一人で抱えるには、少し大きな感情になりすぎたから、どこかに置いてしまいたい。
誰かに聞いてほしいとか、共感してほしいとか、そういう気持ちはないのだと思う。
私は、別にファンというわけではないのだと思う。テレビ初出演の朝ドラから見ていてずっと応援していたわけではない。出演されていたドラマや映画も、全てを見ていたわけでもない。雑誌も、全てを購入していたわけではない。人気になった映像作品は見た。雑誌も買った。所詮それだけだ。ファンクラブにも入っていなければ、ファンレターを送ったことすらない。
だから、ファンではないのだ。
初めて知ったのは、14歳の母だった。私が小学生の頃に見たドラマだ。今でも覚えている。なんとひどい奴だ!と思った。そう、思わされた。演技なんて知らないから。だから、好きになれないと思った。
それでも、話題になる作品に次々出ていた。だから、見た。恋空やブラッディマンデイ、君に届け・・・他にも沢山挙がるだろう。王道の爽やかな王子様系が続いていた時は、たまには違う役を貰えばいいのに、と勝手に思った。それから一時期、あまりテレビで見かけなくなった。そしてまたテレビで見かけた時、王道王子様から変わっていた。こんな役をやるのかと驚いたが、新しい演技が見られると、わくわくした。最近の役は、本当に格好良くない役で、格好良かった。どれも、合っていた。役を演じきっていた。だから、見た。次も、他の作品も、見たいと思った。
やっぱり、一番衝撃的だったのは、キンキーブーツだ。舞台に興味を持っていなかったから、公演自体、知らなかった。初めてテレビで知った時には、既に公演自体が終了していた。
だから、また演じる機会があるのなら、見たいと思った。チケットの発売を待っていた。
だけど、それだけだ。演技が好きですとも、次を待っていますとも、誰にも伝えたことはない。
こんなファンでもない人間が好きだと伝えなくても、沢山のファンが居るだろうから。伝えなくても、次があると思っていたから。
そもそも、演技を批評する権利すら持ち合わせていない。その世界に携わってすらいないのだから。ただ受動的に、リビングのソファに座って、テレビから流れる映像を見て、好きだなーと、思っていただけ、なのだから。
私には、プライベートを知る権利はない。
家族でも、友人でもないから。
だから、オフィシャルな場で、話していたことしか知らない。
それ以上も、それ以外も、知りたいとは思わない。
それでも、身勝手なことを言わせて欲しい。
その世界が嫌になったなら、捨てて欲しかった。
そこにやりたいことが無かったなら、他を探して欲しかった。
リビングにいるファン未満は当然だが、ファンも、仕事相手も、重荷になるものは、全て捨て去って良いから。
どこかで、自分の人生を楽しんでいて欲しかった。
プライベートなんて、何をしていたって嫌いになんてならない。
だって、知らなくて良いことだから。
できれば、他人に迷惑をかけず、法律も犯さないで、とは思う。そんなことをする人ではないと思っている。
でも、突然失踪したって良い。ドラッグに溺れていたって良い。それで自分を守れるなら。
立ち直った後で、償えることなら、どんなことをしていても受け入れて、また表舞台に立ってくれたことを喜ぶだろう。
病気とか、事故なら、まだ気持ちに折り合いが付く。今は受け入れたくはないけど。仕方のないことだと思える日が来るのだと思う。
でも、自死は受け入れられないよ。
決定的な、大きな何かがあったわけではないのかもしれない。
一つ一つは何ともない、小さなストレスが、いくつも積み重なって、漠然とした大きな負荷になったのかもしれない。
明確な理由なんて、そんなもの存在しないのかもしれない。
だって、本当に疲れ切ったときは、死のうとは思っていない。
誰かに相談しようとか、助けを求めようとか、そんなことも思わない。
あと一歩踏み込めば、楽になるかもしれない。
眠剤が、1錠で効かなくなったら2錠、駄目だから3錠・・・どんどん増えて、どうしても寝たいから、いつもの倍飲めばいいか。
考えるのはその程度だ。
それが、どんな結果につながるかなんて考えるスペースなんて残っていない。
それでも、我に返る瞬間があったら、身体からギブアップの声が聞こえた瞬間があったら、今日も生きている。
そんなことは分かっている。分かっているけれど。
邪推は冒涜だという意見。本当にその通りだと思う。
だけど、今だけは許して欲しい。
一人で背負い込んで、一人で諦めないで欲しかった。
芸能人として生きていたからって、嫌なことを耐えないで、もっと我がままになって欲しかった。
家族でも、友人でも、同じ仕事をする仲間でもない。
私は、ただの観客の一人だ。
救うなんて、支えるなんて、そんなおこがましいにも程があることは思わない。
でも、ただの観客の一人だから。
舞台の上に立っている姿しか見られないから。その姿で勝手に元気を貰う身勝手な存在だから。無責任に応援してしまう存在だから。
舞台に立つ気力がなくなってしまったなら、立ちたくないと思ってしまったのなら、降板して欲しい。
もし、舞台に上がる気持ちになったときに、また観客の一人になれればそれでいい。
二度と舞台に上がらないという選択をしたなら、それでもいい。
生きているだけでいいんだ。生きてさえいてくれるだけで良かったんだ。
真実は知らない。一生知らないままで居たい。
ファンでもない私が、なぜこんなにも抱えきれない気持ちになっているのか。
演技が好きだった。これからを見たかった。
それが叶わない現実を受け入れたくない。
他の役者さんのSNSに写った、プライベートとオフィシャルの狭間の表情が素敵で、好きだった。
芸能人じゃなくなっても、誰かのSNSで、誰かの結婚式の映像の隅っこだっていい、またその表情を見られたら。それだけで、嬉しいのに。
直接なんて、伝えられなくていい。演技が好きだったことを、これからの演技を楽しみにしていることを、伝えられたら、私もファンになれていたのだろうか。
好きな人には、好きだと、伝えられるときに伝えようと思う。
いつ伝えられなくなるか分からないから。
次があるとは限らないから。
後悔しても、もう遅いなんて、よくある小説の一節のようだが、本当にそうだ。後悔した時にはもう遅かった。
伝えたところで、変える力を持っていないと分かっていても、言えば良かった。
例え結果が変わらなくても、伝えていればと、後悔するのは、辛い。
全て、身勝手な理由だ。
そして、私を含めた、今になって声を出している、存在しなかった観客共。遅ぇよ!!届けたい相手に届かなくなってからじゃ、意味がない。
森山直太朗さんの曲の、家族や友人以外は3日で元通り。
そうなのだろう。ご飯を食べなきゃお腹が減る。明日はやってきて、仕事が待っている。働かなくては、ご飯を食べられない。
元に戻らないといけないから、戻る。
3日で戻れるほどの、空白にしかならないのかは知らない。
でも、ただのファン未満の観客が、知っている量としてはそれくらいで、立ち入れる範囲もそれくらいかもしれない。
きっと私は、ドラマや映画の再放送で見かけて、いつまでも変わらないなーと思うのだろう。
円盤を引っ張り出して、今度こそ、生で見たいとワクワクするのだろう。
親しかったはずの役者さんのSNSに一切写らなくなったことや、更新されない公式のSNSの投稿に、休養期間だっけ?と思いながら。
しばらくして、元気にしているか気になって、今何をしているのか気になって、そして現実を思い出してしまうのだろう。
その時には、少しは受け入れられるようになっているのだろうか。
ここまで書いたが、全く整理がつかない。
身勝手な思いでこんなことを書いたことも、もしかしたら冒涜していると言われるのかもしれない。
苦情は、当事者以外からは受け付けないが。
最後にもう一つ勝手なことを言ってもいいだろうか。
どこかの誰かにとって、元気を与えてくれている人へ。
既に色々な人が言っているから、耳にタコができてくれていればいい。
もしも、そこにいることが辛くなったなら、ただのファンのことなんか捨て置いて、自分の好きなように生きて欲しい。
美味しいものをたらふく食べて、気の許せる人が居るなら、その人と沢山話して、ゆっくり休んで欲しい。
もしも、またそこに戻ってくれるなら、とても嬉しい。
でも、戻らなくてもいい。
元気で居ると、知れる機会くらいは欲しいと思ってしまうけれど。
どこかで、ただ生きているだけで、それだけでいい。
ただのファンには、それで十分だから。