さて、スマホに関してもう一つ。
スマホ依存ではない人間なので
そんなにも気にしていなかったのだが、
結構な人がスマホを見ている。
それと、数えたのではないが、
女の人が、同じように入院している人が多い気がする。
だからではないが、皆さんスマホを手に寝ている。
それと、気になったのが、
結構な人が使っていたのがこれ。
ベッドに取り付けてスマホを眺めている。
入院する前に欲しいなと思い。
探した記憶があるが、
持っていたら、多分使っていただろう。
必須アイテムの一つだ。
さて、病院でのスマホ事情について書いていこう。
入院した病院は、他の病院と同じように、
と言っていたので、そうなのであろう。
スマホの持ち込みはOK。
でも、メールはいいが通話はダメ。
私は、携帯依存ってことはないので、
なくても、困らないが、
いかんせん、コロナ禍である。
外部というか、家族との接触ができない。
メールのみが連絡手段なので、
スマホはなくては困る。
でも、通話している人も多けどね。
まあ、たいてい通話している人は、中小企業の社長みたいな人か、ちょっと、頭に障害がある人。って感じた。
さて、アザは、音を消していたので、着信があって困るってことがなかったが、やっぱり着信がる。
仕事の電話は全てこと得あったので、大丈夫だったけど、
個人的な電話は、あまり入院の件を言いたくないので、
断るの困った。
まあ、そんな時には家族を使うってのが、簡単だったね。
しかし、スマホってのは通話やメールだけじゃないから、
やっぱりあったほうがいいよね。
アザは、あまり使わないから応用性がなかったけど、
持ち込めるって前提に色々と、使い方を検討しておくってのはいいかも。
って思ったね。そんな時に便利なアプリもあるんじゃないかな。
LINEばかり使っていたんじゃいけないよね。
病院でもみんなLINEだったけどね。
ってアザだが、LINEはつかえないんだよね。
情けない。
リハビリをしていた。
と、言っても身体的な障害がなかったので簡単なものだ。
しかし、なんと言っても、1週間以上ベッドに縛られて、
動くことができなかったので、
とにかく、歩く練習である。
それに、頭の機能回復。
だいたい、アザは頭より体うを動かす方が、似合っている人間であるから、頭より、歩けるようになるためのリハビリをしたい。
がしかし、元々頭の訓練がダメなのだろう。
普通の人よりできない。何度も同じような頭の訓練をさせられる。
それに、身体的な障害はなかったが、
頭に方には少し、影響があったのだと、
自分でも、感じている。
なんと言っても、記憶力とか、集中力がないのだから。
でも、頭のリハビリはイヤ。
しかし、それは、ポジティブに考えて、
そのうち治るだろうと、思うようにしている。
さて、脳梗塞ってことは、
頭が痛くなったのかというと、そうでもなかった。
でも、頭痛はある。
まあ、当然といえば当然なのだが、
今までと違う痛みがある。
人によって、かなり差があるみたいで、
殴られたような痛みがある人も伊リュみたいである。
で、アザはというと、確かに痛みはある。
今までに感じたことがないような、「ズキーン」とした、
頭全体が痛いって感じたこともあっった。
すると、ドクターが、言うには、
痛い時は痛み止めを飲んでね。
病気と関係ないから。
と、言うので、
入院中は、何度も、痛み止めのお世話になった。
まあ、あれから頭痛が日常的になってきて、
普段でも痛い。
痛みが我慢できない時は、
頭痛薬を飲んでいる。
でも、こんな感じでいいのかな。治るのであろうか?
ちょっと不安になる。
さて、入院していてると、
当然、病院側に合わせなければいけない。
その中に、食事後の歯磨き。
このことは、どうでもいいのだが、
その時に使うコップがある。
集中治療室にいるときは、
なんでもやってくれていたので、
歯磨きも、全部用意されていた。
がしかし、大部屋になると、自分でやらなければいけない。
そんな中、食事のトレイの上にコップが置いてある。
歯磨きに使う、コップだ。
周り見ると、みんな同じコップを使っているから
用意されているものだと、思っていたら、そうではない。
個人のもので、入院時に用意するものの一つになっていて、
病院内の売店で買い求めたのものだ、
だから、みんな同じものを使っているのだ。
そうともは知らずに、食事のトレイと一緒に、
片付けてもらおうと、一緒にしておくと、
後で、ちゃんと戻ってくる。
不思議には思わなかったのだが、
病院の人は律儀である。
で、退院の時に、何かふたのようなものが、
テレビ台の奥にある。
気がついてはいたのだが、自分のでは、ないと思っていたら、
最後の片付けの時に看護師の人が、
コップの蓋です。
と、渡された。
確かに、コップにピタッと収まる。
家に帰り、聞いてみると売店で買ったもので、
個人のものらしい。納得である。