暇人が書く、自粛中見た映画レビュー ~クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ! 夕陽のカスカベボーイズ~
皆さんこんにちは、azarashipcです。久しぶりの投稿となります。最近はやっと例のウイルスが収まってきて今までの生活が戻りつつありますね。ただ、まだまだ東京のほうでは感染者数が増加しているので気を引き締めていかなければならないと思っている今日この頃です。さて、今回は私が自粛中にお家で見た、聞いたやってみた中で面白と思ったことを紹介していきたいと思います。その中で今回紹介するのはいつも見ないような面白い映画を紹介していきたいと思います。その映画というのが映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ! 夕陽のカスカベボーイズです。「クレヨンしんちゃんなんて子供の見るものだ。」と思ったそこのあなた、ブラウザバックボタンはまだ押さないでください。この作品を見ればきっとそこのあなたは「へ~、クレヨンしんちゃんってけっこ面白いじゃん」と思うこと間違いなし‼では早速あらすじを紹介していきましょう。あらすじある日、高鬼をしていたかすかべ防衛隊の5人は、街中を駆け回っているうちに古びた単館映画館「カスカベ座」を見つける。正面玄関は開いていなかったが、トイレの窓が開いていることにきずき映画館に入っていくと、そこには誰もいないはずの劇場にひたすら無音で荒野が映し出されていた。それを見つめるかすかべ防衛隊、だがしんのすけがトイレから戻ってくるとそこには誰もいなかった。いったんはみんな自分を置いて帰ってしまったと思い帰宅するが他の4人が行方不明になっていることが発覚。野原一家で映画館にみんなを探しに行くがまたもや映画に目を奪われ、きづけば周りは荒野だけになっていた。困惑するも他の人間を探しているとまるで西部劇に出てくるような古びた町にたどり着く。その町の名前は「ジャスティスシティ」、そこは正義の名のもとにジャスティスの暴力によって支配された町であった。しんのすけはそこでバラバラになったかすかべ防衛隊や謎の少女「つばき」をはじめとするカスカベの住人たちと出会うがそのほとんどは自分たちの過去を忘却しており、今の生活になじんでいるようであった。それは例外もなく野原一家もカスカベの記憶を失っていった。果たして、かすかべ防衛隊や野原一家はだんだん記憶を失っていく中で、この映画の世界から脱出することはできるのだろうか‼というあらすじです。(ここから先は、ネタバレにつながる文章が多々あります。まだ映画を見ていない方はぜひ映画を見てからこの先をご覧いただけるとありがたいです。もし映画は見ていないけど詳しいあらすじを知りたい方がいらっしゃるようでしたらWikipediaのURLを張り付けておくのでそこからご覧ください。)Wikipedia URL ↓↓↓↓↓↓https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%A8%E3%83%B3%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93_%E5%B5%90%E3%82%92%E5%91%BC%E3%81%B6!%E5%A4%95%E9%99%BD%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%99%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%82%BA引用 映画.COM https://eiga.com/movie/40985/photo/映画を見終わった後の感想私が最初に映画を見終わったとき感じたことは切ないという気持ちです。謎の少女「椿」が実は映画の住人だったこと、それを告げずにしんのすけと別れてしまったこと、とどめに最後のエンディングでしんのすけと椿ちゃんが踊っていたこと、これらが上手に自分の心にダイレクトアタックしてしまいました(笑)映画自体はとてもノスタルジー(故郷を恋しく思うこと)にあふれているものでしたがいささか単調になる部分もあり(私はそこも含めていいと思いますが)少しつまらなく感じる方もいると思います。ただ、エンディングに関して言えば映画クレヨンしんちゃんの中ではトップクラスにいいものなのでぜひ一度映画を堪能していただきたいです。注意 この後は私が勝手にした考察を披露したいと思います。興味のない方はブラウザバックしていただいてもかまいません。この映画のもう一つのテーマ感じ方によってはつまらないと思うかもしれませんが、私はカスカベの記憶をなくしていく野原一家の描写のシーンがとても恐ろしく感じました。野原一家やカスカベの住民たちがだんだんカスカベのころの記憶をなくしていく描写があるのですが、そこのほとんどの人たちがカスカベにいたころの表情と変わらいなかったのです。映画の中に入るという常識では考えられない状態なのに、なぜこんな顔をしていられるのか私にはその時、考えられませんでした。また最後にあそこまでショックを受けていたしんのすけがしろと再会しただけで、まるで椿ちゃんを忘れてしまったように元気を取り戻すシーンなんかもかなり不自然だったと思います。もう皆さんはお気づきかと思いますが、私が考えたもう一つのテーマはずばり時がたつと忘れられしまう現実を背負った映画館の恐怖との葛藤というものです。この映画とても忘れる描写がとても多いように感じます。例えば上に書いた以外にもひまわりがしんのすけを忘れて怯えるシーンや「ぶりぶりざえもん」を書けなくなるシーンなどたくさんの忘れるシーンがあります。「映画の中の世界はだんだん過去を忘れていくのだからそういうシーンが多いのは当然だ」と考える方もいるかもしれません。ですがそれではなぜ、わざわざしろとの再会シーンを描いたのでしょうか。ここから私はこのテーマを想像しました。このシナリオ通りに考えればジャスティス知事は忘れられたくないという映画の恐怖心が生んだ悪魔(なのでジャスティス知事はチーター並みの権限と強力な兵器を持っている。)、一方の椿ちゃんを筆頭とするアンチジャスティスは映画を終わらせなければならないという思いであることになります。(知事が椿ちゃんをそばに置いて行ったのは、無意識的に相手のリーダーを拘束する意思があったのかもしれません。)そして、かすかべ防衛隊が映画の中に引き込まれて映画のパワーバランスが崩れ、時間が進み始めて見事ジャスティスを打倒し映画を完成させたということになります。その後、必然的に忘れ去られる運命をたどることになるのでしんのすけがすぐに元気を取り戻したのにも納得がいきます。実は椿はしろだった!?この映画でのヒロイン、椿は実はしろではないかという説があるのを皆さんご存じですか?今回はその根拠となっている説のうち一部を紹介していきます。1かすかべ防衛隊が座ってた椅子の数皆さん、みんなが映画の世界から帰ってきたときに、最初は後ろの席が5人分しかないのに後になって席が6つになっていることに気づきましたか。ではなぜか、ここから考えられる考察は実は椿ちゃんは時間差で帰ってきたのではないでしょうか?2しろと再会した後しんのすけはすぐに椿ちゃんのことを忘れてしまった。これは先ほども指摘した点ですが、実はこれには別の説でも指摘されているのです。しろは椿ちゃんであり、しんのすけはしろと出会った瞬間に記憶が上書きされてしまったため椿ちゃんのことを忘れてしまったという説です。も「しろと椿ちゃんは姿や性別が違うではないか。映画の世界に行っても性別や姿が変わるわけではない。よって椿ちゃんはしろではない。」という鋭い指摘が飛んできそうですが、そこは次で解説します。つばきに隠された意味まずは、つばきをローマ字に直してみましょう。T,U,B,A,K,Iですよね。ここから母音を抜くとT,B,Kとなります。皆様ここで日本が配列のキーボードを用意してください。次に、今書かれたローマ字のキーに書かれた日本語を読むと「か」、「こ」、「の」になります。そして、つばき しろ と並べます。そうすると かこの しろ と出てきます。しろの過去が椿であるならば姿や性別が変わってもさほど問題はないと思いませんか。そして真実は明かされる実は、いまではこの説はすべてただの、屁理屈になってしまいます。なぜでしょうか。それは監督自身がブログで説を否定しているからなんです。水島監督が自身のブログで「 ずいぶん前ブログのコメント欄にも書いたのですが、少なくても製作中はそんな意識はありませんでした。 」とおしゃっているので間違いないでしょう。引用https://blog.goo.ne.jp/mizshima1941/e/e51525875b073034c348c342ed2f8011最後に私自身こう否定されてもここまでの偶然はあるのかと疑ってしまいます。やはり奇跡というものは案外私たちの周りに転がっているものなのかもしれないと思わされました。さて長くなりましたがここまでご覧いただきありがとうございました。ぜひ健康におきおつけてよい一日を過ごしていただきたいと思います。それではまた