歩くこと
去年久しぶりに書き込んだ時には確かに猛烈に歩いておりましたが、今はそうでもないんです。飽きるというのもあるでしょうか。
ちょっと遠巻きに「歩く」で寄稿してみようかなというところです。
大げさかも分かりませんが人間にとって人が二足歩行なので普通に歩いてることは基本のような状態です、ひとつのね、仰臥だったり、立つことだったりと横並びでしかないのかな、言葉の羅列をしつつ考えてみようという思いたちです。
わざわざ「歩こう」って今更なんだろうって思えてきたのです、理屈でかぶせるみたいなことが私にとっては今できそうなので書き進んでいます。
一旦「歩く」をほったらかして。
跳ぶこと多々ありで申し訳ありません。
書いていたら最近の思いが出てきましたので綴ります。
些細な感情や気質や繊細さを自分も含めて誰にも大事にして欲しいのです。
どちらの皆さまにもあるちょっとした思いも隠さずありのまま居て欲しいと思っています。
言葉で一番しっくりくるのは「繊細」かな。
小さなこと気にしないって慰めかフォロー的に聞こえてくるんです。
他人からであったり自分が自身で打消す癖のようになってたりします。
でもたまにそこにフォーカスできると意外にいいんですね。
納得ずくになれるというか自分を見据えた、自分で居続けた、逃げなかったとかね。
些細ごと、繊細ごと。
さあ、戻りますよ。
「歩く」
どんなに着飾ってでもいい、汚したくない靴は避けてでもいい。
雪駄でも、ナイキでも、ヒールのパンプスでもいい。
裸や裸足で歩くことは無いんだ、ないない。
歩いているうちに分かることがたくさん出てきます。
自分が見えてくる、自分の生い立ちから見えてくる。
歩幅やウインドウに映った自分や息遣い、心拍、汗に熱感、感じる風。
一日とて同じ日はない、瞬間に時は行く、待たない、オンリーです。
これ山登りでも言ってた、たしか。
車を運転していても自分の心臓は打っているのだけれど気づかない平常。
歩いていると鼓動がずっと分かるんだよね。
歩く中では、ずっと私は繊細な人で居続けられるんじゃないかなって。
そんな風に思えてきた。
これ私の特異かもしれませんけれど、その街を闊歩するってよっぽど自分の状態の良い時なんです。
歩いてて嬉しいっていうか。
家を飛び出すように出る、上ずってるから何か忘れ物したり、何回も引き返したり、出かける時ってトリップ感覚なんですね。
さあ、みたいな。
歩いてて水溜まりとか無いのに、まるで水溜まりを飛び越えれるように跳ぶわけ。
ジャンプするって感覚が気持ちよくって多分出てるねアドレナリン。
行きたくない病に罹っていても行ったら来てよかったの転換。
歩くことでこんなに楽しいわけだからこれはいろんなシーンすごいことになるんじゃないなんて。
でもその他の時は何でもない。
歩きや軽いランが一番いいかな。
なんだろうか、
少し確信はあって、この歩きに見合うような、日常の動き、あの歩きの時のような感情のさわやかさ、多分刷り込めるんじゃなかろうかと薄々閃いてきているんです。