「チームリーダーになりたいんです。」
「店長をめざそうかな、と思って。」
今月はタロットリーディングにいらっしゃる方が多いので、カードを読みながら
今年の抱負に触れる機会も多い。
「何でなりたいの?」と聞くと、すでにそこで怪しくなる。
「みんなでまとまって何かを成し遂げる達成感かな?」と答える。
「え、でも今あなたはチームの一員として頑張ってるんでしょ。
リーダーじゃなくても一緒に仲間と何かをやって目標をクリアーしたら達成感を味わえるんじゃないの?」
「でもリーダーでやりたいんです。」
「何故?」
「認められたいんです。」
「リーダーに必要な資質は何?」
「共有できる、人の話を聞ける、励ませる、、、、」
「それってただの友達ごっこみたいね。」
「~になりたい、と思うのはいいけど、そのために必要な状態に自分を
成長させる、という意識がなければ、なれないと思うけど。
リーダーって、たいてい私、私、って手を挙げてなるわけではなくて、周りから
リーダーとしてふさわしいと認められて、自然と押されるものでしょ。」
「・・・・・」
「今年は、どういう組織でもリーダーになるためには、何が必要かということを
意識することと、何故自分はリーダーになりたいのかを見つめるというところからスタートするのはどうだろう。
それから認められたいという要求が強いなら、まず、自分の周りの人たちを、自分がきちんと認めるという練習をした方がいいよ。
認めて欲しいという人は、自分の要求が強すぎて、人を認めるということをしないから。
認められたかったら、まずは他者に感謝する、他者を認めるということをやっていると、自然と自分の至らなさが分かってくるし、感謝の気持ちを感謝の気持ちで返してもらえるようになる。
自分の至らなさに気づけば、自分が努力していく方向性も見極められる。
感謝の連鎖を作るって、リーダーの資質としては、絶対必要な物の一つだし。
自分ばっかりが頑張っているわけではないということにも、気づく必要があるし。
そうすると、リーダーや長じゃなくても、自分のやるべきことにしっかり向きあうことで、生み出される喜びにも気づけるし。
そこまで行くと、リーダーというポジションは、ぐっと近づくような気がする。」
認められたいという気持ちは、多分誰でも持っている物だとは思うが、
自分が何故認められないのか、という気持ちを持てずに認めて欲しいと
人に要求するのは、浅ましいしいし、不幸な生き方だと思う。
いつでも欲求不満のモヤモヤ人生みたいだ。
「なんでそんなに認められたいの?」
と聞くと
「親にも認められなかったんです。だから誰かに認めてもらいたいんです。」
とスーパーな返答をした人もいた。
そもそも親は、そんなに自分の子供を認めない人種だと私は認識している。
なんで親に認められなかったということが、理由として存在するのか、さっぱり
わからない。
親は自分を認めるべき存在だとでも思っているなら、それは親の在り様の概念が、随分自分勝手のような気がする。
認められたいなら、認められるようになるしかないし、頑張っても認めてもらえないなら、まだ頑張りが足りないな~と思うしかない。
自分はこれだけやっているのに、認められない、認めないあの人はどうかしている。という方程式は、
自分はこんなに愛しているのに、あの人は愛してくれない。
自分を愛してくれないあの人は、どうかしている。という方程式だ。
物凄く物の見方が偏っている。
そういう意識だから認められないし、愛されないのだ、ということに気づけない。
自分が欲している物を与えてくれないと他者を責め時間があったら、自分を磨く時間に費やした方がいい。
認めて欲しい、認めて欲しいと赤ん坊が泣き叫ぶようなエネルギーを発散させるのは、逆効果だと認識したほうがいい。
「今年は出来るところから取り組みましょう。結果は自ずとついてくるから、
まず自分が向き合う課題を一つずつクリアーしていくことに意識を集中しましょう。」
「ほんと、頑張ってね~、子供じゃないんだから」と思いながら、今日もタロットと
にらめっこしている。