目が覚めると昼を回っていた。
毎晩夜ばかり撮り続けてきたから仕方ない。
昨日までクライアントの劇団ZAPPAの稽古やその休憩時間を撮り続けてきた。
役者陣がおそらく見ることのない自身の表情を本番前までに確認してほしい、そしてボク自身の今日のゲネプロの撮影のためである。
今日の撮影現場は池袋にある東京芸術劇場にあるシアターイースト。本番の公演がある劇場である。
シャワーで目を覚まさせ身を清め、髪も乾かさずアイスコーヒーを一気に飲み干し車を走らせた。
この日は中央自動車道そして首都高C2内回りを使うルートで劇場に向かった。
西池袋で地上に出ると、劇場は目と鼻の先である。
しかし土曜日の午後は相変わらず初台付近で渋滞していた。
現地でゆっくり準備をしてイメージトレーニングをしたい、そう考えていただけに少しだけ焦りが出た。
一昨日、劇場の舞台制作などの仕込みと呼ばれる作業で終始した。
そして昨日はリハーサルのテスト的な稽古「場当り」が行われた。
今日の舞台撮影は観客を劇場に入れないで行う本番つまりゲネプロである。
ゲネプロが終わると、同日に本番が控えている。
ゲネプロでは役者は衣装を纏い化粧を施し、舞台美術、照明や音響も本番そのものになる。
劇場の地下駐車場に車を停め、呼吸を整えた。そして楽屋口を通り舞台裏へ向かった。
客席の真ん中には既に舞台監督と脚本家が台本を片手に座っている。
今回の舞台「風 -ふう-」は新撰組を扱った熱い男たちの物語である。
激しい殺陣のシーンも数多く盛り込まれている。
もちろんきれいな女優陣の登場もあるが、主役は男たちである。
稽古から撮影に参加させてもらっていたため、ボクの脳内にはストーリーは刻まれていた。
そしてまた過去の他劇団の舞台撮影の経験から、パッシブな(受け身)撮影が主流となることも想定内である。
写真撮影に必須の光は、天井や袖から放たれるスポットライトだけ、何があっても止まることなく続く演技。降り注ぐ流れ星を片っ端から撮影するような状態である。
前日の場当たり稽古で各々のシーンと撮影場所、セリフとほぼ同期するスポットライトの点灯順序は頭に入れておいた。
テスト撮影も自身で行ったが、これまでとの大きな違いがある。舞台全体に黒に近い絨毯のようなシートが貼られていることだ。
上方から役者に向けて放たれるスポットライトの光が床で反射しないのである。その他セットも黒ベースで周辺で反射した2次的な光は全く期待できない。
そして台本にメモ書きをしてそれに沿って動き回るのが理想だが、客席側は暗闇であり紙に書いた文字は読むことはできない。記憶が頼りである。
2時間半の公演は休憩が無い。ボクの撮影も自ずと2時間半となる。
間もなくゲネプロが始まる。舞台裏も慌ただしさを増してきた。
右肩にキヤノンのEOS1DXに70-200mm、f/2.8の望遠を付けたカメラ、左肩にEOS5Dmk3に16-35mm、f/2.8の広角レンズを付けたカメラを下げた。
舞台裏でカメラの設定を終えたころ、劇場から江戸情緒漂う音楽が流れ始め、舞台は始まった。
女優陣の華やかなシーンから始まる舞台、しかしすぐに殺陣のシーンが始まる。
役者がもつ刀はジュラルミン製でスポットライトの眩い光を反射する。
ジュラルミンの刀とはいえ、殺陣のシーンは大けがと隣り合わせである。
連日の本番前には必ず殺陣返しと呼ばれる殺陣のシーンの稽古がある。
最初の殺陣のシーンは俳優たちが客席中央の階段を駆け下りてくる。その後その中の一人が娘に扮する女優に刀を近付ける。
明るい、静止したシーン。舞台の目の前から撮った。
その後も緩急はあるものの、舞台の進行は続く。
殆どの撮影はEOS1DXを使った。ISOの設定は上限を12800に設定したオート、絞りは解放2.8固定、シャッタースピードは明るい静止したシーンでは1/160秒、殺陣を含む動きの激しいシーンでは1/800秒に即座に切り替える。レンズ内の手ブレ防止機能はOFFにした。
フォーカスは殺陣のシーンだけはピンポイントでAIサーボを利用、あとは俳優女優の手前側の瞳に合わせてからレンズの向きをずらして構図を整える。例によって縦位置撮影は行わない。
連日の稽古・場当りの撮影で役者の動きは把握しているので、概ね撮りたいシーンでシャッターは切った。
悔しいが殺陣のシーンだけは毎秒10ショット以上の連写に頼るしかなかった。半ば闇で繰り広げられる早すぎる役者と刀の動きはファインダーで見えてからシャッターを切ったのでは逃すリスクが高いからだ。
舞台は中盤を過ぎていた。目に汗が流れ込み、Tシャツが汗でまとわりつく、厄介な状況だ。
効果音の切れ目、悪役が女優を切りつけるシーンが始まった。場内に女優のセリフをかき消すようにカメラの連射音が響いた。
申し訳ない、この連写音は今日だけ許してほしい、そう思って遠慮なくショット数を増やした。
舞台のシーンが変わるとき、舞台上も客席も暗闇に包まれる。
暗転と言われるこの瞬間は唯一撮影データをカメラの液晶モニターで確認できる時間でもある。それでも暗転の大半は自身が撮影場所を移動する大切な時間でもあるので、ゆっくりとモニターを眺める余裕はなかった。
舞台上は終盤を迎えていた。撮影開始から2時間を経過している。ショット数は2000超。
長い殺陣のシーンがまもなく始まる。舞台裏も役者が駆け回り慌ただしい。
喉を枯らした役者たちが次々と白湯を口にしている。
ほどなくして真っ赤なスポットで役者が舞台上に浮かび上がる。
カメラにとっては赤色の濃淡を導くのが苦手なようだ。ファインダー内のISO値が上限下限を行き来する。ふと撮れているのか心配になるが確認する時間は無い。
さらに演出上必要な煙もピント合わせの邪魔をしてくる。思い通りに動かないが左手の薬指でピントリングを回して補正する。
カメラが重いと感じ始めた。通し稽古でも同じだったが、ゲネプロでもやはり終盤の殺陣のシーンで同じ感覚に陥ってきた。
舞台上では沖田総司を演じる役者が最後の殺陣のシーンを終わらせた。スポットライトの逆光の中にその輪郭が浮かび上がった。
息つく間もない2時間半の舞台を撮り終え、暗転した舞台下で膝をついた。
右手はつぶれたまめに汗が浸み込んで痛みも感じていたが、撮り終えた安堵感がその痛みを忘れさせてくれた。
総撮影ショット3194、カメラの悲鳴が聞こえてきそうだが次に備えて電池の交換をした。
生きててくれてありがとよ。
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