10月31日ホテルオオクラ 平安の間で行います。
葬儀を完全な密葬で行ったので、会社主催のお別れの会が別に執り行われることになった。
全てこちらでやりますが、申し訳ないのですが、お姉さまとご一緒にご挨拶に立っていただくことになります。と言われた。
「は~い。」
「1部がビップ。
2部が住友関連
3部が社員と一般になりますので、とりあえず1部、2部はお願いします。
1500名くらいの参列者を想定しております。」
「立ってペコペコすればいいんでしょ。」
「そうです。こういう感じになりますので、こちらに立っていただいて、ご来賓の方々にご挨拶ということで。」とイメージ写真を見せられる。
「わかりました。どのくらい?」
「時間にしては3時間くらい。ま、3時間立ちっぱなしはきついので、途中で休憩を入れるなりなんなり考えます。」
3時間のペコペコ挨拶は、できそうだけれど、きついと言われるときついのかも、とぼんやり考える。
「で、お姉さまは和服ですので、着付けをお願いすることになりますが、なゆみさんはどうなさいますか?」
「え、着物! 姉は着物着るって? 私は洋装で、葬儀の時と同じじゃダメなの。」
会を仕切る葬儀社の方がちょっと沈黙する。
横からお手伝いのえんちゃんが
「なゆみさん、だめですよ。洋装だったら正礼服、お帽子も被らなきゃ。
着物が一番ですよ。そういう時は。最も格式が高く見えるし。」
と口を出す。
着物、、、、
もう何十年も着ていない。
着物で3時間立ちっぱなしのペコペコ、って不安。
「副会長さんと社長さんは何をお召しになるの?」
「モーニングです。」
「モーニング。じゃ私が略式ではどうにもならないわね。」
「そうですよ、なゆみさん。
奥様に代わって言いますけれど、なゆみさんのためにならないですよ。
会長のお別れ会は、住友不動産の歴史に残っていくんだから、お嬢様が略式なんて。」
「わかりました。着物にします。」
不安だな~、着物なんて30年近く着ていない気がする。
でも仕方ない。
ともかく頑張るしかない!と意味なく気合を入れる。
当日は7時45分にオオクラ入り。
ヘアメイクまでしてもらい着付け。
着てしまうと着物は思っていたよりずっと楽だ。
草履だと靴より足が自由に動かせる。
鼻緒がちょっと痛いと思えば、少しずらしてしっかり履かなければいい。
改装が終わったばかりのオオクラで、初めての平安の間を全部貸切っての会になる。
皆様がいらっしゃる前に副会長、社長、姉、私と献花をすませる。
巨大な写真に巨大な祭壇。
祭壇が仕切られ、献花が終わった方々が会社の代表と私たち遺族の前を通りお清めの会場に入るよう、しつらえてある。
広いホールに、寿司の久兵衛から始まり、桃花林の中華、山里のしゃぶしゃぶ、松茸にフレンチとそうそうたるメニューがずらりと並んでいる。
どこもオオクラの一流レストランからの出張だ。
「ね、私たちはいつ食べれるの?」
「ご遺族の間に取り分けてお運びいたします。
13時を過ぎると社員の方々の献花に入りますので、そこはお立ち頂かなくても結構ですから、その頃には。」
まだ10時だから、結構道のりは長い。
「大丈夫ですか、お辛かったら側に椅子を用意してありますから、交互にお休みいただいて。」と秘書の方が気を使ってくださる。
「なんとかなるよ。」姉と私は目を見合わせる。
弔問が始まった。
長蛇の列だ。
お辞儀の合間に列を見ると、本当に果てしなく人が並んでいる。
時折近づいて名乗ってくれる方がいる。
お知り合いとは一言、二言言葉を交わすが、後ろがどんどん詰まってしまうので、落ち着いては話せない。
「お父様には本当に本当にお世話になって。」と心から仰ってくださる方が多くて、心が満たされる。
予定よりずいぶん時間が押しているが、参列の方が多すぎて、お食事を用意した会場に入れないくらい溢れてしまっている。
「ちょっと弔問止めます。少しお休みください。もうご案内を出した方々はほとんどいらしてくださっているので、あとは一般の方々なのですが、予想よりはるかに多くて。」
3分くらい休んでまたお辞儀に立つ。
結局ずいぶん予定より長引いてしまって、立って足が痺れるということを初めて経験した。
歩き出そうとすると膝が曲がるのを忘れてしまったようにぎくしゃくして、うまく曲げられない。
ギクギク歩きながらお食事会場に顔を出し、知った顔を探して改めてお礼を言う。
控室に戻って運ばれたお食事をいただいていると葬儀社の方がいらして、
「大変お疲れさまでした。予想をずいぶん上回る参列者の上、会長のお写真をじっと見つめて動かない方が多く、献花にも普通よりお時間がかかってしまいました。私が言うのもなんですが、偲ぶ会を担当させていただき、大変ありがたく、またお人柄が本当に偲ばれる素晴らしい会でした。」
と仰ってくださった。
1500人を予定していたが、結局3000人近くの方々が、父との別れを惜しんでくださった。
来てくださった方々一人一人に、父の何かが残っているのかと思うと、
父は偉大な人だったとしみじみ思う。
業績よりもビルよりも何よりも、人の心に何かを残せたということが、
父の勲章なのだと。