子供たちの運動会の前日に祖母が亡くなりました。

祖母の容態が良くないと連絡を受けた後に、母から

「ばあちゃんの所に行ってくるから」

と慌てた様子で電話が掛かって来て。

祖母の家まで高速を使い1時間。
もう暗くなり始めた頃、母は急いで祖母のもとへ向かいました。

無事でいて、間に合ってと祈りながら母の連絡を待ちましたが、母は祖母を看取ることが出来ませんでした。

胆のうがんと診断されて一ヶ月も経たず、退院してから二週間程で祖母はこの世からいなくなってしまった。

最期の瞬間、母と祖母を会わせてあげたかったけれど、到着した時にはまだ温かかった祖母の体。

ありがとうと伝えたと母は話してくれました。


祖母が亡くなる前の週に、家族で祖母の家へと出掛けました。

娘のランドセル姿を見て、

「可愛いねぇ」

と目を細めて笑う祖母は優しく温かく。

自分が大変な時にまで子供たちにおこづかいをくれたり、最後までいつもと変わらない様子で私たちと過ごしてくれました。


祖母が亡くなったと連絡を受けて、つーっと涙が伝ったけれど、次の日は運動会。

なるべく平常心でといなきゃと眠りにつきました。


運動会の当日は、あまり眠れずしんどかったけれど、子供たちの頑張りに泣いてばかりいました。

夫の義両親も来ていたけど、子供たちの遊戯を純粋に楽しんでもらいたくて、祖母のことは言わずにいました。

夫は仕事に行くため、義両親もその後帰った後、青空の下、遠くからぼんやりと最後の遊戯を見ていました。

祖母を思い
亡くなった父を思い
母のことも思いながら

嬉しいはずの運動会だけど、やはり悲しく寂しい気持ちでいっぱいでした。



祖母の告別式の日。

棺には目をつぶったまま動かない祖母がいて。


住職さんが祖母との思い出を話してくれて、知らなかった祖母の姿に泣きました。

お花入れも
出棺も
荼毘に付す時も
拾骨も

悲しくて悲しくて。

涙が浮かんでは引いていきました。


葬儀が終わった次の日。

悲しい気持ちが溢れ出し、大声で泣いてしまいました。

思い浮かぶのは、笑顔の祖母。

ひとしきり泣いた後、ありがとうと呟きました。



最期まで感謝の言葉を述べていたばあちゃん。

人に感謝することを忘れずに、私も生きていきたい。

ばあちゃん、ありがとう。
じいちゃんと一緒に仲良くね。

今までありがとう。
ばあちゃんの孫でよかったよ。

いつかまた会う日まで。
私もがんばるね。