哀しかった私

泣いている私

怒っている私

感情に蓋をして生きてきた私

その全てをありのまま受け容れる

辛かったよね 悲しかったよね 苦しかった

よく頑張ったね

そう言って自分自身を抱きしめる

 

そんなふうにして生きてきた

 

そうだよね

そうしなくちゃ、やってこれなかったよね

自分自身の「やってしまった」事には、そんな言い訳をして

見ているようで見ぬふりして

仕方がなかったと正当化して

 

8月末から9月中旬まで、私は山口県宇部市の長女の家で過ごした

 

孫のピアノの練習に付き合う娘

孫の洋服を選ぶ娘

孫が夢中になる、おもちゃで一緒に遊ぶ娘

 

 

予定されていた幼稚園の祖父母参観が中止になった為

自宅で行われた「お家参観会」

娘と孫(5歳・2歳)の寸劇・歌

娘と孫のピアノ

最後には「ばあばへ」と手紙をもらう私

娘からの手紙には
「お母さん、ただ、一緒にいてくれてありがとう」と書いてある

 

泣いてしまった

申し訳なくて

穴があるなら入りたい

 

 

私は子育てをどんな気持ちでしていただろう??

家族の為に働いてる

??本当にそうだっただろうか??

 

 

いや・・ただ現実逃避していただけだ

現実逃避している母親に育てられた子供たちはどんな気持ちであっただろう?

未来を夢みる事ができただろうか?
家族を持つ未来を想像できただろうか?

心から笑う事があっただろうか?

自分に自信を持つことができただろうか?

 

 

母親の様な親にはならない

そんな思いで自分の母親をジャッジしていた

振り返れば

そんな感情を優先している私が愛情深い親になれるはず等なかった

 

 

自分と向き合うとは

仕方がなかったと正当化することではない

ありなままの自分を受け容れ

申し訳なかったと悔いることだ

そして大事な事は

神さまに祈る事

そして新しい自分を生きる事だと思う

 

私には三人の子供がいる

長女 長男 二女

二女は今、遠く離れたアメリカに住んでいる

 

こんなお母さんだったから、李奈(二女)がそんな気持ち(母親を拒絶したい)

になるのも無理ない

と言った私に

長女が

「そうなんだね。だとしたら李奈の気持ちを溶かせるのはお母さんしかいないね」と

 

 

子ども達を愛してきた

私にとって最も大切なのは子供の存在だと自覚していた

それでも未熟だった私は自分のことしか考えていなかった

本当に申し訳なかった

 

今からでも遅くない

愛ある人になり、愛を伝えられる人になりたい