てる時間が来たのです。

 

大好きだったミュージシャンは、

20年も前に既に他界していた事を今頃知ったのです。

 

生まれて初めてロックコンサートを

見てファンになったロックミュージシャン、

当時のそのままの記憶に残る憧れの彼の画像を

今は当時の彼の写真をネットで探して

スマホの壁紙にしています。

こんな事すら出来なかったなんてバカですよね。

 

これだけでも当時の思い出が鮮明によみがえり

希望を持って向かっていた未来のスタートが今。

本当の自分を取り戻す時間がこの入院でもあったのでしょう。

 

顧客様には客観的に自分の経験から

どうしたら事前に問題を回避することが

少なくとも回避できなくてもどうすれば未来に繋げるのか

そんなアドバイスは事前に導ける事は多いのですが

自分の事はどうなの?というと恥ずかしながら

決して自慢できるどころか表に出せない事ばかり。

 

宿命的には60歳までは人のために尽くすのみの人生を歩む

という運命学の予言の通りの人生でした。

 

そういった経験からも運命学の不思議を感じ

鑑定士になって約15年が経過して

ゆっくり楽しい自分の未来を考える時になったのでしょう。

 

ところがあまりのストレスには負けない自信が

かえって気持ちの琴線が切れてしまったのでしょうか

自分の体を酷く痛めていた事を知りましたね。

 

ちょうど数理学で境目になる56歳の誕生日に急患で運ばれて

人生初めての40日あまりの病気入院を経験させられました。

 

自分の性格が招いている事実にも

全く気が付かず、長年の悪い染みついた癖が

ゆっくりする事に慣れていないのというのもあって

退院後も再び同じ生活をしていたばかりに

再度、約一ヶ月の入院を余儀なくされました。

 

今回は3度目の入院になのですが

この時期に担当医から命に関わらない事だけど

自分のために自分の体のメンテナンスを言われ入院しました。

 

これこそ3度目の正直なのでしょうか(笑)。

救いようのない自分の馬鹿さ加減に呆れるばかりです。

 

やっと病気前から出版の予定をしていた本も

ようやく脱稿することが出来

これは自分のための生きてこれた証。

 

単なる自己満足ではありますが

この運命学こそ自分の心を救ってくれて

再度、自分らしい自分を認識させてくれたのです。

 

周りに居た関わりをもった全ての高圧的な人たちも

次々他界されました。

ようやく誰にも指図されない環境になったのです。

誰にも逆らわないという洗脳から抜けられなかったのですね。

 

今更、支えてくれる人を求める気もなく

まあ、支えることはあっても支えて貰った経験はありません。

 

そういった自分を自分で何とかする、

それは何があっても人を頼ってはならないという両親の教えが

私の可愛げの無さにつながったのかもしれません。

だから私は結婚には向かなかったのですね。

 

若い頃、占いの大好きな祖母が勝手に私の宿命を見てもらって

私に言っていた事は結果的にはその通りだったんですね。

 

残念ながら、私は自分が求めている結婚はできずに

事故のような結婚にしか縁がないと言われました。

その事での本人も周りの人間関係にも

もう二度と苦しみたくないのです。

 

だから占いなんて関わる事は全くナンセンスで

関わりたくもなく大嫌いでした。

悪いことしか言われないのだという恐怖心があったからですね。

 

気が付けは今年の10月末の誕生日で還暦を迎えます。

自分の唯一無二の生き方をさせて頂ける時がやって来ました。

 

引き続き運命学の不思議と多くの運命学を多くの方達に

知ってもらいたくブログを書き始めました。

 

このブログに出版予定の本とほとんど同じ内容の物を

「プチ占いうんちく」で

書かせていただいています。

 

せっかくもらった命です。

粗末に扱うことはしてはならない事なのです。

生きたくても生きられない宿命を背負って

この世から虹を渡る人もいるのです。

 

日本列島、あちこちで起こっている天災で受ける大きな被害。

当たり前の平和に慣れすぎてしまった国民に

生きる意味を間違っているからと言うことを

教えてくれているのでしょうか。

 

当たり前は当たり前ではないし

亡くしてから気が付くのは愚かな事ですが

経験しないと解らない事もあるのです。

 

本当に自分がこの世の物で無くなる時

自分が持っていけるものは唯一、記憶だけなのです。

自分の体すらも持っては行けないんですよね。

 

 

運命には

陰と陽、上と下、左と右、前と後、白と黒が

必ず対になっている事を覚えておいて欲しいのです。

どちらもあるから存在が認識できるのですから。

 

当然大変な辛い経験をしたら、本当に幸せな経験ができる

そんな可能性を持っている事を知ってもらいたいですね。

 

数理占星術以外にも占術はあります。

この数理占星術を書き終えたら

他の占術も書いていこうと思っています。

 

本日も最後までお読みいただきました皆様に感謝しています。

それでは近いうちにまた。

次回は本文の数理占星術の続きを書かせて頂きます。

 

         日宣 妙苑 拝